僕がAne会を始めた理由

1 / 2 ページ

僕が人生においてやりたいこと

20歳の時から10数年間思ってきたのが、


「世界から戦争と貧困をなくすこと」これに関しては一切のブレがありません!


他の人が聞いた時にどれだけ滑稽な話しに聞こえたとしても、それだけは譲れない信念です。


だから、自分がビジネスをするとするならば、ここに繋がっていかないと僕は生きる意味がないと思っていました。


ここに繋がっていくことが、自分が創業して、リスクを背負って、お金を掛けて、苦しい思いをしても、ここに繋がっていくことが最低限の条件でした。


だからといって、今すぐに世界から戦争と貧困をなくすビジネスは、残念ながら思いつきません。


その使命を実現するためには、自分には、まだまだ経験量、実力、人脈も足りていないのが現実です。

 

そこに繋がるビジネスは何かと模索しました


戦争と貧困をなくすということには、いきなりはできないかもしれない。
ただ、そこに繋がるものとして、どこからと考えた時に、自分にできることは、


「目の前の人を幸せにすること」


これしか、第一歩はないと思いました。

逆に目の前の人を幸せにできない人間が、世界から戦争や貧困をなくすと言ってもそれは滑稽でしか無い。


だから、身近なところから輪を広げていき、その火種を作ることこそが自分が作るビジネスの第一歩にふさわしいと思った。


それは、表現を変えれば、


「目の前の人を笑顔にし、喜ばせること」


これが私がビジネスをスタートする上での発端です。


東日本大震災と母の笑顔

じゃあ、この目の前の人とは誰か?真っ先に思いついたのは、自分の母親でした。


若干マザコンに聞こえるかもしれないですけど、これは僕の中での非常に強いできごとなので、聞いて下さい。


2年前の東日本大災震災がありました。


このときに私の実家と3月1日に立てたばかりの新築の家が、津波に流されました。

幸いなことに家族の命は助かりましたが、財産を失い、着の身着のままの避難生活を余儀なくされ、今まで築き上げてきたことを、一瞬にして水に流されていきました。


実家からは離れて15年。

東京に住んでいた私にとっても、家族がこの状況下で、どうするべきか。

親戚を含めて全員が、全く動転している状況でした。


「どうしたらいいかわからない。」


財産を失ったのももちろんですが、未来に対しての不安で心が折れてしまうような体験でした。


でも、たった一人うちの母親だけは、そうじゃなかった。


確かに、震災直後は、宿も決まらず、車の中で寝泊まりし、寒い思いもしたし、辛い日々の連続で一瞬辛い表情を見せることはあったかもしれません。


そんな中でも、いつも笑顔で、とにかく明るく周りを励ましていました。


「流されてしまったのはしょうがない。
 でも、命さえあればこれからなんとかなる!」


それを言う母親にどれだけ救われたことか。


恥ずかしい話、東京に住んでいる自分は、被災地の人たちに比べれば、今回の地震で怖い思いにあったわけですらない。


でも、そんな僕が母親より落ち込んでいて、元気を与えるべき僕が、逆に母親に元気を与えてもらった時に、


「自分の母親ながらすごい。」

「いや違う、女性はすごい。女性は強い」


と、僕自身がすごく火を付けられた出来事でした。

 

女性の笑顔が社会を変える

この女性の力が広がっていくことこそが、周りの人たちを笑顔にする上で最短ルートなんじゃないかだから僕は、「誰を笑顔にするか?」という自分への問いに対して、「女性を笑顔にするビジネスをしよう」とその時に直感しました。


そういう目を持って自分の身近な女性を見た時に、自分の直感は間違っていないと確信しました。


「女性が一人笑顔になると、周りの男性三人が笑顔になる」


だれが言った言葉か、もしかしたら自分が思いついた言葉かもしれません。


例えば、今私は、小さな事務所の中で主に男性3人、女性1人の環境で働いています。

その彼女の笑い声がするだけで、事務所の雰囲気もパッと明るくなります。


振り返って考えてみると、過去の職場でも、女性同士が華やかに話しをしていると、職場全体が明るくなる経験を何度もして来ました。


逆に、女性がしかめっ面でいると、職場の雰囲気が曇るという経験もしてきました。


だからこそ僕は、女性を笑顔にしたいです。


「残念ながら、女性は常に笑顔なわけではないし、
 常に強いわけではないと思います。」


僕も母親の凄さには、一緒に暮らしている間は全く気づいていませんでした。

そこに気づきだしたのは、自分自身が大人になってからでした。
それまで見えていなかった。


そう考えたときに、僕の使命は、


「女性の強さや明るさを発掘することであったり、
 その中で、彼女たちのたちの笑顔の瞬間を作るために、
 サポートしていく必要があるのではないか」


こんなことを考えながら、この女性を笑顔にするというビジネスが、自分の「戦争と貧困をなくしたい」という最終目標を達成する上で、ものすごく大きな一歩になると考えました。


自分が主役じゃなくなっていく


まだまだ、Ane会の「A(あ)」の字も登場しません。


では、彼女たちにとって、何が必要か?
そこで、回りにいる20名強の女性にインタビューをしてきました。


プライベートでは、年上の女性の友人が多かったので、いろんなことを聞いてみました。


 Q.どんなときが楽しい?
 Q.どんなときが悲しい?
 Q.どんなときに便利だと感じる?
 Q.どんなときに不便を感じる?


と聞いていく中で、十人十色様々な答えが返ってきました。
その中でも共通してた答えをあげてみると、


 A.友達が減ってくる
 A.自分の時間がない
 A.夢や目標が持ちづらい
 A.社会から隔離されている感が強い(特に子育て中の方)
 A.悩みを相談する相手がいない(旦那さんは仕事がいっぱい、友だちはなかなか会えない)


これらのことを包括して考えると、僕の中で結局こういうことかなと思いにつながりました。


「だんだんと自分が、社会の中で主役じゃなくなっている」


よく言うのが、子供が生まれたら、子供のための人生になってしまう。

ほんとにこれってよく言うことだけど、それが、自分にとって幸せに繋がっていればいいと。


自分の人生すべて子供に尽くしたいというのであればいいけど、でも一方でやっぱり悲しいことだと思います。

著者の日浅 光博さんに人生相談を申込む

著者の日浅 光博さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。