今もRX-7とともにいる
航空機関係の部品を専門に作る会社だったのか?といった問いには
車のエンジン部品を加工する小さな会社を経営していたが
戦時中は航空機の部品を作るようお国の命にしたがっていた こと
車のエンジン部品とは?といったことを聞くと
エンジンそのものを自社で作りたいと思っていたこと
故本田宗一郎氏へのリスペクト?のこと
などを話してくれた
時代が錯誤しているような話もあったように記憶しているが
それはそれで聞いていて自分的には興味深い内容で
初めて聞く話に トイレでの語りに付き合っていたら
ちょっと時間が長くなりすぎ
先輩職員から「いつまでトイレ介助に時間かかってんだ!」と
どやされことは忘れられない
と 彼の笑顔でそのときの話は終わった
なんとも印象的な話
『こんな話を受け止めることができるのは ここの職員では自分だけなのだ』
という 彼にとっての自分の存在価値を感じられた瞬間だった
それから数日後 再び 彼と話す機会があった
案の定 先日トイレでした話は 覚えていない彼
その日も初対面的に話を始めた
俺に金があったら あのエンジンを作りたかった...
不完全なエンジンでなぁ あれをちゃんと完成させるのが夢だ
おおよそ こんな話の流れだったはず
ところどころ過去と現在の混同もあるが そこは認知症ということで...
ここははっきり覚えているが “夢だ” と話した “夢だった”ではない
その夢は いまだ彼の中の中で現在進行形であるのかもしれないと感じた一節である
こんな話 興味ない人に話したって
ぜんぜんわからないわなぁ...
てか そもそも ほんとか?この話...
認知症のせい? 作話?...
と いささか聞いているこちらも混乱してくるような内容だが
ところどころに出てくる専門的用語がリアルなのだ
認知症を患う彼から ヴァンケルエンジンというワードが出てくる脅威
これがどんなにすごいことか!
やっぱり知らない人にはちんぷんかんぷんな話なのだろうし
何の感動を覚えることもなかったのだろう
が 自分にはそんな与太話ともつかない話を とても愉しく聞けた
興味のある分野の話であったことはもちろんだが 彼が あまりにも いきいきと
饒舌に昔を語る姿が魅力的で 話に華をそえていた
それからというもの 機会があるごとに彼とはメカニックな話をして
そんな時間の中で 彼がロータリーエンジンに強い思い入れがあることを感じていった
自分と話をすると 毎回同じようなところから話が始まるが
その話を聞いているうちに彼の話すロータリーエンジンにまつわる話は
現実のことに思えてきてた
彼と盛り上がっている話を 同僚や先輩たちにしてみたが やはり 残念なことに
全く興味を持てない?持とうとしない?人たちばかり
「そんな話聞いてる暇があるのか?」的な扱いだった
ある日 彼の息子家族が面会に来ているとき 彼とのやり取りの一部を話してみた
零戦の部品作っていたとか入居前面接記録で見ましたが ほかにどんな物作っていたとか聞いたことありますか?
私が小さいころの話ですから 詳しいことは覚えていませんけど
自分の子供にも語ったことのない話なのか?はたまた全くの作話なのか?
判断がつくような要素もなく しばらく 彼の話に付き合う日々が続いたが
その真偽を疑うことは何の意味もないことだと感じていた
もしかしたらほかの人の話や体験を 自身のことと錯覚しているのかもしれない
とも思ったが...
何回 エンジンの話をきいただろう 彼は私の顔を覚えてくれていた
そして
ある日 している会話の内容は大して違わないのだが
これまでと違う反応をみることがあった
そのあとRXというシリーズに搭載され今も作られています
あのとき 金さえあったら....
といって いつになく感情をあらわにした彼の目には うっすらと涙が浮かんでいた
彼はマツダという会社も ロータリーエンジンが量産化されたことも
そのリアルな時代に生きている
しかし 今の彼は その時間がすっぽり抜け落ち
自分と話している今 若かりし日の思いと現在が混同しているのだろう
だいの大人が 自分の夢が潰えたことを悟り 涙する
その姿は 自分には 衝撃的な瞬間 だった
昔買おうかと思ったけど 高くて....
最新型のカタログもらってきますね 自分もみてみたいから
こんな話を彼が聞いていたかどうか?
少しして なにか 放心している彼に 「またきますね」と声をかけ
その場を離れた
こんなきっかけで FDのカタログをもらいに行くことになろうとは...
後日 さっそく マツダディーラーに出かけた
シリーズも末期に近くなっていたFD 販売台数も見込めない
マニア向けといわれても仕方のない車種
営業マンに 「いつごろのご購入を考えられているんですか?」
などと聞かれ 適当にはぐらかして帰ってきた...
初めて見るFD3S Ⅵ型のカタログ
乗ることなんてないだろうな...と半ばあきらめていた高嶺の花
当時 といってもカタログをもらいにいったときよりいささか前
テレビで流れていたRX-7のCM(Ⅴ型が出たときのもの)
『大人だって遊びがなくちゃ』
ってなんともステキなキャッチコピーがあった
BGMはStand by Me これも自分的は極上のマッチングが印象的で
やはり RX-7 特にFDには特別な気持ちがあったことは確かだった
彼のためにもらったカタログだったはずが
この時 わずかに 自分の心に火種を落とすことになっていた はず...
カタログを持って家にかえり きっと羨望のまなざしで眺めていたのだろう
不思議そうにそんな自分を眺めていた妻が声をかけてきた
だからカタログもらってきてみた
今思えば 妻は見透かしていたのかもしれない
この半年後 うちにFDが来ることになることを...
翌日 職場にカタログを持って行き 彼に渡した
彼はしげしげとそのカタログを眺め
ページの中に載っていたエンジンの写真を指さして
彼の一言『触ってみたい』
これが琴線にふれた マツダディーラーに勤務している友人が思い浮かぶ
カタログをもらいにいったときは声をかけなかったが
「触ってみたい」 と言われたらこれは相談するしかない
友人に連絡を取り
13Bじゃない古いエンジンでもいいんだけど」
ということになった
その間 彼は 相変わらずカタログを眺める日々を送っていた
数日後
13B単体 だけど 重いぞ 輸送どうする?いらなくなっても変なとこに捨てんなよ
仕事がはねたあと老人ホームの名前の入った車にのって
15キロくらい離れたところにある○○営業所から
FC型に搭載されていた13Bをいただいてきた
翌日
早速 彼に13Bをみせた
初めて見る?のではないかもしれないが 現在の彼にとっては初見という意識なはずの
MAZDA製 13B型ロータリーエンジン
補機類がないそれはシンプルにロータリーエンジンの形を成していた
それをみるなり
著者のNAKAMURA MASATOさんに人生相談を申込む
著者のNAKAMURA MASATOさんにメッセージを送る
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