「美容師として大事なことに気付かされた日々」【STORY5】~地球髪切屋~世界一周後、世界でたった一つの「鏡のない美容室」を作ろうとする変わった美容師の話。

前話: 「偽りのない美容師」【STORY4】~地球髪切屋~世界一周後、世界でたった一つの「鏡のない美容室」を作ろうとする変わった美容師の話。

美容師になった僕が、何を想い、何を感じ、どんな経験を経て今の僕になったのか。そんなことを綴ったストーリーです。

美容師になってもはや11年。

この日々がなければ今の僕はありません。

あなたの髪に触れるときの僕の想いを知っていただけたらと思います。


この日本には美容室が22万件もある。

コンビニで5万件、歯医者で8万件、なんなら信号機より多いらしい。

当たり前のように髪が伸びたら美容室に行き、当たり前のように美を追求し、当たり前のように髪を切る。

美容師はそれを当たり前のようにデザインする。

もうすでに、この世の中に植えつけられてしまった価値観がある。

けどそれによって苦しんでる人達がいる。


デザインや流行や商品の押し売り、心のない接客や過剰なサービス。

「似合わせ」という言葉で、まるで人のことを考えているとアピールしていても、

「美」や「サービス」を追求するあまり本質を見失っていると感じる。

綺麗になりたいや可愛くなりたいという願望は誰でももってるものだけど、どうなりたいかは人それぞれ。

美容室が苦手という多くの人たちは自分のこだわりや髪のクセも知ってもらって、自分の暮らしを日々の髪で豊かにしたいと願っている。

美容室に行きたくないわけじゃないのに、わかってくれる美容師さんがいない。

だから、また店をかえ人をかえる。

何度も何度もそうしていくうちに、「今回もどうせわかってもらえないんだろう」と行くのが嫌になり、行っても窮屈な思いをする。

担当の美容師さんを見つけられないという理由は様々だけど、美容室難民とよばれる人たちの中にこういう人たちもたくさんいる。


美容師になったけど、ぼくも美容室が苦手だった。

気持ちがわかるからか、僕の所に来てくれる人たちは美容室が苦手という人が多かった。

次第に僕はそういう人たちに少しでも喜んでもらいたい!と思うようになっていった。

そして、僕の美容師としての意識も覚悟も変わっていった、はずだった。


今度は立場が上になるにつれて店としてではなく会社として考えることがもっと増えていった。

この会社がこれから良くなるためにはどうすればいいのか。

今必要なことはなんなのか。

僕がその為にできることはなんなのか。

そんな事を考えてるうちにせっかく気付き、大事にしようと思っていた美容師としての意識が薄れていった。

そして、いつの間にか大きな波に流されていた。


大きな波に流され、気が付けば、美容師はデザインが大事だと思うようになっていた。

デザインを売る、オシャレを売る、トレンドや流行に対応する。

どんなに店として良くても、美容業界で名を上げるには今の店にはデザインが重要だと思った。

その時会社の中でそれができるのは自分しかいないと、変な責任感にかられていたからかもしれない。

自分を育ててくれた恩を何か形の残るもので返したいと思っていたからかもしれない。

クリエイティブなことに挑戦し、コンテストにも出るようになった。

その為の講習もなんども受けに行った。

来てくれたお客さんに自分のデザインをすれば、勝手に自分のデザインが街を一人歩きする。

と、会社を通してスタッフ達にそれを強要した。

いつしか僕は、人ではなく髪だけを見るようになっていた。


そうやって働いていた時に東日本大震災が起こり、その2ヶ月後に髪を切るボランティアで宮城県石巻市に行った。

僕らの店の呼びかけにたくさんの美容師の人が集まった。

嬉しかった、けど正直不安だった。

家族や家や仕事を津波によって奪われた人達、今もなお恐怖に苦しんでる人達に僕ら美容師が行ったところで何ができると。

しかもたったわずか1日で。


そのたった1日が終わる頃、僕は泣いていた。


不安を抱えていった僕達によく来てくれたと歓迎し、何度も何度もありがとうと感謝された。

復興の兆しも、生活の安定もままならない。

未だ続く余震に恐怖しながら、プライベートもない冷たい体育館の床の上で肩を寄せ合い生きている。

支援物資のおかげで食べるものや暖はとれても、お湯なんてでない。

そんな状況のなか、髪を切ったりカラーをして自分を綺麗にすることで暗く塞ぎがちな気持ちを前に向かせたいと沢山の人がお願いしてくれた。

僕は逆に救われた気持ちだった。


そして、本当に自分の中の大事にしないとダメな気持ちをこの時思い出させてもらった。

僕が髪を切ることで、その人が喜んでくれる。

その人の日々が、明るくなる。

僕が髪を切る理由なんてこれでいいんだと。


髪は心そのもの。心はその人そのもの。

僕はこれがわかる人になりたかった。それをつくっていける美容師になりたかった。

今まで僕に髪を任せたいと来てくれていた人達から教わっていたはずなのに忘れていた気持ち。

今度は絶対見失わないようにしようと固く決意した日だった。

それが僕が「僕という美容師」である理由。


その日から僕のカットは変わったみたいだった。

宇高さんのカット変わりましたねって、正直に伝えてくれるお客さんがいた。

僕がデザインを売ろうとする前から来ていてくれた一つ下の男の子だった。

デザインを売ろうとしていたことにも気がついていたらしい。

それが嫌で何度か店を変えようとも思ったことがあったと正直に言ってくれた。

それでも通い続けてくれていた。

「何故だかわかりますか?」と聞かれた。僕には勿論わからない。

「僕も人だから来てたんですよ」と言われた。その子が続けた。

「僕は正直オシャレでもカッコよくもなくどちらかと言えばダサい方です。

髪型にも毎回「お任せで」っていうほどこだわりもありません。

けどこれが好き。これが自分に一番似合うんじゃないかってのはあります。

髪は人そのものなんじゃないかって思うんですよ。

宇高さんなら絶対それをわかってくれる。僕はそれを信じて通い続けたんです。

僕が払う5000円は切ってもらったその瞬間に払ってるわけじゃなく、次にまた切ってもらうまでのワクワクした日々に払ってるんですよ。それが分かってくれる宇高さんになら5000円なんて安いもんですよ。」って。


僕は本当に幸せ者だなって思った。

こんなに人に信じられ、人に頼りにされる。

僕という人間を認めてくれる。


このとき僕は、働いていた会社を辞めようと決めた。

大きな流れの中にいたらまたいつか大事な気持ちを見失うかも知れない。

そんなものに左右されず自分という人間で生きていきたい。

そして、自分という人間になるためにまず自分の夢を叶えようと旅に出る決意もした。

辞める事で、周りの人達に多大なる迷惑もかけてしまう。

でも心を大事にするならまず自分の心を満たそうと思った。

そして旅を通じて今よりももっと心が豊かになれたらいいな。

迷惑をかけた人達にも、行ってきてよかったねと言ってもらえる人になって帰って来よう。

と、そんなことを思ってした決断だった。


それからすぐにオーナーに店を辞めることを伝えた。

そして、大切なお客さんたちには店を辞める3ヶ月前に年賀状で連絡をさせてもらった。

新年の挨拶から驚かせてしまったけれど、そこから辞めるまでの3ヶ月間で、たくさんの人が来てくれ、たくさんの餞別を頂き、たくさんの言葉と手紙を頂いた。

そして僕はお客さんが皆、同じような気持ちをもって僕のもとに髪を切りに来てきてくれていたんだということを知った。

美容師の仕事がヘアスタイルを作ること以外にあると感じたのは初めてだと。

美容室が苦手だった人達が髪を切ることが楽しみになり、日々が幸せになる。

やっと髪を任せられる人に出逢えたのに...。と悲しみの声とともに、たくさんのありがとうという感謝や応援の言葉で綴られていた。


でも、本当にありがとうと言うのは僕の方なんだ。

デザインの根っこは"心"だと教えてくれた。

僕が美容師として生きる意味もやるべきことも教えてもらった。

美容師という仕事が大好きになり、一生の仕事にしようと思わせてくれた。

そしてたくさんの心の繋がりを感じさせてくれた。

その繋がりが、僕という人間をつくってくれている大いなる「源」。

お客さんたちや、今繋がっている家族や友達だけではない。

今は連絡のとれない友達や、嫌いな人、名前もしらないけど少し話したどこかの誰かも。

今まで、僕と関わってくれた全ての人たちが僕の源。

それに気がついたとき素直な感謝の気持ちがわいた。

人生で初めてした、心からの感謝だった。

その感謝を、その恩を、僕ができる僕のかたちで返したい。


そんな想いを胸に秘め、僕は夢である世界一周の旅にとびだしたのだった。

けれど、旅に出てたった一カ国目で僕は全てを失ってしまった。

旅をもう辞めてしまおうと思い、その後の旅の意味をかえた出来事が待っているとはこの時はまだ思ってもみなかった、、、


 

 

 

次のストーリーへと続きます。








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