横浜大洋ホエールズとともに生きていく【其の二・あの人のホームランに魅せられる】

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著者: 山口 寛之

1979年のプロ野球開幕戦。


セ・リーグは全て地上波で中継があったはずです。


なぜなら前年度優勝チームとはいえ、相手が巨人でもないのにヤクルトスワローズ主催ゲームが普通に中継される時代だったのですから。


このヤクルトの相手が横浜大洋だったわけですが、私の心に大きな衝撃を与えたのはある選手の3打席連続ホームランでした。


オバQこと田代富雄


少し前かがみになりながらバットを高く構える独特のバッティングフォーム。


三振も多いけれど、時折放つ一発が魅力の打者だということは後から知りました。


少なくともこの開幕戦では「ホームランだけを打つ凄いバッター」という印象だけが胸に焼き付けられたのです。


当時の新聞記事を保存しておいたはずなのですが、果たしてどこへやら…


ただ、この年の田代はかなりの不振に陥りました。


不振脱却を祈願して、七夕の短冊に


「田代選手ホームランを打ってください。」


みたいなことを書きました。


当時の記録を正確に調べることはなかなか難しいですが、その七夕の日に2本塁打を放っていたはずです。


10号、11号本塁打。


そうです。開幕で3本塁打を放ちながら7月時点でようやく2桁本塁打。いかに不振だったかがわかります。


でも、そんなことは私には関係なかったんです。


開幕戦の3本が私の野球人生を全てを決めてしまったのですから。


「横浜大洋ファンだ!田代選手のファンだ!」


長い長い横浜大洋ホエールズとの歩みがここにスタートしたのです。




【1979年】8年ぶりのAクラスに


59勝54敗17分 勝率.522 【順位】首位広島カープとは6ゲーム差の2位

1972年から続いていたBクラスを脱出し2位に躍進。ミヤーンが首位打者。平松政次が最優秀防御率。

平松、斉藤明、遠藤という3本柱が全員二桁勝利を上げた年でもあります。

ちなみに田代の個人成績は下記の通りです。

打率.235 本塁打19本 打点54 三振86

不振により基にスタメンを取って代わられることも多かった1年でした。

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横浜大洋ホエールズとともに生きていく 【其の三・のどかだった外野席】