You used to be my everything〜あなたは私の全てだった〜

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16歳だった。



もう、15年前の出来事だなんて時の流れの速さにドン引きしてしまう。




あの頃、英語に興味を持ち出した時期で、



文法ぐちゃぐちゃなりに英語をしゃべる度胸だけはずいずい競歩を始めていた。



16歳の夏休み、2週間だけオーストラリアはパースという街に海外研修が決まった。



フライトの経費削減のためか


大阪→マレーシア→3時間次便待ち→パースのコース。


そんな3時間滞在を女友達3人引き連れ空港を散策。


そこで彼に出会った。




彼の名前はDan.




彼は、道に迷ったらしく「両替所はどこか?」と聞いてきた。




英語がままならない&マレーシア空港初体験の私たちは一緒に探すことに。




比較的、英語をしゃべろうとするバイタリティーだけは持ち合わせていた私が

他の3人への通訳係となった。


聞くところによると、


彼はミュージシャンを目指す警察官。


バイオリンとピアノにたけており、その年に警官をやめて音大に進むんだとか。



すごく分かりやすい英語を話してくれていたんだろう。


なぜだろう。

高校にきているアメリカ人の先生よりスラスラ理解できた。



実は彼も、


大阪→マレーシア→イギリスへ帰る途中だったらしく、日本に1週間滞在していたんだとか。



話に共通点が生まれ、私の一挙一動になぜかウケてくれたのかよく笑ってた。



当時、彼は21歳。



その頃、私は長期間にわたって年上の男からのストーカー行為に悩まされ、



家に帰れば父は急性アルコール中毒で、



「男」ってものに失望していた私に、なんだか彼は一筋の光がさしたようだった。



「メールアドレス交換しよう」と彼が言った。



たまたまノートを持っていた私が代表で彼のメアドを教えてもらうことになった。


私たちのフライトの時間になり


バイバイをした。


ドキドキしてた。



オーストラリアに着いて、部屋を与えられ、そこにはパソコンが準備されていた。




さっそくhotmailでDanにメールを送ってみる。



すると、びっくりするぐらい返信が早くて、ちょうどログインしたところだとのこと。




「日本に1週間いたときは誰とも話ができなかった。

なんで日本にいるときに君と会わなかったんだろう」


そんなことを言われて16歳の私は舞い上がるしかない。




その彼からのメールの締めはいつも



"thinking about you always"

(君のこといつも考えてるよ)



だった。



今思えば、遊ばれていただけなのかもしれない。


でも、曇っていた私の毎日が輝きだした。



パースでの研修を終える頃には私の頭はブリティッシュモード全開だった。

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