死なないよ、死ぬまでは。

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会社の飲み会で事務所の近くの小さな居酒屋にきていた。

地元の有名人のサインがたくさん飾られていたり、全国で活躍しているアイドルやモデルが店長とツーショットで並んでいる写真が並べられていたりと、私が思っている以上に有名な店らしかった。

地鶏を売りにしているメニューは刺身を頼んでも炭火焼を頼んでもどれも美味しくて、繁盛するのが頷ける味わいだった。特にチーズチヂミは絶品。最初は具の何ものっていない質素なピザにしか思えなかったが、生地とチーズの組み合わせだけでこんなにも美味しいのかとビックリしたくらいだ。

お酒が苦手な私はソフトドリンクを飲みつつ、同僚の話に耳を傾けていた。

「伊藤ちゃんよりあとから入ったけど、年は俺のほうが上やから。人生の先輩ってこと」

相楽さんは胸をはって先輩風を吹かせようとしている。私は「はあ」と適当に相づちを打つ。

十人くらいで居酒屋にきていたが、まわりは各々で話をしていて盛り上がっているので相楽さんと私の間には誰もいない。私が入り口に一番近い端の席。その隣が相楽さん。

相楽さんは爽やかそうな見た目とは裏腹に、仕事には真摯に向き合い熱く語りだすことがよくある。少し肌の色が黒くイケメンでサーフィンでもやってそうなのだが仕事は私と同じく広告デザイナーで、友人からも身体を活かした職につくものだと驚かれたらしい。

ワックスで清潔に整えられた髪型の相楽さんは私にも熱い想いを伝えたいらしく、まずはその入り口として自身のバツイチ体験を語りだした。

相楽さんは何年か前に離婚が決まって最愛の娘と離ればなれにならなければならなかったこと。

それが何よりも辛かった。

自殺しようと考えていた。

そういったことを熱弁した。

私はぼんやりと聞いていた。ここで熱く自分語りをすることによって私にも熱い何かを話させ、人生の先輩らしくアドバイスでもしようとしているのではないか。それによって、普段人前で話すような内容ではないことを共有して、先輩面したいのではないかなと邪推なことを考えていた。

そんな風に話を聞いているから、相手はいい顔するわけがない。ただでさえ感情が不足している私は、余程つまらない話を聞かされて鬱陶しい顔でもしていたのだろうか。

相楽さんは少しキレ気味になっていた。

「んん?なんでそんな冷めとるん!」

急に相楽さんは問いつめてきた。私にそんなつもりはないのだ。嫌がって聞いてたわけではなく、淡々と聞いていただけ。その熱い想いに冷めたリアクションしたのがいけなかったのか。そんなこと言われても……。

離婚して娘と離ればなれになるから自殺しようとした話。

ああ、そうか。

普通はそういうことで自殺をしようとするものなのか。

私は返事に困った。

私にも自殺しようとした事はある。

私たちは死ねなかったのだ。

死ねなかったから、今ここで美味しいチーズチヂミを食べている。

それは最高に美味しい。

私は二歳半の時に、とあるスーパーの階段から転落した、らしい。

そんな衝撃的な出来事も幼すぎたせいで記憶なんてない。自分のことなのにね。

あるのは残された身体だけ。傷ついた身体だけが後にのこった。脊髄を損傷していて下肢は動かなくなり車いす生活を余儀なくされた。

歩いた記憶さえもない。歩いていたのだから転落したんだろうけど。どこかにその記憶も置き忘れてしまったのだろう。それすらも拾い忘れた。

私の足は幼くして突如動かなくなったのだ。私の身体なのに。私の足は動かないのだ。まるで下半身にだけ重りでも追加されたかのようで不自由以外のなにものでもない。私の身体にいきなり枷がはめられた。それは取り外せるわけもなく、ついてまわる。

救いだったのは過去との自分と比較できないことだろうか。今まではあんなことができたのに、障碍者になったのでできなくなった。あそこに行けたのに、行けなくなった。そんなことも幼い頃から歩けないから、照らし合わせようのしようがない。

でも、他人とは比較ができる。あの子はできるけど、私はできない。そんなことばかりで溢れている。そんなの当たり前のこと。障碍者を基準に社会が形成されているわけではないから、できないことなんてたくさんある。

明るいところから暗いところに落とされたのならともかく、最初から暗いところにいるのなら、その暗闇に慣れて少しはまわりが見えるようになる。

そこに明かりは灯るのだろうか。

見渡すは暗闇。仄暗い景色がうっすらと浮かんでいる。

私の目になにが映るだろう。

障碍者手帳というパスポートを手にして。

車いすの扱いにも慣れると前輪を浮かせて、ウィリーで軽い段差ならのぼれるようになった。高い位置にあるものは棒を使ったりしてとった。車いすから下りている時は、いつまでもハイハイで実家の中を駆け回った。感覚がないから足から血がでて怪我をしても、目視するまでは気づけない。家に集まってゲームをしてくれる友達だっていた。しかし階段があるだけで私はもうその先にいけなくなる。その階段がどこへ運んでくれるというのか。私にはただの壁だ。

不自由だと感じることは多々あれど、私は私の生活に慣れなければならなかった。

体育だって見学ばかりだった。楽しそうにみんなが走る姿を何故応援しなければならないのだろう。

私には走れる足がない。足はあるのに。

ここに、ちゃんと、みんなと、同じ位置に、足は、ついているのに。

筋肉を使わないことで、細いままの私の足が、ただ下半身にぶらさがっている。

私の意思はそこに存在しないのだ。

傀儡と化した、私の足。

ふとした時に泣いてしまうことがよくあった。

それは夜、静かで一人きりになった時。

きっかけは些細なこと。

ただ、走りたい。

それだけだ。

なんで私は走れない、歩けないのだ。

私はたったそれだけのつまらない理由で泣いていた。

走りたい。走ってみたい。

なんで私だけ。なんで歩けないの。

足はここについているのに。

なんでこの足は動かないの。

ついているだけ。動かない足。

この先も歩ける見込みのない足。

私をどこにも連れていってくれない足。

みんなといっしょに走りだせない足。

こんな飾りにもならないなら、いらないのに。

どうしてこんなことで泣かなければいけないの。

走りたい。走りたい。走りたい。

歩いてみたい。歩いてみたい。歩いてみたい。

お願いだから歩かせて。

どこから溢れてくるのか、

たったこれだけの理由でいくらでも泣けた。

枯れることはなく、いくらでもわいてくるのだ。

失礼な話、なぜ転落事故の時に頭もおかしくならなかったのかと恨んだ。頭もおかしくなってしまえばこんなに苦しまなかったかもしれない。こんなに泣く事はなかったかもしれない。

残念ながら私の頭は正常だ。正常にものを考えることができた。それが悲しい。私の足が動かないということを認識できるから。それが一番、悲しい。

私は障碍者だ。

私は私のことしか考えていない。

自分に余裕ができた時、それからまわりが見渡せるようになる。

そんな余裕なんて1mmもない。

私の景色は仄暗いままだ。

私が育った福岡の中心にある村では、三世帯を除けばみんな名字が「伊藤」だった。伊藤ばかりに囲まれた小さな村。

道路にたまに野生のシカがでてくるわ、小学生が手を広げたくらいの大きなクモがでたり、風呂場にゲジゲジがあらわれたりしたりで、それはもう山の中の小さな村だった。

村を一周するのに30分くらいですむだろう。坂道さえなければそれくらいだ。

そんな村で小学生の時、雪が降り積もった庭に車いすからダイブした。ほぼ山なので数十センチの高さになる。なんとなく雪を食べたりしていたら歯茎から血がでてきて、白い景色を私の赤で少し染めてしまった。さすがに血がでるのはまずいと思った私は、すぐに家に引き上げた。

雪で濡れて冷えきった身体はストーブとホットカーペットで温めた。雪が降り積もって友達とも遊びづらい休日の昼間に、私はテレビゲームをして遊んでいた。ゲームなら延々と何時間でもやっていられる。しばらくそれで遊んで、その日は終わるはずだった。

異変に気づいたのはお風呂に入る時。

足に大きな水泡ができていた。なんだこれは。

こんなに大きな水泡は見たことがない。またいつのまにか足に怪我を負っていた。

目視できなければ、どんな怪我でもわからない。怪我しているかもわからない。

私は母に報告してその日の行動を振り返った。

雪で体温の下がった身体。その身体を温めたホットカーペット。長時間したゲーム。極めつけは、なぜか正座でプレイしていたこと。

そう、低体温症による火傷だった。特に正座する時、下になっていた右足がひどい。

それだけではなかった。お尻も火傷していた。

私はゲームをしている時、同時にじわじわと自分の身体も火傷で痛めつけていた。

どこも痛くないのに。身体は反応していた。

こんなにもひどいことになっているんですよとサインをだしていた。

私にはその時、知らせてくれない。

気づいた時にはもう遅いのだ。

それから水泡を潰して軽い応急手当をしてもらい、ハイハイする時にそこがこすれないように注意していた。

怪我はよくしていたので、大人しくしておけばすぐ治ると思っていたが今回はそれどころではなかった。注意して過ごしていても、まだまだ小学生で動き回りたい盛りなので、ついうっかりやってしまうことがある。私も例にならって、気をつけなければならないことを忘れてしまうことがあった。

結果、右足の人差し指がとれた。火傷でボロボロになって、たまに床にこすられて、さらに痛めつけられた足は、悲鳴をあげる。

母が私に見せてくれた。

指が……とれた……と。

そんなもの見せられても私は感じないのだ。

火傷しようが、指がとれようが、私は感じない。痛くない。

下半身にだけ年中無休で麻酔をかけられている。解けることのない麻酔を。

指がとれた?肉が見えて、骨が見えて、そこにグロテスクなものが転がってて。

痛くないのだから、まるで他人事のようだ。

その指は私のなのに。

まるで私のものではないみたいに、そこにある。

痛みを感じないというのは怖い。

痛みを感じなければなかなか実感がわかない。

まだ奪うの?

私からこれ以上なにを奪うの?

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