毒母に育てられて9

前話: 毒母に育てられて8
次話: 毒母に育てられて10

20歳で母になった。それから、二人三脚で夫と育児をした。

私は20歳で、見知らぬ土地に移り住み、出産をする事になる。

出産前後は里帰りできる場所も無く産院へ来る者もなく少し寂しいような感じだったので看護婦さん達は察してくれたのか気を遣って優しくしてくれていたように思う。

結婚=幸せって直ぐには結び付かず、私は、折角、毒母達の居る土地から離れて安心するも今度は出産して母となるのと同時に、何故、自分は里帰りできる実家が無いんだろう?とか愛情を注いで貰えなかった事、褒められた経験がない事などが寂しさの塊となり大きく心に影を落としていた。

それまでは、毒母達から逃れたい一心だったので脱出する事しか考えておらず、結婚して出産して幸せになるはずが心はドンドン寂しさで支配され始め、自分は自分だと思って生きて居たはずが、いつからか人と比べて自分の持っているものの少なさなどを感じて嫉妬を覚え周りに敵対意識を持つ事もあったり、次第にトゲトゲした心が形成されたように思う。

どうして自分は母親に愛されなかったのか?

どうして普通の家庭に生まれなかったのか?

暗い過去を思い出し恨み、母親になったのに自分の中に娘の自分がいて、愛されたい、愛されたいって泣き叫んでいるようで情緒不安定になったりもした。

自分で自分のコントロールが出来なくなって主人に依存してしまっていたのと、寂しさを吐き出す場となって主人に当たり散らした事が何度かある。

ヒステリックになったり泣いたり暴れたりしながら、苦しんだ20代の半ば頃まで。

毒母だと思っている反面、その母に愛されたいって思う気持ちがあって複雑な感情に押し潰されそうだった。

周りの人が里帰りした話や母親に野菜を貰ったとか、そんな話を耳にすると、とても重暗い気持ちになった。

そして、お正月が何より嫌いになった。

その時期になると周りの人たちが、里帰りする話になるからだ。

帰る場所なんてなくて私は此処にしか居場所はないから、どんなに辛い事があろうと此処からは逃げる訳にはいかない。

立ち向かう事しか出来ず悔しさ、悲しみを背負ったまま生活は続いていった。

1人目の子どもは熱に弱く生まれて、間も無く主人が夜勤の日の夜中に突然、高熱が出て熱性痙攣を引き起こし、私は直ぐに救急車を呼んで、その間に入院の支度、ミルク、哺乳瓶やオムツをマザーズバッグに詰め込んで救急車に飛び乗った。

小5の時に弟が夜中に熱性痙攣を起こした経験があり非常に冷静に対応する事ができて過去の自分がある事も悪い事ばかりでは無かったのかも?と今では思える気がするけれど当時の自分には、そんな余裕も無くて起きた事の全てに過剰反応を起こしていたように思う。

その頃から良い自分と悪い自分の2人が存在しているような感覚があり悪い自分が現れた時に凄い大きな苦しみが起きて暴れた。私の場合は人を痛めつけず自分自身を追い詰めて自己を苦しめるような

感じだった。

いつも心の中は寂しくて何で生まれて来ちゃったんだろうって思っていた。

褒められず否定されて育った自分は非常に劣等感が強く傷つきやすい体質であった。それに加えて妄想癖もあり余計に闇を作り込みやすかったように思う。

その頃は世界中で私は一人ぼっちで、とても不幸なんだと思い込んでいた。

人とも距離を置いてバリアを張っていた。まるで鎧を着て盾を持って劔をかざしながら茨の道を走っているように。

常に何かと闘っているようで安心して眠る事も出来ず少しの物音でも飛び起きる位に神経が尖っていた。

トゲトゲした心は自分も周りの人も傷つけていった。

苦しみの中にいる時は周りの世界に気づけなくて視野が狭くなっているものだ。

暗いトンネルを随分長く歩いていた。

誰の事も信じられず、自分さえ不確実なものに感じてグラグラした所に、いつも立っていた。脆くて少し触れたら崩れそうな自己であった。



著者のFull Yukaさんに人生相談を申込む

続きのストーリーはこちら!

毒母に育てられて10

著者のFull Yukaさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。