TBSアッコにおまかせの藤井隆のラーメン食べ歩きにハガキを書いたら藤井隆さんが本当に来た話

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 いまだに健在、アッコにおまかせ。噂では打ち切りの話もちらほらですが、当時、高校生の私は東北の田舎村で、テレビくらいしか娯楽もなくて、お笑い番組や笑点が好きでした。




  当時の私は大人しく地味で、友人も少なかったのと、祖父母の影響でみるテレビ番組も渋いものが多くて同級生から変わっている子だと思われました。それは大人になった今もあまり変わっていませんが。


 


藤井隆
藤井隆のラーメン食べ歩き~



 そんなアッコにおまかせのテレビのフレーズを聞いて、私は、ふと思い出したのです。

 祖父の残した遺産のひとつ。趣味ではじめようとして作り、完成間近に転落死して、お店は祖父の娘、私の叔母が経営することになったラーメン屋。


 ハガキを出すだけ出してみよう。このオネエみたいな人、面白い。きっと売れっ子になる。失礼になるけど、まだそんなに有名じゃないうちなら、来てくれるかもしれない。


 私はその時、吉本新喜劇をみてそう思っていたのです。


 それでも全国ネットの番組に採用される確率は低いと思って、あまり期待せずにハガキを出したところ。




 数か月して、ハガキを出したことさえも忘れかけていた時期に

母親
ねえ、アッコにおまかせのプロデューサーって人から電話。何かのいたずら?



 いえいえ。いたずらではありません。出した記憶があるのですから。


 震える手で、受話器をうけとり、声まで上ずってしまいました。


 電話の内容は、ハガキを読んで、藤井隆本人が、ここも取材したいと申し出てくれたそうでした。売り出して間もない自分のファンだという子がいるなら、食べに行きたいと言ってくれたと聞いて感極まってしまいそうでした。


 想いが通じた!!と一瞬だけでも心が通じたんだと、とても嬉しかったのを覚えています。


 そして取材の日を聞いてショックを受けました。その日は歯科衛生士の専門学校の推薦入試の日で、千葉県にいなければならない日でした。


 会えない・・・。人生で初めての芸能人と会うチャンスだったのに、まさかの推薦入試の日。



 我が家は掛け持ちで何個も受験しても良いというような家でも父親でもなくて、ダメなら実家石材業のダンプの運転手というプレッシャーもかけられていて、運動音痴の私が、マニュアル運転のダンプなんぞとんでもない話で、この推薦入試で合格しないとあとがありませんでした。



私が会えないのは仕方ない。でも、おじいちゃんの作ったラーメン屋は、いろんな人に知って貰いたい。完成させて、たくさんのお客さんに会うのを楽しみにしていたのに、あと一週間で完成、そんな時に亡くなったので、少しでも宣伝になることがしたかった。


 とはいえ、高校生の私にできることは、友人知人に紹介するくらいで、しかも交友関係が狭い、社交的ではない自分の人脈なんぞでは、役に立てないことは目に見えていました。


 そんなときにチャンスが巡ってきたのです。掴んで握りしめて、絶対に放すつもりはなかったです。


 

 叔母はにわかに信じがたい話を聞いて一度悩みましたが、優しく目元が緩んだ笑顔で


 全てを叔母に託して、私は試験を受けに、父親と共に千葉県へ向かいました。なぜか妹まで同行していましたが。その話はまた今度。


 ビジネスホテルで一泊のまさに夜。もう撮影は終わったのだろうか。藤井隆さんは帰ったのだろうか。叔母さんはサインをもらってくれたのだろうか。


 など、明日は小論文と面接だというのに、定員より受験者数も多いというのに、私は藤井隆さんに会えなかったことが、少なからず、ショック受けていました。


 そこに。



父親のピッチ、今でいう格安スマホ、が鳴り響きました。


 

父親
・・姉ちゃん。叔母ちゃんから、電話。藤井さんが話したいって。
え・・・・?


緊張して何を話したかあまり覚えてません。だけど、最後に聞いたセリフだけ。いまだに覚えている言葉があります。


当時の名物だったホット!ダンスの掛け声が聞こえてきたのです。


 泣きそうになりました。こちらこそ。


 いつも笑わせてもらって、元気をもらってありがとうなのに、おじいちゃんのラーメン食べに来てくれただけでも嬉しいのに・・・。




  実際は放映されたのは5分くらいの短い時間です。


 私はテレビに映りません。私のハガキが読まれ、地元では叔母とその子どものいとこは脚光を浴びましたが、ハガキを出しただけの私はすぐに話題にも出なくなりました。テレビの効果で数か月は満席という嬉しい悲鳴でした。



 その数か月後。

藤井さんは大ブレイクし、時の人となってしまうのです。


 藤井さんが覚えているかもわかりません。それでも、私はあの時嬉しかった気持ちを胸に、もう女子高生ではないけど、密かに藤井隆さんの活躍も楽しみにしています。


 ありがとう。藤井隆さん。


私は「歯科衛生士」になりましたよ。



  

 

 



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