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13/5/18

28歳で投資銀行を辞めてアメリカ留学予定だったのに、フィリピンに語学学校を設立してしまった経緯の話(第一話)

Image by Olia Gozha


「「御社の次の成長戦略は海外です。ことさら東南アジアは今後生産年齢人口が大幅に増加していくので、消費財を売り込むには又とない市場です。」」

投資先の社長「うーん。海外かぁ。リスクも高いだろうし・・・」

「「これからは中小企業であってもグローバルな展開は不可欠です!さぁ、ご決断を!」」


当時投資銀行のコンサルティング部門にいた私は、この仕事の経験値と共に

経営者に対しても物怖じしない自信を持って、様々な企業の成長戦略策定業務

に取り掛かっていた。




私が5年半お世話になったD社は、地元九州の経済成長を金融面を切り口として

支援する投資ファンド運営会社であり、2005年に創業して以来、九州の独立系投資会社では、一番の規模を誇っていた。



私自身も、2006年に入社してから4年程ファンド担当者として数百人に上る

経営者に会い、少額投資も含めれば十数件の投資案件を担当し、

また投資先の取締役等も経験させて頂いた。



ファンドには、大きく分けて4つのステージがあり、

①案件発掘、②投資検討/実行、③ハンズオン/モニタリング、④売却

これを①→④の流れで行い、投資した額よりも最終的に売却する金額の方が

大きければ、ファンドとして収益が上がり、投資家に還元できる。



特にD社では、非上場企業への投資を専門としていたため、

投資対象は会社の株式であり、その株式の価値を上げるためには、

一言で言えば、会社の業績を上げる必要があり、それがファンド会社

としての腕の見せ所でもあった。


ただ投資して、勝手に業績が上がる企業なんてめったになく、

またリーマンショック後の世界的不景気の中では、③のステージの

ハンズオンと呼ばれる企業支援がとても重要になってきていた。



そのような流れを受け、D社も投資後に専門家を送り込み業績アップを

狙うためのハンズオン専門部隊(コンサルティング部隊)を結成した。



もともと企業経営に興味があった私は、これこそ我が道と思い、

このチームに参画させてもらった。この社内異動が結果的に今後の

私の人生に大きな転機を与えた。



まさか、数年後にフィリピン・セブ島に語学学校を設立するなんて

夢想だにしていなかったのは言うまでもない。


(つづく)


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