元不登校生の生い立ち④

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よくある不登校生の話です。アルバイト生活〜写真という表現方法編


少ない給料の中と少ない制作時間に、フルタイムで働いていたアルバイト生活に嫌気がさして、辞めた。その時点で25歳だった。絵を書くにしても、展示をしてみてもパッとせず、絵を書くこと自体が自分には合わない気がしていた。アルバイトを辞めてからは、失業保険が運良くすぐに受けれることになり、失業保険をもらいながら、またも制作しては、カフェで展示をしたりしていた。


自己満足しか得られない、自分の粗末な絵やデザインに苛立ちすら感じていた。販売の仕事を辞めたにもかかわらず、夜の勤務だったせいか、夜になぜか眠ることが出来ないということもあった。自炊はしていたものの、炭水化物の摂取が多かったせいか、体調も芳しくなかった。自分自身を取り戻すために、食生活と睡眠から改善しようと、自分の生活習慣を少しずつ変えていった。


玄米生活を取り入れて、一汁一菜を心がけたせいか、心も体も健康を取り戻しつつあった。マクロビをうまく取り入れながら、ヨガを家で心がけて生活して、好きなギャラリーを巡っていた。


そんな中、

六本木のギャラリーでたまたまアーヴィング・ペンの写真に出会った。単純なタバコの吸い殻だけの写真だったのに、その写真に取り憑かれるように、ずっと見ていたくなるような不思議な写真だった。


その時からだった。写真、もう一度やろう。と心に決めたのは。ロンドンの学校でファインアートを勉強した時は、写真を使った作品を制作していた。ただ、ロンドンの大学は技術力を教える、というよりは自分が何を作るかを主体に置いていたため、写真を撮る上でカメラの使い方が全く分からなかった。絵を描いていた時は、写真を使った作品は作っていなかった。


私が作品を作る上で、いろんなものを見て、考えて感じた時に、イメージとして湧いてきたものを二次元として捉えることで、作品を作ってきた。それは、デザインでも絵でも変わらない。自分が手を動かして湧いてくるものもある。理由付けで、理論的な観点から作るものを作れない。また、自分の作品の題材として、自分のアイデンティティや社会的な立場から見た自分を、何かしら自分から発するものを作品にしていきたい、そうした時に、絵もうまく書けない、デザインもなんと無く空っぽなものしか作れない、そんな時に写真という手法は自分にとっては、一番合っていると感じてた。


じゃあ、自分が写真を作る上で、必要だと感じる技術はどうしたらいいんだろう?親に、もう一度写真の学校に行かせてくれないか、と何度か頼んだ。


自分の親は、学校に行っても、きちんとまた行くのか、そこで100パーセンと自分のものにして学べるのか、そういうのもあったのだろうと思う。「だめだ、そんなことはできない」その一点ばりで、お金の無い自分には学校という選択肢はなかった。自分でローンを払って、学校に行くという選択肢も考えたが、借金しながら生活をしていく、という生活に自分は耐えられそうになかったため、その選択肢も無かった。


とある地方の会社で、カメラマンアシスタントを募集している会社があった。なぜ、東京のスタジオやアシスタントを選択せずに、その会社に行こうと思ったのか分からない。


23歳で大学中退をした後も、自分は写真をやるのか、イラストやデザインで食べていくのか、考えていた。その時にもその会社の求人を見て、実際に面接に行こうと決めていた。なぜか分からないが、そこの会社に惹かれているものがあった。だが、イギリスから帰ってきた人間が、カメラマンアシスタントという、日本の激しい社会に対応できるか、分からない、とにかく、今は孤独な大学の留学生活を終わらせて、好きなものだけを作りたい、そう思い、23歳の時は東京でのアルバイト生活を選んだ。


その時点で年を跨いで、26歳、生ぬるいアルバイト生活に終止符を打つために、カメラの技術を身につけるために、身寄りも無い自分はシェアハウスに住んで、その会社の面接を受け、運良くそこの会社に雇ってもらった。





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