欧米人とつきあうためのキリスト教の基礎知識(5)
欧米人とつきあうためのキリスト教の基礎知識(5)
ニーファイ第一書の後半には、手にした旧約聖書と比較できる記録を何とか残すために苦労している様が描かれているんです。新約聖書のかなりの部分は、ローマ帝国の記録などから本当のことであると確認されているんですけど、モルモン書はこのあと、ニーファイたちがアメリカ大陸に渡るので記録が少なくなり、確認が困難になります。
だから、
「モルモン書などデタラメだ!」
と主張する人も出てくるんですね。インカ帝国の時代は謎に包まれているし、その前の時代は文字がなかったそうで、文書による確認が難しい。でも、難しいから存在しなかったとも言えないんです。
私は、
「仮説は証明されなければ、真実ではない」
というスタンスなので、狂信的にモルモン書は正しいと主張なんて、しませんよ。
ニーファイ第二書
ニーファイ第一書に書いてあることは、大雑把に言うと、神様のお告げがあってエルサレムは崩壊するので荒れ野に脱出して苦労する話。兄たちが叛いて苦労する話。
「バカみたい」
と思いましたか?私は、バカみたいと思いました。でも、エルサレムが崩壊したのは歴史的な事実だし、荒れ野をさまようのも無意味なのか徐々に疑問を持つようになったんです。
皆さんは、自分の人生を振り返るとまったく無意味な暗い時代があったんではないですか?レーマンのように文句を言うだけの人もいるでしょうけど、
「あの時代があったから、今がある」
と感じている人もいるはず。
私の四日市高校時代は、勉強以外なにもない暗黒の時代です。でも、10年、20年と過ぎてみると、あの暗黒の時代があったからこそ塾講師として生徒たちの苦労に共感できる気がします。
私はクリスチャンですけど、少林寺拳法二段ですからね。塾生を怒鳴りつけるときの迫力はかなりあるようです。マジメな生徒を守るためには、悪い生徒を何度か追い出しました。強制退塾というやつです。
日本人は、クリスチャンというと日本文化や仏教の聖人をイメージするらしく、
「悪い生徒をたたき出すなんて、キリスト教徒してあるまじき行為!」
と思う人もいるみたい。実際、四日市の教会員からは陰口の嵐だったようです。どうでもいいけど。日本のクリスチャンの数は、伝道に頑張る宣教師が気の毒なくらい増えません。
だって、私も言われましたもん。
「仕事と教会とどっちが大切なんだ」
って。アメリカの教会ならありえないですよ。アメリカなら、仕事を頑張って収入が増えれば、税金を多く払って地域社会や国に貢献できるわけだから、拍手です。
ところが、日本の教会員は仏教の出家のイメージらしいんです。貧乏を自慢している人さえいた。金持ちや学歴が高い人は、
「神様の教えより、名誉や金を優先した」
と、批判するんです。バカバカしい。だから、日本の教会は好きではありません。私は、ユタ州のブリンガムヤング大学のMTC(宣教師訓練センター)で、日本に向かう宣教師の卵に会ったことがあります。
彼らが気の毒です。日本人の石頭教会員が、
「クリスチャンは変な人」
というイメージを植えつけている気がするんですよ。
斉藤由貴さんも、不倫を3回も報道されて、それでもモルモン教会が放置しているようで、変な教会というイメージが広く拡散しそうで残念ですね。
彼女も、ニーファイやレーマンのように荒れ野を旅して苦労した方がいいのかもしれないね。
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