アメリカで英語話せない二人が飛行機乗り遅れて死にそうになった話
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見事にゲートは閉じていました。
僕らは完全に飛行機に乗り遅れました。
そこにいた人に必死にどうなってるか聞いたら親切に日本語で
「何度も呼んだのに!なんでこなかったんですか!」
全然アナウンスなんて聞こえてなかった。
僕
代わりの飛行機を至急お願いします!
空港の人
航空券を見せて下さい
僕たちはこれでもかと航空券をみせた。
その人は航空券の裏をみながら室井さん並に眉をひそめた。
空港の人
こちらのチケットでは代わりの飛行機をとることはできません。
普通の航空券はそういった時のサポートがしっかりされている。
もし乗り遅れても代わりの飛行機を無料でとってくれるようにサービスに入っているのだ。
ただ僕らの券は格安旅行券。
そんな保証がないから安いのだ。
空港の人
明日の同じ時間に飛行機をとりますか?250$かかりますが。
もう取るしかなかった。なんとか無料でお願いしますと何回もいってもがダメだった。
空港の人
預けた荷物を受け取ってまた明日来て下さい。アメリカをもう一日楽しんで下さい。
楽しめるわけなかった。
英語もできない僕らはどうすればいいかわからなかった。
さらに運の悪いことに要であるPCも預けたトランクに入っていた。
ネットに繋がれば留学している友達にも連絡がとることができる。
留学している友達は携帯をアメリカの友達の車の中に忘れていたため携帯はなかった。
なんとか僕らは荷物をとりにサービスカウンターに行きました。
さっきの搭乗口のとこは日本行きの便だったので日本語が話せる人がいた。
ただJFKは国際的な空港。
荷物受け取りサービスカウンターは日本が通じるはずもなかった。
サービスカウンターには黒人の大柄な女性が受付だった。
僕は片言の英語と演劇部のような大きなジェスチャーで説明した。
僕
飛行機に乗り遅れた!荷物はまだ運びだされていないはずと搭乗口の人に言われた。荷物を返してくださいm(__)m
受付の大柄の女性
何言ってるかわからない!
こんなやりとりを何回も続いた。
電子辞書とか使いながらなんとか伝えた。ただ全部を伝わってはいなかった。
荷物がない以上何もできない。PCも荷物の中。
僕は紙に書いたりして選挙演説並に必死に説明した。
受付の大柄な女性
荷物は成田にいっているはず。ここにはない!
僕
そんなはずはない!さっき搭乗口の係の人が荷物はここにあると言っていた!頼むから探してくれ。
そんな感じで僕らはなんとか探してもらうように頼んでいた。
ただ僕らの後ろにも何人かサービスカウンターに用があって並び始めた。
僕は必死に探してくれと言っていたが、片言の英語なので受付の女性もイライラしていた。
受付の女性
ないものはない!それにあなたが何をいっているかわからない。英語が喋れないなら1分以内にここをでてけ!!
英語をしゃべれなく僕らは出されてしまった。
いろんなサービスカウンターを回ったが、ダメだった。
なんとか留学している友達に連絡をとろうかと思ったが、友だちはバスで1時間かけて帰っている途中。
携帯はなかったので、見事に連絡を取る手段はなかった。
空港の周りの情報なんてわからず、僕らは中庭のようなとこで座って絶望していた。
近くに美人な外人が写真を撮ってくれと言ってきて、いつものら盛り上がっているけど、全く盛り上がれずにいた。
アメリカで次の日の飛行機の時間までどうすればいいかわからなかった。
アメリカで野宿とかはさすがに怖すぎた。
ただでさえこの旅でいろんな外人に危ない目に合わされているのに、そんな中僕らは次の日の飛行機までなんとかしなくてはいけなかった。
当時携帯もガラケーだったので、どうしようもなかった。
まだiPhoneに僕はしていなかった。アメリカにいく前にiPhoneにしようと迷っていた。
友達はiPodtouchを使っていたが、アメリカに持ってくるのを忘れていた。
僕たちは、会話もなくぼーちゃん並に呆然としていた。
そこで僕は1つ思い出した。
僕の携帯はガラケーだが、グローバル対応だった。
少しパケット代は高くなるが、一応海外でもiモードにつながる感じだった。
留学生の友だちに僕はダメ元でmixiでメッセージを送った。
(当時はまだ僕はFacebookやっていなかった。この旅でちょうどこのアメリカの友だちからFacebookにすごさとアメリカでどれくらい利用されているか聞いたところだった)
「飛行機乗り遅れた。やばい」
もちろんこのメッセージを見るのは友達が家に帰ってパソコンを開いた時。
だめもとで送ってみた。
1つの希望として僕は何回も繋げて、メッセージが着ていないかチェックした。
多分1分ごとぐらいにつなげていた。
すると20分後に
なんとメッセージが来ていた。
「マジで。もう俺マンハッタン戻ってきちゃた。ホテルとかとれた?」
僕はそこらへんにいるギャルなんかより早いスピートでメッセージを返した。
「まだhotelとかとってない。スーツケースは成田に行っちまったらしくてパソコンがない。」
「まじか!。 明日飛行機何時?? 空港からもう出れるとこにいるの?
そしたら俺の家か、マンハッタンでどっか探して泊まるか!」
本当に心強かった。
最初に止まったホテルの前で待ち合わせになった。
僕らは行ったところなら行けたのでなんとかがんばって最初のホテルまでいった。
留学している友だちはバスに並んでいる最中たまたまiPodtouchをいじっていた。
そしたらたまたま公衆のwi-fiにつながったので、たまたまmixiをチェックした。
そしたら僕からメッセージが着ていたというわけだ。
iPodtouchとmixiと公衆wi-fiに僕たちは土下座した。
友達と合流しスタバで友達のPCのSkypeでホテルを取ってくれた。
なんとか僕たちはマンハッタンで寝れるところができたのだ。
次の日早めに空港に着き早めにセキュリティーチェックを済ませ、飛行機に余裕をもって乗りました。
そして一日遅れで無事日本に帰って来ました。
アメリカに行って感じたことはまだまだ自分が小さいこと。
まったくグローバルなことに興味がなかった僕はもっと自分は国際的にならなくてはいけないと感じました。
この旅は僕の人生を変えたといっても華厳の滝並に過言ではありません。
そしていくつかのウェブサービスに助けられたと感じました。
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