会社を辞め、30歳からバスケットボールを始めた理由 2

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うまくいかない人生の始まり


思春期以降、僕は一日の90%は鬱屈した気分で生きていた。

確かに高校はつまらなかった。もっとワクワクするような日々を想定していたのに、待っていたのは、何も起こらない毎日で、画期的な手法もあるわけではないのにひたすら受験問題だけを解かせる田舎の公立進学校の日々に辟易していた。高校時代のクラスの女の子の顔は一人も思い出せない。

勉強をするわけでも、何か他に趣味があるわけでもなく、ただ毎日学校に行って家に帰り、テレビを見て、それで3年間終わった。

当然大学にも落ち、浪人しても勉強しないまま2月を迎え、試験は惨敗。結局小論文で受かった学校に滑り込んだ。

大学では酒が飲めずにすぐ部活を辞め、彼女ができることもなく、ただ「自分には何かがあるはずだ」という根拠のない自意識だけを増長して4年間を終えた。

社会人になってからは、自分にふさわしい仕事の場所を追い求め続けた。「これは俺がすべき仕事じゃない、もっとクリエイティブなことがしたい。これは俺がすべき仕事じゃないからできなくても気にすることはない」

ずっとそうやって生きていた。「イマ、ここじゃないミライ」を、求め続けて、今まで生きていたんだ。


本気ってなんだろう?


本気になったことなんて一度もない。成功もないけど、失敗もしたことがない人生だった。全部不戦敗。本気でやってないから、思ったことが適わなくても傷つかない。これがだめだったならあっちでいけばいいや。すぐ切り替えるから、鬱々とした気持ちを何年も引きずっていても、死にたくなるほどつらいこともない人生。

せっかく、たくさんのモノを、チャンスを与えられてきたのに、全部無為にしてしまった。

えらそうに周りに夢を語ってきたけど、本当に心が震えることなんて1つもない。



目の前のバスケットゴールを見て、ふとある日の光景が浮かんできた。


通っていた中学校の校舎。

吹奏楽部の音と、遠くから運動部の「ファイト!」という声が響く中、見上げた先は体育館―。






そうだ、僕はバスケットボールがしたかった。


僕が中学に入学した1995年は、その中学で史上初めて、そして今後ももうないだろう、一度だけ、男子の部活入部者で、バスケ部が野球とサッカーを上回った年だ。理由は、僕らの世代なら誰もが知っている。前年、「スラムダンク」の人気がピークを迎えていた。

およそ運動に縁のない男子でも、メガネ君に憧れてバスケを始めたころだ。

僕は1つもできるスポーツはなかったが、バスケだけは好きだった。

ボールがゴールを通る、あの「カシュッ」という音がこの世の中で一番好きだった。

だが、しかし、僕は小4のころから、長距離を走ると時々アレルギーの発作が出て、呼吸がうまくできなくなり、体中に巨大なじんましんができるという厄介な体質を抱えていたために、走ることに恐怖心をもっていた。

走らずにバスケをやることは――できない。。


中学生の僕は、体育館に背を向けて、まだ十分に明るい空の中を一人帰途についた。



そうか、僕の人生がうまくいかなかくなったのはあの時からだ。

やりたかったバスケットをやらなかった時からだ。


よし、バスケットボールを始めよう。

17年後の僕は、そう思い直し、時計を確認した。

まだ間に合う!

小川町のスポーツショップまでボールを買いに走った。


「人生をやり直すんだ」




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