【筋肉は世界の共通言語】元高校球児が、10年かけ筋肉バカドットコムというサイトを作るまでの話。<1回目>
挨拶
はじめまして、遠藤大次郎と申します。
今この文章を書いている僕の年齢は30歳です。
現在「筋肉バカドットコム」というサイトを運営していますが、
そこに至るまでの道のりをお話しできればと思っています。
この話しをするために人生の節目となった約10年前へとさかのぼります。
何回かに分けて書いていきますので宜しくお願い致します。
プロ野球選手を目指していた
20歳になる少し前、19歳の時にアメリカのアリゾナ州という場所に僕はいました。
その目的は独立リーグというプロ野球のテストを受け、
プロ野球選手としてスタートする為でした。
まだ当時、日本では誕生していなかった、独立リーグですが、
アメリカやメキシコなどでは一般的で、月給8万円前後という厳しい契約条件ではあるものの、
お金をもらって野球ができるというプロ野球選手の道がそこにありました。
日本では高校や大学、社会人クラブで活躍をして日本プロ野球界でドラフトにかかるのが一般的ですが、
日本にいる間のキャリアとして無名の選手でも、海外の独立リーグなどで揉まれながら成長をし大きな活躍をすれば、その能力を買われドラフトにかかる可能性が僅かにあるのです。
いわゆる逆輸入選手と言われるタイプです。
その道を目指すために独立リーグのテストへ僕は参加しました。
アリゾナの球場に現地のスカウトが集まっていたわけですが、
具体的な内容としてはフェニックスカレッジというアメリカ現地の学生と練習試合をし、その内容を見て、独立リーグへの合否を決めるというものでした。
英語は喋れない、小学生以下の英単語でコミュニケーションをとる
その日、ピッチャーである僕に登板の機会が与えられました、
バッターはもちろん、自分の守備を守ってくれるのも、外国人。
学生時代に学校での勉強に興味が湧かなかった僕は、普通科の授業はそっちのけで、
野球の本や、授業とは関係のない本を読み、世の中には凄い人が沢山いるんだな!授業の話しよりも何倍も面白い!僕も負けてられない!とテンションを上げて生活していた為、
おかげで授業の赤点は積み重ね続けます。野球をやる為に大学へ進学するつもりはありませんでした。
先生には怒られ続け、時に心配され、
あらゆる教科において成績の悪いバカな生徒として認識されていきます。
野球をしているときと、授業を受けているときのお前は物事に対する真剣さは別人だ。表情が違う。ある意味怖い(笑)そんな事を友人から良く言われていました。
そんな長年の学生生活だったため英語はイエス、ノー、オーケー!マイネーム・イズ・エンドウ!
そんなレベルしか使えないわけですが、ピッチャーや野球としての英語は使うことができたため、
キャッチャーとの意思疎通がかろうじて図れます。
スライダー、ファーストボール、スローカーブ、インコース、アウトコース
僕はバッターを抑える為に、こういう風に投げていきたい、
サインはこの5パターンで頼む。
名前も分からない外国人のキャッチャーが親指を立てOK!と返事を返してくれました。
わずか30秒にもみたない、バッテリーのコミュニケーション
ショートやセカンドとも牽制球はあるから。その時は頼む、といったお願いを済ませます。
そしていよいよ1イニング限定のテストが始まりました。
みごと3者凡退、ノーヒットに抑える
中には190センチの黒人バッターもいて体格に圧倒的な差があり威圧されつつも、
変化球とコントロールに自信があった僕は
いつも通りの得意の配球でバッターを翻弄し、内野ゴロとフライを重ねてノーヒットに抑えます。
バッターは打てそうなのに打てない!といった感じで空振りやゴロを重ねていき、
悔しがりバットを地面に叩き付ける打者もいました。
男性の観客が僕の独特の投球フォーム、そしてスライダーに空ぶる打者を見て
「イッツミラクルボール!!」
観客が見事といわんばかりに、僕の投球に対しそんな声を上げていました。
1イニングという自分に与えられたチャンスで結果をだし、野手とグラブタッチをしてベンチに戻ります。
自己満足であるものの完ぺきな内容です。
中学から軟式野球をはじめ、高校野球、
そして1年だけ専門学校へ通い、社会人野球の経験。
10代の大半を費やした野球の経験値は、アメリカのアリゾナ州の球場で出し切りました。
あとは合格をもらい、独立リーグの選手としてのキャリアをスタートするだけです。
現実の結果は・・・、不合格
独立リーグのテストに限らず、トライアウトと言われる合同テスト(以下:トライアウト)は、
合格の可能性がある選手には試合後、スカウトから声がかかります。
連絡先の交換や、独立リーグの参加に向けて条件交渉などです。
しかし、ノーヒットに抑えたはずの僕には声がかからなかったのです。
原因は分かっていました、
ストレートのスピード、球速不足です。
どんなにコントロールが良くても、130キロ程度では高校野球レベルであり
ハイレベルの野球では空振りがほぼまったく取れません。
実際に良くてファール。
決め球のフォークを持ってきても、やはり球速の点から見逃されたり空振りは難しいのです。
つまり、仮に、トライアウトでヒットを打たれていても
145キロのストレートを出せる投手の方が素質として圧倒的に魅力的であり、
コントロールなどのテクニックがその時点で洗練されていたとしても、プロの世界では何年がんばっても結局活躍できないだろう。という判断なのです。
これは野球のデータ的にいって、まったくもって正論なのです。
この結果を素直に認めました、僕にはプロ野球選手として将来性はない。
中学校で野球部のキャプテンになり、高校でエースピッチャーとして投げ、
自分なりに成長していたつもりでしたが、20歳までに最低でも独立リーグでプレーするレベルに達する。
という目標、それが到達出来なければプロとしての将来性は客観的にみてないとアメリカに行く前から決めていました。
その最終結果がシンプルに突きつけられたのです。
野球はとても好きだし、真面目に続けてきたのだけれども・・・。
フェニックスカレッジの選手やトライアウト関係者の方々にセンキュー!と挨拶と握手をし、僕は日本に帰ることにしました。
スポーツを仕事にすることは甘くありません。
運動に才能がある人がプレーをしなければ、プレーに迫力はなく、当然お客さんも来てくれないのです。
帰国はしたけれど何もない、これから何をするべきかを考える
僕は小学校の卒業文集に、将来の夢という項目にプロ野球選手になりたい。
と書いていた事を思い出しました。
しかし夢に到達できなかった現実。そしてこれからは何か別の目標をたて、仕事をして生活費を稼いでいかなければいけない。
僕はアルバイトの求人雑誌を買ってきて、面接を受け、受かりやすい日払いや短期アルバイトを始めました。
そして色んなアルバイトをしながら、これから何を目指していくべきかを悩みます。
そんなある日、ふと気づきます
なぜ、僕はこれほどまでに野球を仕事にしようとしてきたのだろうか?
僕は野球を通じて何を実現したかったのか。
この先、野球じゃなくても実現できる事はあるのではないだろうか?
僕はそれを明確にするために、紙とペンをテーブルの上に置き、一人で書き始めました。
ちょうど20歳を迎える頃だったと思います。
つづく
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