雑誌を作っていたころ(01)

雑誌を作っていたころ(01)
▼他61件のストーリー
このエントリーをはてなブックマークに追加

「ラ・レクラーム」

 最初に「雑誌」と名のつくものを作ったのは、大学5年(!)のときだった。医学部の5年生ではない。理学部化学科で3年生を2回やっていたのだ。

 ぼくは広告研究会というクラブに所属していたのだが、何年かぶりに機関誌を出そうという話になり、留年して大学に残っていたぼくと、同じく留年中だった物理科の西村の2人が編集部員になった。雑誌のタイトルは「ラ・レクラーム」。フランス語で「広告」のことだ。わが学習院大学広告研究会は、伝統として機関誌にこのタイトルをつけていた。

 たった2人のど素人が作るにしては、B5判平綴じ124ページというのはかなりの重量級コンテンツだった。中でも年間テーマであった「カセットテープの青年層における動向調査」と題した30ページの論文は、もう1人の編集部員である西村の力作。部員を総動員して実施した市場調査の結果分析を微に入り細をうがつマニアックさで展開したものだ。この雑誌は、これが載っているだけで存在価値を高めた。

 当時、学生が何か活字で出版しようとすると、活版でも写植でもない「タイプ印刷」というスタイルがコスト的にお決まりだった。表紙まわりはグラフィックと広告だから今と変わらない雰囲気だが、本文を見るとやはり時代を感じる。奥付の発行日は、昭和53年(1978年)7月1日だ。

 それでも広告研究会なので、広告だけは頑張って営業した。表2は博報堂と第一広告社、表3はキッコーマン、表4は電通である。中面にはこちらで版下を製作した地元商店の角雑広告を12本入れた。広告収入だけで制作費を捻出したのだから、学生の仕事としては立派なものだと思う。

 しかし制作は難航した。とにかくぼくも西村も、出版のことは何も知らない。原稿用紙の使い方にしたって、小学校で習った以上の知識はない。段落の初めは1字下げるのだが、カギ括弧の場合はどうするのか。字送りの都合で行頭に「!」や「?」が来てもいいのか。あらゆることが不明なまま、印刷屋の親父さんにいちいち教えてもらった。

 校正にしても、どう記入したらいいのかわからない。今ならささっとできることが、当時は何時間もかかったものだ。まあ、知らないというのはそういうものだ。

 タイプ印刷の直しは、簡単な修正ならホワイトで消して打ち直すのだが、字送りや行送りが変わると全面打ち直しになる。当時の和文タイプライターには記憶装置などないから、完全なやり直しだ。そのことを知ったとき、あまりの非効率さに愕然とした。活字というスマートな外見とはうらはらに、出版とは恐ろしいほどの労力を必要とする仕事であることが、ほんのちらりとだが垣間見えた。それは鳥肌が立つような強烈な印象だった。

 だが、将来自分がその方面の仕事に就くなどとは微塵も思わなかった。今も昔も、勘の悪い男だったのだ。ともかく、「ラ・レクラーム」は何とか世に出すことができた。これがぼくの関わった雑誌第1号だった。



読んでよかった
このエントリーをはてなブックマークに追加
このストーリーをブログ等で紹介する

卒業に6年かかった物理科の西村です。最早すっかり忘れていた懐かしい話を思い出しました。有難う。

おや、ご本人登場。勝手に登場させてしまい、すみません。

山崎 修

出版制作会社社主。編集者。ライター。開業アドバイザー。 おもな仕事は、単行本の編集・執筆と雑誌の取材・執筆。そのほか平均して月に1回程度の講演(創業塾など)。最近作った本のリストは、ここに。 http://booklog.jp/users/yamasans 会社のホームページはhttp://yu

山崎 修さんが次に書こうと思っていること

|

最近「読んでよかった」がついたストーリー

私が「ストーリーカウンセリング」を立ち上げるまで 【あなたの人生も必ず何かに導かれている】

これから肺がんを生き抜いていく人たちのために(2)

「元素の勉強」に驚きと感動を!!熱狂と興奮を!!とある塾長の実録奮闘記

ソフトバンクの孫社長に個別コンサルしてもらったら。気がついたら起業してた話。

28歳で大学に入学した僕が32歳新卒で6社内定をもらう奇跡(ノウハウ編)

医療事務でのイジメで人間をやめようと思った日の記憶

「安定していけば、生涯年収2億円」僕は大学を辞めることを決めた。

〜死に場所を探して11日間歩き続けたら、どんなものよりも大切な宝物を見付けた話〜【第一話】『うつ病になった日…』

第14話 1本の木と奇妙な夜 【少し不思議な力を持った双子の姉妹が、600ドルとアメリカまでの片道切符だけを持って、"人生をかけた実験の旅"に出たおはなし】

断捨離が行き過ぎて家まで無くなった話。

共感覚から見た「 不安 」と「 希望 」の色

【地球の裏側で元ホストと旅をして学んだ魔法の言葉】

あいりん地区で元ヤクザ幹部に教わった、「○○がない仕事だけはしたらあかん」という話。

世界196ヶ国60万人の中から、日本人唯一25人の中に選ばれた時の話

典型的なコミュ障理系院生だった自分が某大手お菓子メーカーの飛び込み営業チームのリーダーとしてなんとか一年間務め上げた話 その①

山崎 修

出版制作会社社主。編集者。ライター。開業アドバイザー。 おもな仕事は、単行本の編集・執筆と雑誌の取材・執筆。そのほか平均して月に1回程度の講演(創業塾など)。最近作った本のリストは、ここに。 http://booklog.jp/users/yamasans 会社のホームページはhttp://yu

山崎 修

出版制作会社社主。編集者。ライター。開業アドバイザー。 おもな仕事は、単行本の編集・執筆と雑誌の取材・執筆。そのほか平均して月に1回程度の講演(創業塾など)。最近作った本のリストは、ここに。 http://booklog.jp/users/yamasans 会社のホームページはhttp://yu

山崎 修さんの他のストーリー

  • 雑誌を作っていたころ(09)

  • 山崎 修さんの読んでよかったストーリー

  • 家にドロボーが入って、●●を盗られた話。みんな家にはちゃんと鍵かけようね。