音楽に国境は存在しなかった。言葉がなくても語ることのできたカナダ5ヶ月留学。

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こんにちは。長野県小谷村-OTARI-の古民家で宿を運営しているたつみです。

自分の過去を書きまとめる作業、5回目でございます。

誰もが持つ過去から紡がれる物語の断片を。

自己満足にもネットの世界へ解き放つ次第です。

お暇な方はどうぞお付き合いいただければこれ幸いにございます。



さーむおあてぃけん?

-2004年1月

さらば日本!!

当時高校二年生で17歳のぼくは上空何万mに浮かぶ鉄の塊の中で快適な空の旅を満喫しておりました。

両親とコーディネーターのお姉さんに見送られ半日くらいが過ぎた頃。

ぼくは両親から贈られたおニューの電子辞書を開いたり閉じたりしながら持て余す時間を長くない半生と、1年半くらい過ごした高校生活を振り返っておりました。

10時間程の空の旅は果てしなく長く感じる時間ではありますが、これから始まる異国の地での新生活のエピローグとしては最適な時間でもありました。


機内を世話する乗務員は日本人と外国人の半々で、中には男性の乗務員の方も交じっております。

機内の時点でなんだか国際的。

席に設置された文字媒体の冊子なんかも至る所にアルファベットがちりばめられております。


「きっと英語なんてのはぼくからすれば得意な範囲だろう。」

留学を決めた当時から、ぼくは根拠のない自信をかいがぶっておりました。

コミュニケーションや友人関係に不自由をおぼえたことのないキャラであったその頃の自分。

山村留学という過酷な幼少期を過ごしてきたぼくには、外国だって持ち前のテンションで乗り切れる!!そんな非論理的で楽観的な考えでおりました。

若き自分はなんとも純粋無垢であっぱれな17歳だったのです。

(幼少期に過ごした山村留学については、過去に書いた「古民家ゲストハウスの創り方」をご参照ください)


そんなあっぱれ男子の根拠の無い自信はまだ留学が始まってもいない上空の機内で、一瞬に粉砕され天空の塵と化しました。

それはいまでも忘れない機内食の配膳での一幕です。

ワゴンを押して進む長身の白人男性の添乗員がなにやら小声で客とぶつぶつとやり取りをしながら機内食を手渡しておりました。

ぼくの右前方に背の高い青い目の添乗員がぼくを見下ろしながらつぶやきます。


外国人添乗員
さーむおあてぃけん?
たつみかずき(17歳)
。。。??
わっと??
外国人添乗員
あー。
(ちょっと大きな声で)
さーむおあてぃけん?!
たつみかずき(17歳)
えーー。なになに。えーーー?!!
さーむ??


まるで巨人のように見下ろし威圧するかのような青い目の添乗員に、ぼくはクエッションマークいっぱいの「さーむ??」を投げかけました。

すると彼は首を傾げながらぼくの席のテーブルに機内食を置いてそそくさの次の客に配膳をしていきました。

なにが起こったのはわからず、呆然とアルミホイルが被せられた四角い皿の中身を覗くと。。


そこには鮭のムニエルが美味しそうに湯気を立てておりました。

隣のおじ様の皿の上には、ハーブがふりかけられた鳥のオーブン焼きが湯気を立てておりました。

機内で「さーむおあてぃけん?」を理解できずにいたのは、きっとぼくだけであったでしょう。

根拠の無い自信を天空の塵へとあっけなく明け渡してしまったぼくは、赤く焼けたサーモンを見つめながら。

これから始まる5ヶ月間のカナダ留学への不安の重力に押しつぶされそうになっている。

ぼくのカナダ留学は、こんな感じになんともさい先悪くスタートするのでした。



とぅないと・ぱーりー♪

ぼくが目指すはカナダアルバータ州のエドモンという、事前知識皆無の町でありました。

エドモントンはカナダ南西の玄関口バンクーバーより、飛行機でロッキー山脈を東に越えた1時間程の町。

この町がぼくの留学先となった理由は、バンクーバーやトロントの大都会と違い圧倒的に日本人留学生が少ない!!というものでした。


コーディネーターのお姉さん
語学を身につける為には日本人が多く住む町に行ってはだめよ



との、コーディネーターのお姉さんの教えによるもので。

特に土地柄や事前知識を知っておきたくない!というぼくの意向で、ほぼ無作為に選ばれた町がこのエドモントンだったのです。


自信喪失の中バンクーバーに降り立ったぼくは、巨大なスタイリッシュ館溢れる空港ターミナルの中で独り彷徨い、視界に入る全ての光景が異国の人々で埋め尽くされ。

「ここは日本ではない!!」という当たり前の事実を再確認したのでした。

「I'm in Canada!!」

当時日本に当たり前には無かったスタバでコーヒーを飲む外国人を眺めながら、ぼくは心の中で叫びました。

異国の地で独りぼっちな自分。

なんだか不思議でたまらなく、ここが現実の中であるのかすら定かではありませんでした。

とは言え、現実的にぼくは国際線から国内線へ乗り継ぎを果たさなくてはなりません。

コーディネーターのお姉さんが丁寧に書き記してくれた留学先までたどり着く為のメモを何度も何度も凝視し、国内線を目指したのです。


日本からぼくを運んだものと比べるとあからさまに小降りな飛行機は、暗闇が支配する大地への滑走路に降り立ちました。

飛行機の車輪が機体を減速させながら、流れるアナウンスは全てが外国語で。

ぼくが理解できたフレーズは「気温、マイナス43度」だけでした。

え?なにそれ??そんな寒いの?!!!

幼少期を過ごしてた小谷村の真冬の最低気温がマイナス10度前後。

冷凍庫も同じくらいでしょう。

雪国育ちのぼくはさほど寒さに驚くことはありませんが、まさかのまさかのマイナス40度台。

驚愕の温度です。

寒さとプラス、窓の外は滑走路に転々と光る灯り以外は確認できず、ぼくはどんなところに来てしまったのだろう??

と、不安しか持ち合わせていない精神状態でありました。


小さな空港のターミナルに出ると、そこには初老の夫婦に見える二人が「Kazuki」と書かれた画用紙を持ち微笑んでおりました。

1日の半分以上を移動に費やし、開口をしたのは必死に絞り出した「さーむ??」とパスポートを出した時だけでだったぼくは。

異国に降り立つ不安も合わせ、この初老の二人の微笑みに心底安心したのでした。

「はい。あいむかずき!!」

満面の笑みを惜しげも無くご披露したぼくは自己紹介も早々に車に案内され、極寒と暗闇が支配する大地へと、この二人に誘われるがまま走り出したのです。


ぼくの留学生活がここから始まる!!

そんな期待に満ち溢れた新生活のスタートは、機内同様極寒の大地に注ぐ一滴の雫と化したのでした。。


ホストママであるジュリーが走らせる車はひたすら暗闇の大地を進んでいきます。

時折現れるオレンジの光を照らす外灯と看板で、この道はフリーウェイだということがわかりました。

ジュリーの隣に座る男性はマイク。この時点では彼の存在は謎でしかありませんでした。

「確か、ジュリーは離婚し息子さんと二人暮らしだったはず。」

エージェントのお姉さんからホストファミリーにについての話は簡単にだけ聞かされており、一度だけホストママのジュリーとはメールでのやりとりをしたことがあったのです。


ネイティブカナディアンの初老の二人から発せられるネイティブイングリッシュは、ぼくの脳みそを何回転もし処理できない解読不能な単語と文法はすぐさま脳内から泡のように蒸発していきました。

「こんなにもぼくは英語が理解できなかったのか。。」

「さーむおあてぃけん?」の時点から広がった黒雲は乗車5分の時点でいくつもの稲妻を轟かせておりました。

舐めてた。海外。完全に舐めてた。。

時、既に遅し。引き返そうにも引き返すにはそれなりの語学力が必要であるのです。

5ヶ月間のカナダ留学は開始してものの5分。

ぼくは自分自身の脳みそのスペックを生まれて初めて呪いました。

とは言え、ただただ落ち込んでいても仕方ない。

ぼくはどうにかどん底に沈みかけているテンションを保ち、明るく「ぱーどぅん??」を繰り返したのでした。


車内での英語論争が繰り広げること約10分。

余りにもぼくが言葉を理解できないことを理解した初老の二人は黙り込んでしまいました。

この10分にぼくが理解できた言葉は


①ようこそカナダへ。〜自己紹介〜よろしくね。

②これから家に帰るよ

③今夜はパーティーがあるの♪


の3つでした。

ぼくはこれから家に帰り歓迎のもてなしをしてもらう。それがジェリーの言う「パーティー」なのだと思い込みました。

長旅の疲れはあるものの、一日でも早くホストファミリーと仲良くなりたい!

その想い一心で、新居でのパーティーが楽しみでなりませんでした。


車は30分程でホストファミリーのお家へ到着。

極寒マイナス40度に再び足を踏み入れ、呼吸をすると。肺の中まで凍ったような感覚でした。

雪はあまり多くなく、家の周りに15㎝程が積もるのみでした。


家の扉を開き中に入ると、それはまさに海外のお家!!

キッチンとリビングが繋がった広い空間は白を基調とした清潔感漂い明るく輝き、食卓の上に豪華な食事が並び大柄なホストファミリーの息子さんが出迎えてくれて!!

。。。


て。。。??


あれ?おかしいな?

案内されるまま入った家の中は暗く、ダイニングテーブルにぼくを歓迎する豪華な料理が並ぶことも無く。。

ぼくを歓迎して止まないはずのホストママは、ハテナが脳内を占拠しているぼくの速度を無視しながら足早にリビング、バスルーム、キッチンを紹介していきます。

そう。次々と。

大きなオーブンを開け、「らざにあ」とジェリーは眼鏡越しにぼくにつぶやきました。

それから階段を下り、ぼくがこれから生活をする部屋を案内しました。


リビングに戻るとジェリーとマイクは玄関からまさに出て行こうとしいるところ体制で

「とぅないと・ぱーりー♪しーーやっ!!」

と、出て行きました。


ぼくは暗いリビングに立ち尽くし、いままでの過去に飛び交った英文を少しずつ整理していきました。

。。。


あ!!!

パーティーって、ぼくのやないんや!!!


衝撃的な事実を推測の上で理解し、ぼくは大変な勘違いをしていたことに気がつきました。

そして、到着の夜にホストファミリーがぼくを独り家に取り残し自分たちのパーティーに出掛けていってしまうという大胆不敵な行動に唖然としたことを、いまでも鮮明におぼえています。

暖かいのはオーブンの中のラザニアだけ。


これから始まる異国の地での留学生活は、不安の暗闇の中で、静かにスタートしたのです。





ハイスクールライフ in カナダ

カナダでの新生活が始まり1週間。


初めの1日2日はジェリーに銀行口座開設や身の回りの買出しの世話をしてもらい、すぐさま高校での生活が始まりました。

高校では新学期が始まったところで、どうやらカナダの高校は日本の大学の様に自分で専攻する授業を選択できるようです。

1日90分の授業が4コマ、それの4コマの授業が1学期間毎日繰り返されます。

そこら辺の諸々の手続きをよく理解できないままぼくが専攻した授業は

1限目理科、2限目家庭科、3限目ESL(留学生用の英語カリキュラム)、4限目音楽。

なんともバラエティーに富み勉学そっちのけなハイスクールライフとなるカリキュラム!

とは言え、英語だらけの授業は全てが苦痛となること必須でありました。




ぼくが通うジャスパー・プレイス・ハイスクール、通称JPHSは全生徒数2,000人のマンモス校で、その半分が留学生です。

カナダは移民の国と称される国で、大変国際的なお国柄。

アメリカと比べると人種差別が深刻ではなく、銃による殺人もほとんど起こらない国なんだとか。

比較的外国人を受け入れる気質で、且つ安全な国とされています。


JPHSには様々な人種の生徒がいて、それはそれは国際的でありました。

中国、韓国、インド、インドネシア、イラン、アフガン、メキシコ、モンゴル、ロシア、ヨーロピアンetc..

2,000人のマンモス校の全校生徒の中で日本人はわずかに5名。

「日本人」というだけで仲良くなれてしまう人数でありました。

1週間の内に日本人の先輩留学生全員と挨拶を交わしたものの、ぼく以外の日本人留学生は既に数年在学しており、受講するカリキュラム等は全く別。

学校で顔を合わせることはほとんどありませんでした。

言葉が通じることでの安心感を頼りにしてはいけない!!

そう言い聞かせ始まったハイスクールラライフ。


にしもて。

マジで言葉がわからんの!!!


1限目の理科では、素敵なロシア人のイケメンプレイボーイ君と仲良くなり。
2限目の家庭科では話さなくとも共同で作業ができ。

3限目のESLでは皆英語がわからん人々だけになるので問題無く。


ぼくの中で大変ネックとなったのが

4限目の音楽の時間でした。


「音楽」=「MUSIC CLASS」

どんなカリキュラムなのか全くわからず専攻したこの授業。

音楽を専攻した理由はぼくの留学中にする!!と決めていた目標の一つ

【カナダでバンドを組む】を実行する為のものでした。


どこまで愚か者だったのか留学前のたつみかずき!!

お前は音楽どころか英語ですらひっかかっておるのだぞ!!


4限目の音楽の授業での最大の難点。

それは、この授業だけネイティブカナディアンしかいない!!

ということでした。

カナダ人はわかり易いのです。


興味があれば食いついて、面白ければ絡んでくる。

とにかく、おもしろけばOKといった純粋な価値観を持った人々が多いのです。


イコール

「興味も無く面白くもなければ素無視するのが当たり前!!」


なかなか日本人では考え難い人間性をもっておるカナダ人。

クラスに異国人の転校生が来た日なんかは、きっと誰しもがちやほやして熱心に日本語を教える生徒が現れることでしょう。

こんな人任せな日本人なりの価値観を、カナダ人は誰一人持ち合わせていなかったのです。


しかも音楽の授業内容というのが

吹奏楽とマーチングとビックバンドジャズを足して割った様なバンド形態での授業!!

どれも楽譜必須の音楽形態!!
楽譜を読めずに音楽を始めたぼくは、その当時ドラムを独学で始めて1年ちょっとが過ぎたひょろっひょろのドラマー入門者であったのです!!

(バンドを始めた経緯は、過去に書いた「音楽との出逢い。それは人生の大きなターニングポイントの一つとなった。」をご参照ください。)


しかもこの授業、何故だかいつになっても講師が現れず。

生徒は皆、自分自身が担当する楽器を手にしては思い思いに楽器演奏に勤しむ始末。

「あのー。せめて授業始めてくれませんかねーー??」

とのぼくの心奥底でつぶやかれる言葉に耳を傾ける者は誰もおりません。


音楽室の隅っこでなにをする訳でもなくただただ座り適当に音が鳴っている空間に佇む17歳の日本人の男の子。

それはもう思い返すと哀れで仕方ありません。

クラスの皆ー!!ぼくの姿、みえてますかーーー???

まるでぼくは透明人間にでもなったような感覚でありました。

この頃にぼくは初めて知りました。

「独りで感じる孤独より、誰かといて感じる孤独の方がよりつらい。」

普段当たり前に話す、【言葉】というものが、こんなにもぶ厚い壁になるのだと痛感したのです。



やっぱりアジア人とカナダ人って、違うよねー。


留学生活が始まり1ヶ月。

ぼくは頻繁にアジア人グループとつるむ様になりました。

そのグループは中国・台湾人が中心で、韓国人、日本人が集まる20人程の一団でありました。

休日に集まり過ごすグループでもあります。


家までの帰り道は、学校の最寄りのバス停からショッピングモール行きのバスに乗り、モールのバスターミナルで乗り換えます。

ウエストエドモントンモールという名前のショッピングモールは北米最大のモールで、800の店と2万台
の駐車場がある巨大な施設で、このモールが毎夕の通学路となりました。

特にモール中央にある中華スーパーのフードコートは中国の食べ物や日本の寿司が一貫から販売されていたので、日本を懐かしむのに最もリーズナブルな場所であったのです。


放課後はよく留学先輩で英語が堪能なあき子さんという姉のような日本人女性と共にしておりました。

不慣れなカナダでの生活を姉のような彼女に頼り切っていたことは言うまでもありません。

(あの時のご恩は一生は忘れませんm(__)m)

そのあきこさんに連れられ、週末はよくアジア人グループで遊びにいくことがお決まりとなっておりました。

留学をするアジア人は日本の音楽やドラマ、アニメが好きな人が多く。

カラオケに行っては日本の曲で盛り上がっていたことをよくおぼえております。


カナダは18歳になれば成人で、酒や煙草、ポルノ雑誌が解禁となります。

逆に未成年に対する規制が日本よりも厳しく、飲食店等では必ず身分証の提示が必要となります。

その為週末は大抵カラオケに行くか、誰かの家で朝まで吞む!というのがほとんでありました。

留学時代には特にアジア人の友人に世話になりっぱなしであったのです。


ある時、中国人の誰かが言いました。

「アジア人は優しい奴が多くていいな!それに比べてカナダ人はなー。

やっぱりアジア人とカナダ人って、違うよねー。」


その言葉がぼくには疑問でなりませんでした。

このときこそこうやってアジア人で一緒になってつるんでいるけど、普段ぼくたち日本人は日本人以外のアジア人をどう見ているのだろうか??

京都の自身が通う高校では「やっぱり大阪と京都って違うよねー。」と、誰かが言っていたことをおぼえております。

もしかしたら宇宙人が現れたその日には、人と人は一致団結して「やっぱり地球人と宇宙人は違うよねー。」つぶやく日が来るのでしょうか?!


人と人、人種と人種の違いなんて実際は特に無く。

ただ自分が属する場所や範囲によって、人は人との共通点を見出し。

逆に敵対するべき欠点を探してしまう生き物なのかもしれない。

ぼくはそんなことを考える様になりました。


結局は【人】

ぼくはもっともっと、この留学でたくさんの人を知り。

もっともっと深く繋がりたい!

そんなことを思ったのです。


韓国人の友人が酔った勢いでぼくに言った

「俺はお前のことが好きだ。

でも、俺はどんなに努力しても日本人のことを心底好きになることはできない。」
という言葉や。


ESLの授業で

「あなたが信じるものはなんですか?」という質問に

アラー」と答えたアフガニスタン人の女性の言葉が。


この3つの言葉が、留学中に特にぼくの中で考えることとなった言葉でありました。




音楽に国境は存在しなかった。

留学開始から2ヶ月が経ち、ぼくを悩ませ続けていた音楽の授業に、遂に講師が現れました。

どうやら新学期早々体調を崩し入院していたのだそうです。


この頃のぼくは、言葉に対するストレスが極限に達しており。

朝シャワーを浴びていた時にホストママから浴びせられた

「かずき!!シャワーは一日15分までよ!!」との怒号がきっかけて張りつめていた色々なものが溢れる寸前となっておりました。


人生で味わったことの無い孤独感。

ビジネスライクなホストファミリー。


いまとなってはどうにでも改善できたであろう小さなことが、当時は大変つらいものでありました。

基本前のめりでマイペースを貫き通しどの環境でも上手に溶け込むことのできる、はずの自分。

そんな自分が言葉という壁の前に成す術無く。

ぼくはシャワーを浴びながら「嗚呼。この水と共にぼくも流れてしまいたい。」

そんなことを考える日々となっておりました。


そんな時に現れた音楽の先生、ミスターポスト。

彼は登場するなり短い自己紹介と生徒の出席を足場やに取り始めました。

ぼくの名前を呼ぶ時に、彼はぼくを見てこう言いました。


ミスターポスト
かずきさん。
あなたはもしかして、にほんのかたですか??
(片言の日本語で)
たつみかずき(17歳)
わっと??
え、はい。日本人です。


クラスの一同が聞き取ることのできなかった言葉を話すぼくらを凝視します。

彼は続けて言いました。


ミスターポスト
わたしは、むかし、にほんのようちえんで、えいごのせんせいしてたこと、が、あります。
よろしく、おねがいします。
それで、あなたは、なんのがっき、やりますか?
(片言の日本語で)
たつみかずき(17歳)
へーそうなんだ。
あ。
一応。ドラムです。

彼はそれから英語で昔日本の幼稚園で働いていたことがあることを話し。

ぼくが日本人であることと、ドラムをやることを話してくれました。

「へー。あいつ、日本人なんだ。」誰かがつぶやきました。

(カナダ人からすれば、アジア人の人種の違いを顔で判断することはできません。)

その日から、ぼくの留学生活は少しずつ変わっていきました。


ある日、3限目の授業が早く終ったのでぼくは音楽の教室に向かいました。

長らく叩いていなかったドラムを叩く為です。

誰もいない音楽室には、ギターとベースのアンプ、ドラムだけが設置されています。

白いドラムセット。

ぼくは、誰もいない音楽室にドラムの音を響かせました。


高校に入学して以来ぼくの生活は音楽が中心にありました。

どれだけ再生したかわからないMDと、どれだけ口ずさんだかかわからない音楽と。

高校1年生の初めにあった、人生のターニングポイントとなった出逢いがあってぼくは音楽と関わって生きている。

ここカナダでも、ぼくは音楽とこうやって関わることができている。

そんなことを考えておりました。


しばらくぼくがドラムを叩いていると、教室に一人見慣れた大柄なカナダ人のクラスメイトが入ってきました。

彼は音楽クラスではベースを弾いています。

彼とは、と言うより。ほとんどのクラスメイトと話したことのないぼくは、緊張し演奏を辞めようとしました。

その時、ぼくは彼と目が合い、彼は「keep on keep on」と優しくつぶやいたのです。

肩にかけていたベースを下ろし、アンプの電源を入れ、彼はぼくのリズムに合わせベースを鳴らし始めました。


音楽室にドラムとベースの低音が響きます。

音と音が重なる瞬間。

ぼくは、初めて先輩に誘われて見に行った練習の時に受けた衝撃を思い出しました。

爆音が教室のガラスを震わせ、ぼくの鼓膜から入った音が心を揺らした瞬間の感動という感覚。

それはもっと穏やかで優しいもので、それでいて、あのときに勝る【感動】が、そこにはあったのです。

もう一度目が合い、演奏が終ると。

彼は親指を立て「good」と、ぼくに微笑みかけました。

「ぼくはカイロ。かずき?だったね。良い演奏だった。」


それはまさしく。

音楽が言葉の分厚い壁を。いとも簡単に打ち崩した瞬間でした。

そもそも壁なんてものは無く、ぼくが勝手に積み上げていたものだったのかも知れません。

言葉が違っても、楽譜が読めなくても。

ぼくはそのとき確かに、音楽で語り合うことができたのです。


それからカイロはぼくをギターやドラムのメンバーに紹介しました。

「こいつ、ドラムなかなか叩ける奴なんだ。」

ぼくはそれから、通じない言葉で話しをするようになりました。


言葉がわからない時は「ごめん、何言ってるかわからない。だってぼく、日本人だから!」

と冗談めいたことを言う様になりました。

カナダ人は純粋で、面白ければOK。

言葉が通じなくても笑うぼくにつられてたくさん笑顔をくれるようになりました。




3ヶ月が過ぎ、4ヶ月が過ぎ。

ぼくは少しずつ言葉が理解できるようになりました。

一人でダウンタウンに出掛けることも、レストランでメニューを注文することも。

初めてのお使いの様にどきどきしながらではありますが、できるようになっていきました。


理科のクラスメイトイケメンロシア人イリア君の縦横無尽な社交力の恩恵を受け、陽気な中国人の恩恵を受け、個性の強い音楽のクラスメイトの恩恵を受け。

ぼくには言葉の通じない友達がどんどん増えていきました。


音楽クラスの4泊5日のミュージックトリップでは他校と演奏会で共演し、ロッキー山脈を間近で見上げ、その頃にはクラスの一員となっておりました。


6月の卒業式を目前に、韓国人のギタリストの友人が「卒業式で演奏するバンドをやろう!!」と声をかけてきてくれました。

韓国人のギタリスト・ピアニスト、カナダ人ベーシストカイロ、日本人ドラマーたつみ。

無国籍な即席jazzバンドを結成したのです。

留学前に立てた目標を達成できた瞬間でもありました。


卒業式での演奏は上々。

たくさんの拍手をもらいステージを後にしました。

それは同時に、ぼくのカナダでの最後の演奏となったのです。





そーりー。たいむとぅーごー。

「かずき。日本に帰らずに、俺とバンドやろうよ!!」

PCにメッセンジャーでカイロがぼくにそんなメッセージをくれました。


留学が始まった約2ヶ月間の孤独と、それ以降の時間は全く相反する時間となりました。

音楽を通じ、打ち崩した壁。フラットになったカナダでの時間はそれはもう楽しいことしかない時間でありました。

学校にいけば愉快な仲間いて、週末に集まる仲間がいて、(今回の話では書けなかった)家には気の合うルームメイトがいて。

そして、4月からできた素敵な彼女なんかがいたりして。。

日本に恋いこがれていたぼくには、帰国を躊躇する理由が幾つも存在していたのです。


このまま残ってハイスクールを卒業し、カナダのカレッジや大学を目指すという選択肢もありました。

でも、帰ろう。


ぼくは留学中に様々な価値観を与えられました。

それは文化的な違いや、習慣の違い、宗教の違い、歴史の違い。

違いの中で気づいたことと、違っていてもわかりあえるということ。


その中でぼくがいかに「母国、日本のことを知らないのか」ということ、を知りました。

日本人がいかに、メッセージ性や意味を知らずにファッションで衣服を纏っているのか。

自らの地域の現状や歴史を知らずに過ごしているのか。

生まれ育った日本を知らずに、外国に憧れを抱いているのか。


外を知れば知る程、ぼくは内なるものを知らないことを知りました。

だから、ぼくはもっともっと日本を知りたい!!

ぼくには、帰る理由が生まれたのです。


カイロにぼくはこう言いました。

「ありがとう。でもね。

ぼくはもう行く時間なんだ。ごめん。」




あれからもう10年になります。

ぼくはいまも、あのときの感動の感覚を忘れられずに音楽を続けています。

崇高な理由は何一つありません。

ただ、音楽が好きなのです。

でも、少しだけ崇高な表現をするのだとすれば。

ぼくが、ぼくらが奏でる音や発する言葉の断片が。

誰かの鼓膜から心を揺れ動かすことが出来るのかも知れない。

ぼくが音楽で感じた、感動という感覚を誰かが感じるのかも知れない。

そんな少しばかりの願いを込めて。


ぼくはこれかも音楽と共に生きていきたいのです。

音楽に国境なんか存在しない。


音楽が世界を変えれるかなんて知ったこっちゃないね。

でも、確実にぼくの世界は変えたんだ。




長文&乱文を最後までお読みいただきありがとうございます。

もしよろしければ現在活動しているバンドと運営している宿のリンクを下記に記載いたしますので、ご高覧いただければこれ幸いにございます。


◯現在活動しているバンド

小宮山門前ブルースバンド HP

小宮山門前ブルースバンド 初音源1st.THE DEMO PV


◯運営している宿

古民家ゲストハウス梢乃雪 HP

梢乃雪二号館ゲストハウスカナメ Fb


文:たつみかずき

読んでよかった
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このストーリーをブログ等で紹介する

私もカナダに留学したので、辰巳さんの気持ちが良く分かりました。本当に初めは英語が聞き取れず、何を言っているのか意味不明ですよね。そんな時は、笑顔とジェスチャーで乗り切っていました。

Hamanakaさん
こんにちは。
コメントありがとうございます!
私はもう言葉がわからないことをのりにしておりました。笑
この物語に書いているミュージックトリップでギターで弾き語りをしたことがあるんですが、そのときだけ「歌っていると英語にきこえる!」と言われたことがあります。
いまでも変わらずに英語はわかりません。。笑

国境なんて、関係ないのですね!

たつみ かずき

はじめまして。 こんにちは。 さようなら。 また明日。 知ってる人も知らない人も。 すれ違う人も語り合う人も。 「どうも。たつみです。」

たつみ かずきさんが次に書こうと思っていること

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たつみ かずき

はじめまして。 こんにちは。 さようなら。 また明日。 知ってる人も知らない人も。 すれ違う人も語り合う人も。 「どうも。たつみです。」

たつみ かずき

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