子どもに寄り添う"愛され辞書"はこうして生まれた。『学研 新レインボー 小学国語辞典』制作の裏側
学研プラス(Gakken)が生み出す、数々の個性的で魅力的な商品・サービス。その背景にあるのはクリエイターたちの情熱だ。学研プラス公式ブログでは、ヒットメーカーたちのモノづくりに挑む姿を、「インサイド・ストーリー」として紹介しています。第6回は、小学生向け辞典でトップクラスのシェアを誇る『新レインボー小学国語辞典』の編集担当であり、辞典編集部の編集長でもある森川聡顕です。
「はじめに言葉ありき」
とは聖書の一節だが、言葉とは人と人とがコミュニケーションする際に必須のもの。こうした世の中で使われている無数の言葉の意味を解き明かしてくれるだけでなく、表現の基準ともなってくれる存在が「辞典」である。
調べものをするときには頼りになるが、普段はどうしても近寄りがたいというイメージを持ってしまいがちな辞典。しかし今や、小学生向けの辞典は、子どもたちが手に取りやすく使いやすい、フレンドリーな雰囲気をまとっている。近年では、辞典のオールカラー(4色刷)化が進んだこともその大きな要因だ。
この辞典のオールカラー化を、業界で初めて実現したのが学研の『新レインボー小学国語辞典(以下:『新レインボー』)』である。教科書もオールカラーとなるなど、小学生の学習環境は変化していた。2色刷から4色刷にすることで、より身近に感じてもらえ、辞書が持つ近寄りがたさを払拭した、と評判になった『新レインボー』は、小学生向け国語辞典でトップクラスのシェアを誇っている。
『新レインボー』のオールカラー化を始めとする開発の仕掛け人、森川聡顕。子どもたちに愛される辞典を生み出す情熱と開発の裏側、そして、新しい時代、森川の目指す“新しい辞典”を探った。
■辞典の進化を生んだ、編集者の情熱と職人の技
コンテンツのデジタル化による出版不況が言われて久しいが、驚くことにこの時代でも小学生向けの辞典は、需要を伸ばしている。その理由を、少子化は進んでいるものの、子ども1人あたりの購入数が増えているため、辞書全体の販売数は伸びているからだと森川は語る。
「小学校では、3年生で国語辞典の引き方を、4年生で漢字辞典の引き方を習います。そのため以前は、3年生で国語辞典を購入するのが一般的でした。それが近年は小学生の入学の際に、お祝いのような形で購入し、1年生の時から使い始める方が増えています。そのため3年生で国語辞典の使い方を本格的に習う時には、多くの生徒が引き方を知っている状態ですし、学校で使い始める頃には、すでにボロボロになってしまい、2冊目や3冊目を購入する、というお子さんもいるんですよ」
小学生向けの国語辞典は、文部科学省の学習指導要領の改訂や教科書の改訂に伴って行われる。『新レインボー』も、これまで約5年ごとに改訂されてきた。そして2015年に発売されたオールカラーの第5版では、小学生向け国語辞典の中でトップシェアとなった。
「支持していただいた要因は様々だと思うのですが、もっとも分かりやすいのは、小学生の学習環境の変化に対応し、他社に先駆けてオールカラー化したことです。より親しみやすく読みやすいと感じてもらえたと思います」
小学生向け国語辞典を出版しているのは、学研も含めて主に5社。2015年当時、『新レインボー』のシェアはわずか8%ほどだった。シェア拡大を狙う策として4色刷のオールカラー化案が、第5版の制作時に挙がった。しかし、これまでその案が実現していないのには、それだけの理由があった。当時、薄い辞典用紙に4色の印刷をすること、そしてその印刷のクオリティを維持することは非常に困難とされていた。
それを可能にしたのが、印刷会社の努力と現場スタッフの職人技だった。既存の印刷機にもかかわらず、薄い紙への美しい4色印刷を成功させた。さらに、最新の『新レインボー』第6版においては、製紙会社の粋を極めた辞典用紙の開発に成功。薄さを維持しながらも破れにくく、透けにくく、美しい発色。そんな相反する条件を満たした夢の紙が、『新レインボー』のシェアを拡大する力となった。
「紙が薄くなれば原価は下がると思われがちですが、実は薄くするほど、高度な生産技術が必要なんです。オールカラー化は、印刷会社や製紙会社の尽力なくしてはなしえないものでした。学研の編集部だけでなく、関係部署、関係会社などの英知と努力の結晶が、この1冊なんです。」
『新レインボー』第5版以後、後に続くように他社もオールカラー化を実現した。そんな今でも、この辞典が支持されている理由がある。素材や仕様にとどまらず、内容自体も読者の使いやすさを考えてアップデートを続けているのだ。例えばページをめくっていくと、すぐ目につくのが「ことば選びの まど」というコラムページ。「驚く」や「感動する」といった、作文でよく使う、“感情を表現する言葉”の、類語を集めたページだ。
「実はこれ、同じ部署で大人向けにつくった『ことば選び辞典』から得たアイデアなんです。『ことば選び辞典』が90万部に達したことでも分かる通り、類語辞典への需要が大きいことに驚いたのですが、大人がこれだけ便利と感じるのなら、子どもでもこういう機能があったら使いやすいんじゃないか、と思い、このコーナーを企画しました。
例えば作文を書くときに『感動しました』という書き方をします。すると子どもたちは『なになにに感動しました……なになににも感動しました……また感動しました……』と、作文のなかで繰り返し同じ言葉を使うことになります。でも『感動』という言葉は、色んな表現の仕方があるんだよ、というのを知ってもらうページなんです。こういう形で示すことで、自分の今の気持ちに一番近い『感動』って、どれだろう? と探しやすくなります。同じ『感動』でも、実は『うっとり』しているかもしれないし、『感極まって』泣きそうになったのかもしれない。
自分の頭で気持ちを整理して、考えて、それを表現していく。その過程で、子どもたちのボキャブラリーが豊かになっていって欲しい、そういう思いで新設しました」
「感動」の類語は、『新レインボー』のなかに、ほかにもたくさん収録されている。それを単に多くを集めただけでは、子どもが迷ってしまうだけのページとなる。そこであえて、見開き1ページに収まるよう、小学生が使う頻度の高い類語を、編集者がセレクトし掲載しているのだ。
子どもたちが、より正確に、自身が感じたことを表現できるよう手助けするページ。辞典は、単に言葉の意味を調べられるだけでなく、言葉を実践的に使えるようにもしてくれる。オールカラー化だけでなく、言葉により興味を抱きやすい工夫も、『新レインボー』には凝らされている。
■「子どもに教える」ではなく「子どもに教わる」
『新レインボー』には、ほかにも細かい工夫を随所に散りばめている。例えば、紙の薄さと質感。ページをめくるという作業が苦手な子どもに合わせ、少し厚めのザラつきのある紙質にしている。同時に、子どもたちが辞典に直接鉛筆などで書き込む行動も想定してのセレクトだ。
辞典の仕様改良のアイデアを錬るとき、森川が最も大切にしている拠り所、原点がある。それはほかでもない、実際に辞典を使ってくれている子どもたちとのふれあいだ。
森川は子どもたちとの交流の場として「辞書引きイベント」を開催している(※コロナ禍の影響で現在は中止されている)。もともと教育学者である深谷圭助氏が提唱している「辞書引き学習」のイベントが有名だが、このイベントは学研が独自に開催しているもの。編集長の森川を含め、複数の編集部員が必ずイベントへスタッフとしておもむく。
「子どもたちに辞典の引き方や使い方を学んでもらうことがイベントの目的ですが、実際に子どもたちが辞書を引くときの目線や動きなどをジッと観察していると、逆にこちらが学ぶことがものすごく多い。
例えば、子どもたちって指先は器用なのに、辞典の薄い紙のページをめくるのは苦手だなぁ…とか、すごく目は良いけれど、目に入らないものも多いなぁ…とか。大人が気づかない小さな虫を見つけるのは得意なのに、辞典の中の文字は見つけられないんですよね。そんな、相矛盾するような特徴が、子どもたちの中にはあることがよくわかってきます」
イベントが終わったあとは、イベントを通して子どもたちを観察し、気がついたことを持ち寄って会議をするという。
「こうした子どもたちの行動や特徴を、辞典に反映させるとしたらどうすべきかを、綿密に話し合って新たな仕様に落とし込んでいくんです。辞典編集というと机上の作業と思われがちですが、我々の辞典づくりは、フィールドワークこそが新しいアイデアの源泉なんです」
例えば、深谷先生の「辞書引き学習法」では、辞典の上部に付箋を貼っていく。これまでの『新レインボー』では、上部に貼ると、辞書に印字された文字が隠れてしまっていた。そこで新版では、付箋を貼りやすいよう、空白スペースを大きく広げた。付箋を貼っていっても、辞書の本文が隠れにくくしたのだ。
また、辞典で「柱」と呼ばれる、そのページ内に載っている言葉の範囲を示した部分がある。本文は縦書きなのに、従来この柱は横書きだった。それを縦書きに統一することで、より検索しやすくした。さらに、小学校1年生でも読むのに困らないよう、辞典内の漢字には全てルビが振ってある。
オールカラー化し表現力が増したことで、イラストが増えているのも特徴だ。言葉で説明するよりも、イラストで見たほうが理解が早い言葉や、障子や鴨居、敷居など、今の子どもたちが、見る機会が減ったものなどを、ビジュアルで分かりやすくしている。
柱、総ルビ、イラスト…、改良するたび、編集作業の負荷は格段に増えていく。しかし、子どもたちが使いやすい辞典を作るために、子供たちから受け取ったヒントはひとつも無駄にはできない。使い手の顔を思い浮かべながら、愚直に、仕様に反映させていくのが、森川の辞典づくりだ。
■辞典づくりの原点は『史記』
森川は、小学生向けの『新レインボー 国語辞典』のほかにも、中学生向けの『漢和辞典』や、高校生以上向けの『漢字源』など、学研の「漢字」にまつわる辞典のほとんどに深く関わっている。
実は森川のスペシャリティは、歴史学。子どもの頃から歴史が大好きで、大学と大学院では、東洋史(中国史)を学び研究していた。
「博士課程まで10年間、ずっと大学にいたのですが『史記』は毎日原文で読んでいましたね。『史記』には、研究書がとても多いです。原文の1文字に対して、この1文字がどういう意味なのか、この文字で正しいのかといったことを、検証する文献が存在するんですね。こうした研究書を合わせて読むと、極端に言えば『史記』原文の1ページを読むのに、20ページ分くらいの研究書を読まなくてはいけない、ということもあるんです」
中国初期の正史でもある『史記』を研究するためには、紀元前から現在までの漢字に精通する必要はもとより、木簡に書かれている文字や、甲骨文字の解読までが求められる。まさに、漢字の海に埋没する日々を送っていた。
博士課程まで進んだとき編集のアルバイトで出会ったのが、学研『漢字源』。辞典づくりとの出会いだった。同時期、森川は高校で世界史を教える教師の職にも就いていた。イベントで子どもたちにわかりやすく教えるスキルや、子どもたちの気持ちを行動から読み取る鋭い観察力は、この経験で得られたのだろう。
“使い手の気持ちに寄り添う”姿勢は、『漢字源』の制作でも生かされている。読者カードなど、読者からの要望や意見は特に大切にしているという森川は「月に1回くらいの頻度で、子どもの名付け相談の電話が掛ってくるんですよ」と、楽しそうに話してくれた。
「考えに考えたけれど万策尽きて『子どもが生まれまして…いい名前を付けてください!』とくる方もいらっしゃいます(笑)。さすがに、ゴッドファーザーにはなれません…とは言いますが、だいたいの方は、どんな名前を付けたいかのイメージは持っているんですね。わかりやすいところでは、やはり画数ですね。この画数で良い漢字はないですか? みたいなご相談が多いですね」
そうした経験から『漢字源』には、実は名付けで役立つ工夫も施されている。例えば、各漢字に設けられている「名付け欄」。過去の資料で各漢字がどんな読み方をされてきたかが分かる。名付け欄に掲載した読み方は、音訓索引にすべて載せ、検索できるようにした。使い手の気持ちに寄り添うからこそできる、日本では『漢字源』が初となる試みだ。
「音訓索引に名付け欄の読みを掲載するアイデアは、『漢字源』が先駆けだったこともあって、かなり充実していますが、読者カードを読んだり、電話で名付けの相談を受けたりしたことが活かされているんです」
■ツンデレな辞典の「ツン」の部分をマイルドにしたい
使い手とのコミュニケーション体験をもとに、実践的なツールを詰め込んだ辞典を作り続けてきた森川が、今目指しているもの。それは“愛想のいい辞典”だという。
「辞典って、かなり“ツンデレ”じゃないかと思っています。すごく愛想が悪くて、とっつきにくいんですよね。これを、もうちょっと愛想よくしてもいいんじゃない? って個人的には思っています」
辞典には、ともすれば読者を寄せ付けない雰囲気がある。だが、使い方を覚えて辞典に対する接し方を変えれば、辞典に収録された膨大な情報に、誰でも気軽にアクセスできるようになる。これを、辞典の方から読者に歩み寄らせようというのが、森川の考えだ。
「辞書の引き方を知らないと使えないものではなくて、誰もが接しやすく使いやすいものへと少しずつ愛想よくしてあげる。そうすると使う人も、もっと心地よく使っていけるんじゃないかなと思っています。(『新レインボー』を見ながら)これなんか割といい顔してますけど、(『漢字源』を見やりながら)こっちはもうね……すごくツンツンしているじゃないですか(笑)」
終始、物腰やわらかく笑顔を絶やずに話をしてくれた森川。「固くて真面目でとっつきにくい」というイメージを持たれがちな国語辞典からは想像できないほど、柔和な素顔で語ってくれた。そんな森川に、辞典を編集するうえでのモチベーションは何か、という問いを投げてみた。
「みすず書房の『辞書、この終わりなき書物』(三宅徳嘉 著)という本があり、そこにも書かれているのですが、辞典って作ってからが、また次の作業の始まりなんです。改訂版を出すという、区切りはあるのですが、編集部の中では次の改訂のために、ずっと同じことが続いていきます。そうして先輩たちが引き継いできたリレーを、自分も、そしてその後も繋いでいきたい。そんな気持ちがモチベーションですね」
森川編集長は、「辞典作りにゴールはない」とも言う。あるとしたら「辞める時か、死ぬときですよね」と。それまでに、多くの辞典が版を重ねていくだろう。森川率いる編集部が作る“愛想の良い辞典”を、ぜひ楽しみにしたい。
(取材・文=河原塚 英信 撮影=多田 悟 編集=齊藤剛、櫻井奈緒子)
クリエイター・プロフィール
森川聡顕(もりかわ・としあき)
学研プラス 小中学生事業部 図鑑・辞典編集室 日本語辞典 統括編集長。1997年学習院大学大学院博士後期課程修了。同年学習研究社に入社。以来24年間、辞典編集部に在籍し一貫して辞典編集部で制作に携わる。
担当作品紹介
『新レインボー小学国語辞典 改訂第6版』
使いやすさを追求した、おすすめ小学生向け辞典! 全ページオールカラー。収録語数は類書中最多の43300語。イラストや写真が多く、すべての漢字にふりがなつき。類語の解説が充実していて、文章表現に役立つ。巻末には、ミニ漢字字典。漢字ポスター・小冊子つき。
公式サイト:https://gakken-ep.jp/extra/jiten/rainbow/
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