「津波てんでんこ」、とにかく逃げることーー「東日本大震災津波伝承館」が未来の世代に語り継ぐ防災意識
東日本大震災で、甚大な津波被害にあった岩手県陸前高田市に「東日本大震災津波伝承館 いわてTSUNAMIメモリアル」がある。開館は2019年9月、東北地方で最大級の伝承と追悼のための施設だ。津波被害から得られる教訓を伝え、復興に向けて力強く歩んでゆく姿を発信している。
追悼と鎮魂、歴史伝承の場として未来の世代に語り継ぐ
2011年3月11日に発生した東日本大震災。陸前高田市では震度6弱を観測したのち、三陸沿岸に巨大津波が襲来した。あれから11年が経ち、復興と開発が進む一方で、当時のことを知らない世代も増えてきている。
「当時まだ幼かったために記憶に残っていない、あるいはまだ生まれていなかった子どもたちが、伝承館に来ることも増えてきました。あの日から11年経って、今改めて震災津波の事実、その歴史から学ぶ教訓を次の世代にしっかりと伝えていかなければいけないと再認識しています」
穏やかに語るのは、「東日本大震災津波伝承館 いわてTSUNAMIメモリアル」副館長の藤澤修(ふじさわ・おさむ)だ。
(副館長の藤澤修)
JR気仙沼駅から大船渡線BRTのバスに乗り、停留所「奇跡の一本松駅」を降りると、「道の駅高田松原」と「東日本大震災津波伝承館 いわてTSUNAMIメモリアル」が広田湾に向かって横に並んでいるのが見える。
右手には、高田松原のシンボル「奇跡の一本松」が凛と佇む。目の前に広がる広田湾、さらに古川沼、気仙川といった自然の景観の中に、道の駅と伝承館が存在しているのが大きな特徴だ。
(外壁のデザインとなっている穴の数は、東日本大震災で亡くなった方々の数だ)
「設計した内藤廣さんのコンセプトとして、津波が襲来した広田湾方向と気仙川上流を結ぶ縦のラインを『祈りの軸』と呼んでいます。そして、震災遺構である旧道の駅『タピック45』、津波の事実を伝える伝承館、今の人々の暮らしがある新道の駅『高田松原』をつないだ横のラインが『復興の軸』です。まずこの場所に来たら、高田松原津波復興祈念公園に入って、『祈りの軸』と『復興の軸』が交わる部分にある水盤で、心を落ち着けていただく。それから防潮堤に上がって、広田湾を望んでいただければと思います」
目の前に広がる海と、山と、空。広大で美しいパースペクティブだ。海と大地とともに私たちは生きていることを、五感で感じられる場所だ。
この地であの日何が起きたのか、そしてそこから私たちは何を学ぶのか
「今もし津波警報注意報が出たら、私たちと一緒に避難所の小学校まで逃げましょう」
この場所は津波浸水エリアのため、修学旅行生などの団体客が来たときは、冒頭に必ずこういったアナウンスをするという。
伝承館のエントランスを抜けると「歴史をひもとく」ゾーンがある。
「最初に、この三陸沿岸地域を襲った過去の津波の歴史を見ていただきます。この数千年の歴史の中で、大きな津波が来ている痕跡が地中の断面図で確認できます。2011年以前にも、数十年に一度の単位でこの地域は津波の脅威にさらされてきました。つまり、今後も津波は必ず来ることを知っていただきたいのです」
日本で暮らす。それは常に自然災害リスクが隣り合わせにあるといっても過言ではない。とりわけ三陸沿岸地域においては、世界有数の津波常襲地域だ。もはや避けられない宿命ともいえる中で、人々はそのたびに困難を乗り越えようと立ち向かい、防災体制を整備してきた。
(防潮堤を見学する中学生)
「事実を知る」ゾーンでは、データで知る東日本大震災の被害の大きさ、被災して大破した実際の消防車両、被災者が語る津波の証言、津波が襲来したときの実写映像を活用して、2011年3月11日の出来事をリアルに描き出す。ショッキングな光景に、いたたまれなくなって途中で席を外す人、不安からそもそもシアターの中に入れない人もいるという。あらかじめ映像を見られない人がいることを想定し、同館ではそういった来館者への配慮も忘れずに行っている。
「開館当初は、学校の先生や親御さんから地元の子どもたちに対して『こういった映像を見せるのは、年齢的にまだ早いのでは?』という懸念の声もありました。しかし最近では、子どもたちが将来大きくなって陸前高田を出て行った際に、この震災のことをしっかりと知っておかなければいけないという認識も広がり、地元の子どもたちの見学も増えてきました」
実体験から得た教訓を国内外に伝承する場でありたい
同館がオープンしたのは2019年9月。当初は外国人旅行客を含めて、たくさんの方に来てほしいという思いがあり、英語や中国語に対応できるスタッフを配置していたが、すぐに新型コロナウィルスの感染拡大による行動制限に突入してしまった。
「外国人の来館はほぼゼロの状態になってしまいましたが、津波という視点ではハワイ州ヒロにある太平洋津波博物館と、インドネシアのバンダ・アチェ市にあるアチェ津波博物館と連携を図って、国内外に災害の事実を伝えています。日本以外でも地震津波は起こるので、お互いに協力して伝承していかなければいけません」
「教訓を学ぶ」ゾーンでは、未来の命を守る貴重な知恵として、実経験から生まれた教訓に触れていく。一人ひとりが自然災害に対する行動を意識することで、津波から多くの命を守ることにつながるのだ。最後に「復興を共に進める」ゾーンで、復興へと歩みを進める人々の取り組みを紹介する。
震災前と比べると陸前高田市も人口が大幅に減った。市街地は土地をかさ上げした上で、区画整理事業を実施。「時間がかかったことで、またこの地で家を建てたいという人々が、時間の経過とともに戻ってこられなくなった例が増えました」。復興は進むものの、街の賑わいという面ではまだまだ課題がある。
「伝承館、道の駅は岩手県に来た方々へのゲートウェイ機能も担っています。地元の美味しいものを食べたり、地元の方からお話を聞いたりなど、実際に市街地の復興の姿を見ていただくことで、自分の目で見て、耳で聞いて、肌で体験する。つまり、五感で感じることがとても大切だと思います。そして、修学旅行で来た子どもたちが大きくなって家族と来る、友だちと来る。そういった形で交流人口が増えることで、街に賑わいが出てきたら」
逃げることの重要性は、あらゆる自然災害に通ずる
三陸地方で言い伝えられてきた「津波てんでんこ」という言葉がある。津波が来たら、一人ひとりが各自がてんでばらばらに、高台に向かって逃げろ、という意味だ。自分の命は自分で守ることに加えて、率先して素早く逃げることで、人々に避難を促すことの重要性を説いている。
(震災遺構に記された津波の高さ)
震災から11年が経った今、藤澤は改めて強調する。
「地震津波の教訓で、何よりも大切なのは『逃げる』。これは地震津波だけではなく、あらゆる自然災害に共通することです。災害の備えとしてこの大切な言葉を知ってもらうことで、一人ひとりの防災への意識を高めていきたい。特に次世代の子どもたちにはこれからも強く発信していきたいです」
(震災から11年を経て、陸前高田の復興は道半ばである)
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