岩手県気仙地方を代表する酒造「酔仙酒造」が震災を乗り越えて守り続けるものとは
「酔うて仙境に入るが如し」。酔仙酒造誕生の物語
岩手県の三陸海岸最南端に位置する気仙地方。優しく見守る氷上山と溢れるほどの自然を背景に酔仙酒造は永く酒造りを行ってまいりました。この「気仙」という言葉は県外の方にはなじみが薄く、隣県の「気仙沼市」と混同される方もいらっしゃいますが、私たちにとって愛着のある故郷です。岩手のこの場所で醸した酒であるという事を感じて頂けるよう、風土に合ったお酒を醸して行きたいと考えています。
豊富にミネラル分を含んだ“強くて綺麗な水”と良質な米、加えて米作りから酒造りを知り尽くした南部杜氏と酒造りには恵まれた条件を備えております。
岩手県三陸海岸の最南端に位置する気仙地方。溢れるほどの自然を背景に、永い伝統を誇る造り酒屋が八軒ありました。
1944年、国の企業整備令に基づきこの八軒がひとつにまとまり新しく『 気仙酒造 』が設立されます。これが『 酔仙酒造 』の前身です。
当社の酒を生涯に渡って愛飲した地元出身の日本画家・佐藤華岳斎が、【 酔 う て 仙 境 に 入 る が 如 し 】と評した言葉を酒銘とし、1965年には主力の銘柄である【酔仙】を冠して『酔仙酒造株式会社』と社名を改めました。1970年にはさらに一軒企業合同し、現在に至っております。
良い酒を造るにはそのための技術と努力が必要ですが、酔仙がこれまで大切に考えてきたことは、”風土”と”良いお酒を造るための環境づくり”です。酒の旨さを追求した結果、どの酒も同じ味になるかと言えばそうではありません。地酒である以上、その土地の風土や食材に馴染んだ個性を持っているべきだと思います。また、旨い酒を造る上で大事なことは、麹、酵母菌にとって居心地の良い環境を整えることです。蔵人にとって一番大事な仕事であると考えています。
この酒造りの精神は今日に至るまで、大切に受け継いできました。そして、東日本大震災による壊滅的な被害を乗り越えてこれからも繋いでいきます。
東日本大震災発生、失ったものと失わなかったもの
2011年3月11日、この日は酔仙酒造では【甑倒し(こしきだおし)】という、その年の蒸しが全て終わり、甑(米を蒸す釜)を倒すという酒造りの無事を祝い、蔵人を労う行事が執り行われるめでたい日でもありました。
14時46分、東日本大震災発生。今まで聞いたことの無いような地響きと激しく長い揺れが続きました。 その30分後、海岸から2キロに位置する酔仙酒造まで津波は到達し、瓦礫まじりの大津波により木造4階建ての倉庫を含む全ての建物が水面下に沈み、壊滅・流失しました。高台に登り、瓦礫の山と化した酔仙を初めて見た時は「あぁ、これでもう全ておしまいだ」という気持ちになりました。
蔵の中では目一杯に原酒が蓄えられたその日に、本社社屋や仕込蔵、瓶詰工場など全ての建物や設備、原酒の在庫などが全壊・流失してしまいました。変わり果てた町の様子を見れば、酒造りの再開は絶望的でした。
『岩手銘醸様』をはじめ多くの支援をいただき、生産を再開
製造するための設備、販売するための在庫、全てを失った私たちですが、先ずは県内の同業者である『岩手銘醸』様の蔵を借り受け、醸造を開始しました。本来ならライバルであった岩手銘醸様をはじめ、義援金や物資など沢山の方々のご支援により震災後わずか半年で新しいお酒の醸造を開始する事が出来ました。
酔仙は決して大きな企業ではなくとも昔々から永く操業してきたことで地域の皆様に大事にしていただいておりました。私たちが恐れたのは、酔仙酒造が再開を諦めてしまえば、
地域にとってまたひとつ暗い話題を増やしてしまうということでした。震災直後から、本当に多くの皆様からのご支援、ご協力や温かい励ましのお言葉をいただき、何よりも地域の方々からの熱い気持ちを受けて再開を決意いたしました。
震災後、岩手県内陸部の酒蔵『 岩手銘醸 』さまよりありがたいことに、一関市の酒蔵施設をお借りできることになりました。慣れない場所での作業、特に温度管理は非常に難しく苦労はしましたが、それよりも、お酒を造れることへの感謝の気持ちや、酔仙のお酒を待っている地元の方々へ早く届けたいとの思いで、ごく少量ではありましたが、お酒を造ることができました。
私たちは震災により、7名の大切な従業員を失いました。また、建物や設備など形ある物も全て失いました。しかし失わなかったものもあります。それは、歴史です。取り戻しつつある日常と、それらを残したい、繋ぎたいと思う意志が今の私たちを支えています。
氷上山の強くて綺麗な水を求め、新工場を建設
一関市のお借りした施設で酒造りをさせていただきながら同時に、新しい製造場の計画を進めました。陸前高田市は津波の被害が大きく、土地のかさ上げや造成工事のため、元々の場所での再開は諦めなければなりませんでした。震災以前と同じく、氷上山の“強くて綺麗な水” を求めて新天地を選定いたしました。
新工場を建設するにあたり、3本のボーリング調査を行いました。酒蔵として一番に考えるべき条件、こだわるべき条件は水源です。3本目のボーリング調査でようやく水量、水質共に納得できる水源が見つかり、建設予定地として決定しました。
大船渡蔵は北上山系に属する氷上山(ひかみさん)の麓に位置しており、地下水はクセのない奇麗な水質で、程良い硬度を持っています。
2012年3月に、岩手県大船渡市に新工場の建設を開始しました。国の復興事業補助金が決まり、異例の早さでの新工場建設でした。完成までわずか5ヶ月。ゼロの状態から仕込みを開始できるまで半年間。その中で全ての準備をしなければならないため困難な道のりでしたが同年8月、新工場にて仕込みを開始するに至りました。
震災の被害を思えば、酒造りの再開は絶望的とまで思われましたが、全国から多くの方々からのご支援ご協力や、温かい励ましのお言葉をいただきまして、2012年8月新蔵が完成し、新しい酒造りが始まりました。
新蔵での仕込みも慣れ、落ち着いて酒造りができるようになったことで、年ごとに酒質の向上も見られ、2014年に全国新酒鑑評会に入賞、2016年には純米大吟醸酒が金賞をいただくことができました。今後も安定した酒造りと、更なる酒質の向上を目指し、感謝の気持ちを忘れることなく、良い酒造りに邁進してまいります。
「美酒伝承」こだわりのお酒造り
【動画】酔仙ができるまで
呑み飽きしないお酒をめざして
旨いものは食べ続ければクドい・・・。昔から旨さとキレは相反するもの、矛盾するものと思われてきましたが、酒にとって呑み飽きしないこと=進む酒であることはとても大事な要素です。酒が進むという事は舌や鼻に引っかかる物が無いということ。すなわち「きれい」であることです。
「きれい」なお酒を造るために、原料米の選定、精米歩合、発酵管理などいろいろな手段がありますが、「重くない軽快な麹づくり」もこの内の一つです。麹の善し悪しは米を蒸かした際の水分状態と製麹過程での水分の蒸発量で大きく決まってきます。
麹の風味をしっかりと出して、しかも軽快であるために広く大きな麹室を使います。前半は十分に湿度を保ち、後半からはしっかりと麹米を乾かします。
「サバけ」が良く、適度なツキハゼの麹を狙うためです。
こうして出来た麹は極力短い枯らし期間を経て醪(もろみ)へ投入されます。必要にして十分、無駄なものを削ぎ落した、ある意味簡潔な米麹を酔仙はめざしています。
気仙の風土を思い出していただける「地酒」として
これだけ情報と流通が発達した現代において、「地酒」の意味は変化してきていると言えます。居ながらにして日本全国各地の出来事を知ることができ、各地の産物を簡単に手に入れることができます。もしかしたら「地酒」は以前ほどその土地の風土を感じるものではなくなってきているかもしれません。
そのような中でも、三陸の食材に合ったお酒、岩手沿岸からのお土産や贈り物として捉えて頂けるようなお酒として、沢山の物事に埋もれる事無く気仙の風土を思い出して頂けるお酒を作り続けているのが、私たち酔仙酒造です。
酔仙酒造の使命
『永く愛される酒蔵である為に挑戦し続ける』
●地元気仙地域に根を張り、人々に愛される商品・人材・酒蔵となること
●時代を見据えて変化を恐れず常にトライすること
●地域を活性化し社会に貢献すること
●酔仙に集う人が互いに信頼し合い幸せになること
受賞歴(大船渡蔵)
◆全国新酒鑑評会
H26酒造年度 入賞
H28酒造年度 金賞
H29酒造年度 金賞
◆岩手県新酒鑑評会(春)
H30年度 第2部吟醸部門 全農岩手県本部長賞(主席)
R2酒造年度 第1部吟醸部門 知事賞(第二位)
R2酒造年度 第1部吟醸部門 金賞
◆岩手県清酒鑑評会(秋)
H29年度「純米の部」金賞
H30年度「吟醸の部」銀賞、「純米の部」金賞
R2酒造年度 「吟醸の部」知事賞(第二位)
R4酒造年度 「吟醸の部」金賞、「純米の部」金賞
◆南部杜氏自醸清酒鑑評会
第96回「純米の部」優等賞
第99回「純米吟醸の部」優等賞、「純米の部」優等賞
第100回「純米吟醸の部」優等賞
第101回「吟醸酒の部」優等賞
第101回「純米酒の部」優等賞
第102回「吟醸酒の部」優等賞
第102回「純米酒の部」優等賞 全国4位
◆インターナショナルワインチャレンジSAKE
2016年 純米の部「岩手の地酒」bronze
2017年 純米大吟醸の部「氷上よんまる」bronze
2018年 純米大吟醸の部「鳳翔」silver、「氷上よんまる」bronze
◆東北清酒鑑評会
R3年 「純米酒の部」優等賞
R4年 「純米酒の部」優等賞
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