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“邪(気)を払う”と書いて「じゃばら」、和歌山県北山村の特産柑橘。お荷物産業と長年言われ続け、事業の廃止が決定した中での大復活劇。今や村の産業を支える特産品にして、救世主となった「じゃばら」とは

著者: 株式会社じゃばらいず北山


日本で唯一の「飛び地」の村、和歌山県北山村。人口わずか400人ほどで97%が山林の小さな村。秘境ともいわれる地域には、古来より「じゃばら」と呼ばれる柑橘が自生していました。


とはいっても「じゃばら」って初めて聞く人も多いかもしれません。じゃばらは、ユズやダイダイ、カボスの仲間となる香酸柑橘の一種。その昔、過疎化が著しく、特産品も無かった北山村にて「じゃばらは北山村を過疎から守る産業になり得る」と、じゃばらの特産品化を目指し、40年以上も前に人知れずスタートした事業でした。


村民の期待を一身に背負い始まったじゃばら事業ですが、毎年赤字のお荷物産業として長年に渡り定着してしまいました。救世主どころか、逆に村の財政を大きく圧迫する事態に。「じゃばらの木を全て切って撤退する」と議会で決議される等、存続の危機に扮した事もありました。


たった1本の原木からスタートし、今や村の産業を支える特産品にして、救世主。

日本で唯一ここだけに自生していた「幻」と呼ばれるじゃばらの魅力と「村の宝」にまで成長したじゃばらヒストリーをお伝えします。


それは一本のナゾの木から始まった。偶然生まれた「じゃばら」が着目されたきっかけ。


「へんなみかんが育つ。でもそれが独特の味で美味い」


昭和46年、村民が子供の頃から慣れ親しんだ味を広めようと立ち上がったことが歴史のスタートです。名前は「邪(気)を払う」ことに由来し、村では昔から天然食酢として珍重され、正月料理には欠かせない縁起ものでした。


しかし、昭和初期には村内にたくさんあったと言われているじゃばらの木ですが、自然交配により偶然生まれた果実で村内でのみ消費されるという事もあり、積極的に栽培される事もなければ、いつからか管理もされないようになっていました。


「じゃばらは北山村を過疎から守る産業になり得る」


村内で唯一1本残ったじゃばらの木の持ち主である村民が、村に特産品化を呼びかけたのです。

世界に類のない新品種であることが判明

昔から村内に生えていたじゃばら。村民みんなが「じゃばら」と呼んでいましたが、本当のところ、この果実が何なのかハッキリとはわかっていませんでした。



それでは、「じゃばら」とは一体何なのか。じゃばらを事業化するという話しが出てきた昭和47年、研究機関での品種鑑定を行った結果、じゃばらは国内はもとより世界に類のないまったく新しい品種であることが判明しました。昭和52年農林水産省に対して農産種苗法による品種登録を出願し、2年後の54年に現地調査の結果を踏まえて、種苗登録がなされます。


こうして「じゃばら」の名付け親となった北山村。村民の期待を背負い、事業化に向けて進み始める事になりました。

村の未来を託す・・・、「じゃばら事業」がスタート

種苗登録を受け、じゃばらは事業化され、昭和57年にはパイロット事業がスタートしました。最後の1本となっていたじゃばらの木を原木に農園整備が開始されました。


(山を切り開いて、パイロット事業をスタート)


(実際に植樹された様子)


昭和61年には集出荷設備を新設、その後、村営の加工場も新設しました。

(※後述しますが、この当時に新設された加工場の老朽化に伴い、今年2023年11月に新加工場が建設されます)


生産量も順調に推移し、ドリンクやぽん酢、ジャムなど次々と加工品を開発、販売を始めました。じゃばらの味についても、料理の専門家に試食してもらい、高い評価を受けており、順調だと思われたじゃばら事業でしたが、思わぬところで躓くこととなります。

毎年赤字、北山村のお荷物産業

順調かと思われたじゃばら事業ですが、そもそも知名度も無ければ、自治体である北山村には販売のノウハウもありませんでした。売上は伸びず、毎年赤字。商品の在庫を抱え村の財政を圧迫する状況にまで陥りました。


収穫量が増えても売れず、余剰在庫を抱えてしまうという問題もあり、平成11年頃までは生産調整をせざるを得ないほど苦難の時代が続きます。


「過疎から守る村の救世主」として期待されながら、村のお荷物産業としてすっかり定着してしまったじゃばら事業でした。


(平成15年頃に販売されていたじゃばら商品)

じゃばらの木をすべて切って事業から撤廃する

お荷物産業であったじゃばらについて、平成の大合併を前に大きな変化がありました。結果的に当時は合併を選択せず、単独の道を歩みましたが、平成12年には当然合併するものと村執行部、議会、住民も考えていました。


「じゃばら事業を撤退してくれ」


赤字産業を抱えては、合併条件を不利にする。そもそも合併がまとまらない可能性があるのではないか、議会からはそのような意見が出され、事業撤廃も視野に入れた議論がなされます。平成12年の12月定例議会で、議会からの事業撤退提案に対し、村執行部より「これから2年間、これまで以上の販売努力をする、それでもだめならじゃばらの木をすべて切って事業から撤廃する」という回答がなされ、議会から了承を得ました。


20年近く事業をやってうまくいかなかったじゃばらについて、一層の販売努力を行っても劇的な変化があるとは考えられませんでしたが、じゃばら加工場では常時雇用する数名のスタッフがいて、すぐに事業を終了することもできず、苦しい選択、決定でした。

じゃばらの存続を賭けた重大任務に任命された「池上 輝幸」

平成12年12月議会が終了し、機構改革が行われ、じゃばら事業を新設された地域振興課が担当することになりました。その当時、役場職員で観光筏事業を担当していた「池上 輝幸(イケウエ テルユキ)」です。



現在、株式会社じゃばらいず北山の代表取締役を務める彼が、じゃばらの存続を賭けた販売担当者となりました。本タイミングで、重大任務を一手に担う事になったのです。

※株式会社じゃばらいず北山は、じゃばら事業の民営化を目的に設立された北山村役場出資の民間会社。令和1年10月29日設立、令和2年4月1日より事業開始。

事業存続を賭け、自治体初の楽天市場出店


「今、自分たちにできることはなんだろう・・・」


課内でこれから2年間の「じゃばら」最後の挑戦について検討が行われた結果、過疎僻地や飛び地という地理的ハンディを逆手に取り、じゃばらの販売をインターネットに賭けてみようとなりました。そのまま、当時急成長を遂げていた楽天市場へ平成13年1月に出店したのです。


今日では、ふるさと納税にて楽天市場には数多くの自治体が出店していますが、後年にできた楽天憲章にて自治体の出店が不可となったため、一般店舗として自治体が出店したのは、北山村が最初で最後です。当時、楽天市場に自治体が出店するなんてありえない事でした。


では、ネットショップを開店したらじゃばらが売れたのか?というと、出店しただけではじゃばらが売れ始めるわけではありません。販売のためのノウハウもなければ、価値を見出すことができないスタッフはもちろんのこと、関係者からも2年で事業が終了することが規定路線のように思われていました。

不思議なお客様の一言「花粉症対策で朝晩飲んでいる」

じゃばらを知らない人が大多数で、赤字続きであった楽天市場出店の数年前、毎年じゃばらを20キロ単位で何度も買い求める島根県の不思議なお客様がいました。


「全然売れていないのに毎年何度も買うなんて・・・、一体どうしてなんだろう」


当時、不思議に思った事から、お客様にその使用方法について尋ねたところ、「子供が受験なので花粉症の薬を飲むと眠くなるのでじゃばらを薬代わりに毎日1個ずつ朝晩搾って飲んでいる」と、驚いた回答がありました。世の中には変わった人がいるものだと、当時は受け流してしまいました。しかし、この時の問いかけが、2年で切られてしまうはずのじゃばらの木を救うことになります。


じゃばら事業の存続を賭けた戦いが始まり、楽天出店当初「花粉症対策で朝晩飲んでいる」という島根県のお客様の声をふと思い出しました。


「そんなはずはないだろう」と思いつつも、藁にもすがる思いでじゃばらの噂を検証と題し「1,000名を対象とした花粉症効用モニター調査」を行った所、花粉症に何らかの効果があったと答えた方が、有効回答数660名の内、約5割に迫る303名もいたのです。


半分は冗談交じりに面白おかしく行った企画で、瓢箪から駒が出たような感じでした。この時、はじめてじゃばらの可能性を見出すことができました。


初の完売!事業存続決定!20年以上の赤字続きからとうとう脱出

平成14年1月、楽天出店から1年がたった頃、全国放送を担当しているテレビ関係者から、楽天に自治体が出店しているのは珍しいと取材が入りました。


モニター調査終了後、特に売上があがったわけではありません。しかし、じゃばらの可能性に気づき、またモニター調査に参加いただいた多くの方から美味しいと言ってもらったことで、じゃばらに対する認識は大きく変わっていました。そして、事業終了まで残すところ、あと1年、全国放送の取材は最大のチャンスだったのです。


取材の際、花粉症モニター調査結果を前面に出したところ、詳しく番組で取り上げていただくことができました。すると、年間2500万円前後の売上のじゃばらが、テレビ放送終了後、約30分で100万円を越える注文が楽天サイトに入り、池上は夜中12時過ぎにPCの前で狂喜乱舞したそうです。


そのようにして、この番組がきっかけとなり、取材が多く入るようになりました。平成14年3月2日、関西地方向け土曜日朝の情報番組、6日のNHKニュースで花粉症への効用に対する紹介が行われ、放映から1週間で約2500万円の売上を記録します。


平成13年度は最終的に5000万円の売上を記録し、初めての完売。一過性のものだと冷ややかな声もありましたが、昭和54年の種苗登録から20年以上経過し、ようやく日の目をみることができ、事業の存続も決定しました。


もしかすると「じゃばら」は、既にこの世からなくなっていたかもしれません。メディアの方々のお力をお借りできた事で、じゃばら事業の継続、ひいては北山村が今日も存続できていると言っても過言ではなく、感謝しかありません。

この頃の事は一生忘れる事はないでしょう。


(令和5年現在の商品ラインナップ)

売り上げ増と同時に問題が発生「たくさんのお客様からお叱り」

初めての完売で、めでたく売上も倍増となりましたが、それに伴いたくさんの諸問題が起きます。まず、これまで「じゃばら」は「売れないもの」で大量にいつも余っている状態でしたので、在庫数を把握しておらず、どれだけ注文をとってもいいのかがわかりませんでした。


また、販売管理システムもなく手集計に近い形、さらに私と臨時スタッフのみで受注、発送、入金の管理をしていたので、2名の現場は大混乱で、適正な管理が行えませんでした。


たくさんのお客様からお叱りいただき、改善策としておよそ1000万円をかけて通販管理システムを導入。現在の公務員は物腰の柔らかい対応ができる方が多いですが、当時の職員の対応ではお客様に悪い印象を持たれかねなかったので、北山村によい印象を持ってもらうため電話応対専門のオペレーターの養成にも着手しました。


たくさんのお客様にご迷惑をお掛けした事で、たくさんの事を勉強させていただき、次こそはお客様に喜んでいただけるように、という想いで必死だったことを覚えています。

またまた問題発生!売れば売るほど赤字!?

また、商品価格については、驚くべきことがありました。販売している商品を改めて計算してみると、販売価格より原価が高かったのです。今では考えられませんが、それまで原価計算をしたことがありませんでした。


「売れば売るほど赤字」


しかも一部の商品だけでなく、すべての商品がこのような状況でした。そのため、容量と価格を見直し、適正な価格の設定を行いました。翌年度は、6,000本用意したじゃばら果汁が、先行予約の段階で2,000本を超えるFAX注文が入り、10月1日の販売開始当日には、楽天市場にて在庫設定していた約2,000本がたったの2分で完売。




残りの2,000本も朝から電話が鳴りやまず、結局じゃばら果汁については、昼前に完売を打ち出すことになりました。その後、平成14年度は、一気に売上1億円を突破します。翌15年度は、予約開始翌日に楽天市場の売上ランキングの1位~6位を独占し、また和歌山県工業技術センターによる「じゃばらの脱顆粒抑制作用」についての学会発表も重なった事で、20年以上赤字が続き、お荷物産業とまで言われていたのが嘘のように順調に推移していきました。

違和感がある・・・、順風満帆なじゃばら事業かと思われたが

その頃には、「じゃばら」に対する村民の意識にも変化があらわれます。「じゃばらはお荷物産業」として、価値を見出すことができなかったのが、品薄でなかなか手に入らないため村外の親戚などから「じゃばらを送ってほしい」といった声が寄せられることで、価値を認識するようになりました。


じゃばら事業による雇用者数も増え、平成17年度には2億円の売上を記録するなど順風満帆に思えたじゃばら事業でしたが、現場では予約販売時に以前ほどの手ごたえがなくなり、違和感を覚えるようになります。


平成18年にはそれが顕著に現れ、予約受付を開始すれば3日ほど鳴り響いていた電話が1日で鳴り止み、売上減少の兆しが見えてきました。また同年度には薬事法の強化により、通販サイトにて花粉症への効果が記載できなくなり、売上が1億9千万円、平成19年度は1億7千万円と減少し、またしても冬の時代を迎えるかと思われていたのです。


現在のじゃばら農園(1本の原木から、現在約5,000本にまで増えた)

ICTの活用、ブログポータルサイト「村ぶろ」のオープン


売上減少が止まらない・・・。


そんな状況を打破する、新たなる戦略が強く求められるようになってきました。様々な施策を検討した結果、これまでに培ってきたインターネットのノウハウを活かして情報通信技術(ICT)を活用し、初の自治体運営によるブログポータルサイト「村ぶろ」の開設を決定しました。


①   ファンの方々にじゃばらの口コミを書いてもらいじゃばらの販売を促進する

②   全国からバーチャル村民を募集し北山村ファンを開拓し全国に応援団をつくる


じゃばらの売上回復のため、試行錯誤しながらの運営でしたが、平成19年3月のプレオープンから半年で6000人ものバーチャル村民の獲得に成功し、1日30万PVのアクセスを集め、北山村の広告塔としての位置を確立し、同年9月には、日本経済新聞社より「日経地域情報化大賞日経MJ賞」を受賞することができました。


(「村ぶろ」の実際の画面)


平成20年9月、岐阜大学よりじゃばら果汁の花粉症に対する効果が学会発表されたことを機に、村ぶろの取り組み、じゃばらの効果など複合的に情報を流し続けた結果、全国版の朝のニュースで取り上げられ、注文が殺到、平成20年度の売り上げは2億1千万円となりました。2億円の大台を回復することができたのです。平成22年度には過去最高の2億7千万円まで売り上げは伸びました。


平成23年の台風12号(紀伊半島大水害)でじゃばらも被害を受け、収穫量の減少により、一時的に2億円を割り込んでしまいましたが、その後はふるさと納税制度への参加も相俟って、さらにじゃばら事業の売上も順調に伸びます。


じゃばら事業を民営化 「じゃばらいず北山」の誕生

平成30年、じゃばら事業の民営化についての検討が始まりました。当時、じゃばら事業が大きくなるに連れて、自治体運営という性質上、決済や判断までのスピード感、取引先との連携、人材の確保など、様々な問題が付き纏っており、今後もじゃばら事業を継続し続け、現代のスピードの速さに合わせていくためには自治体運営ではこれ以上の成長が困難となりつつあり、判断に迫られます。


村の事業から企業へ。当初は、村の代表である村長が代表取締役を兼務する予定でしたが、議論が進むにつれて「代表取締役には池上を」という声があがりました。


公務員からいきなり民間会社の社長になるという思ってもみない展開で、なかなか決心が固まらず、夜も眠れなくなるほどすごく悩みました。しかし、そこで背中を押してくれたのは、職場の仲間たちでした。


「池上さんしかいないと思います。私たちが支えますから。」


議会で正式に決議され、それからは日々勉強の毎日でした。一緒に地域事業課で働いていてくれたスタッフ14名引き連れての民営化は、これまで以上に責任重大であり、大きなプレッシャーでもありました。ただ、プレッシャーを感じてはいましたが、楽しみでもあり早く事業を開始させたいという想いも日を追うごとに強くなっていったことを覚えています。


民営化直後に大事件!新型コロナウイルス感染症

民営化前の令和元年度は前年のテレビ放映の影響もあり、過去最高の4億7千万円の売り上げを記録しました。民営化は素晴らしいタイミングでの船出となるはずでしたが、いきなり新会社は厳しい状況からスタートとなります。


令和2年4月1日の事業開始まで間もなくとなった頃、新型コロナウイルスが日本だけでなく世界を襲い、それは弊社にも大きな影響を与えました。百貨店や土産物店など数多くの取引先への卸販売がストップしてしまい、前年度4億を超える売上が、一気に下落する事は容易に想像できました。


よりによって何故このタイミングなんだ・・・。


新会社の設立直後で何とか打破するしかない。その時に助けて頂いたのが、これまでじゃばらを支えて下さったたくさんのお客様でした。コロナで困っている。恥を承知で正直に訴えかけた所、皆様に応援していただき、結果として年間の売上は半分近くまで落ちて非常に苦しいスタートとなりましたが、何とか持ちこたえる事ができました。また、ふるさと納税でも数多くのご寄付を頂けたことも非常に有難かったです。

2023年11月、35年ぶりのじゃばらの新加工場新設

村が誕生して130余年。北山村としては、これまでにないほどの大きな建物が建ちます。じゃばらの新加工場です。


じゃばらの関連人口は、昔と比べ比較にならないほど増えました。

新加工場では、生産量や品質レベルの向上だけでなく、雇用の創出にも力を入れていきたいと考えています。


(建設中の様子)


さらに今年度より新たに商品開発を専門とした部署を新設しました。これはじゃばら事業が始まって40年以上経ちますが、実は初めての事です。これまでも、お客様より「こんな商品を作って欲しい」とのご要望を受ける事もありましたが、知識も経験も乏しく、中々ご期待に添えない事が多々ありました。今後のじゃばら新商品にも乞うご期待ください。


また、11月には新加工場の竣工式と毎年行われる「じゃばらの里の収穫祭」があります。今年は新加工場が新設されるという事もあり、例年以上に盛り上げていきたいと思っております。




じゃばら事業は、紆余曲折しながら何とか事業を継続してこれました。

何度も経験したどん底の時でも、次の一手を考え動き続ければ未来は拓けました。


北山村の宝「じゃばら」

日本にはきっと同じように宝物をもっている地域がたくさんある。

そして、同じように未来が見えずに苦しんでいる地域がたくさんある。


“ふるさとを幸せに、ふるさとから幸せを”

私たちの活動が少しでも日本のふるさとを元気にするきっかけになれば幸いです。


【参考情報】日本で唯一の「飛び地」の村

北山村は紀伊半島の中央部に位置し、三重県、奈良県に囲まれた、和歌山県でありながら和歌山県のどの市町村とも隣接しない全国でも唯一の飛び地の村です。面積の97%を山林が占め、北山川が悠々と流れる自然豊かな、人口400人程度の小さな村です。


過疎化、少子高齢化、雇用、農業や林業の後継者不足など、日本の多くの中山間地が問題を抱える中、北山村では「自らの地域は自らが守り育てる」という自立心と信念をもって地域づくりに取り組んでいく方向を定めています。


伝統文化でもある「筏」を今に伝える「観光筏下り」や、全国唯一の特産品「じゃばら」は、北山村のブランドとして定着し、知名度も上がってきています。これらの地域活性化に対する取り組みは、高く評価されています。



■お問い合わせ先

株式会社じゃばらいず北山

担当:森下

Tel. 0735-29-2222 Fax.0735-49-2317

〒647-1604 和歌山県東牟婁郡北山村下尾井335

E-mail. web_order@jabarise.co.jp

HP. https://jabarise.co.jp/




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