「すべての人の移動を楽しくスマートにする」近距離モビリティ、WHILL株式会社の「これまで」と「これから」の話
WHILL株式会社は、2009年、小さなアパートから始まりました。
東京モーターショーへの出展、「ふざけるな」と叱られ起業を決意した日、
日本とアメリカで資金調達に駆け回った時期、最初の製品の誕生。
そして、世界初の自動運転システムが空港を走った日。
WHILLの「これまで」と「これから」を語ります。
「100m先のコンビニに行くのをあきらめる」(2009-2011年)
WHILLの始まりは2009年秋にさかのぼります。ソニーで車載カメラの開発部門にいた内藤と、オリンパスで医療機器の研究部門にいた福岡(ともに名古屋大学大学院の同級生)が中心となって、数名でエンジニア集団「Sunny Side Garage」(SSG)を設立。社会の課題をテクノロジーで解決することを目指す若者たちの集まりでした。そこに元日産自動車のデザイナーで、デザイン会社を立ち上げながら世界を放浪していた杉江も加わり、デザインとエンジニアリングの力で「風の可視化アート」や「蛍がきれいに見えるライト」などの開発を行っていました。
そんな中、2010年にメンバーが出会ったある一人の車椅子ユーザーの声が、彼らを大きく動かすことになります。
「100m先のコンビニに行くのをあきらめる」
車椅子ユーザーが直面する悪路、段差など物理的なハードル。そして、「車椅子に乗っている人」として周囲から見られる心理的なバリア。
デザインとテクノロジーの力があればそれが超えられる。そう考え、創業メンバーは、誰もが乗りたくなる、革新的な一人乗りの乗り物(パーソナルモビリティ)を自分たちで作ろうと決心したのです。
それは、「眼鏡」のイメージでした。
当初は目が悪い人のための福祉用具として作られた眼鏡ですが、今ではデザインが洗練され、バリエーションも増えて、ファッションアイテムとして目が悪くない人でも進んで利用するほどになっています。デザインの力が、製品カテゴリを福祉用具からファッションアイテムに変えたのです。
WHILLを車椅子としてではなく、「パーソナルモビリティ」として再定義したかったメンバーたちは、あえて福祉用具の展示会ではなく、東京モーターショーをお披露目の場としてゴールに設定。展示会までの数か月間、試作機を作っては壊しを繰り返し、なんとかコンセプトモデルを完成させました。
「ふざけるな」と叱責され、起業を決意(2012年)
出展した東京モーターショーでは、今までにないパーソナルモビリティのデザインが大きく注目を集めました。展示会の成功に勇気を得て、メンバーは開発に弾みをつけます。そんな中、協力を要請するために会いに行ったのが、オーエックスエンジニアリングの創業者である、故・石井重行氏でした。自身も元ライダーながら、事故で車椅子を使うようになった石井氏はこう言いました。
「ふざけるな。夢を見させることがどんなに残酷かわかっているのか。」
コンセプトモデルだけを作り、製品化しないことは、このような製品を待ち望む車椅子ユーザーにとって残酷なこと。本気で作るつもりがないなら、今すぐやめろ、という強い叱責でした。 当時はまだ実用化、製品化までは考えていなかった杉江、内藤、福岡の3人はその言葉で、本気になり、起業を決意します。内藤と福岡は当時勤めていたそれぞれの会社を退社し、杉江と合流して、それぞれの貯金を資本金として出し合い、2012年5月にWHILL株式会社を設立しました。
杉江がCEO(最高経営責任者)、内藤がCDO(最高開発責任者)、福岡がCTO(最高技術責任者)に着任。町田の小さなアパートを拠点としてのスタートでした。
WHILL Prototype
米国シリコンバレーに拠点を設立、資金調達に駆け回る日々(2013-2014年)
創業者の3人が目指したのは、日本だけではなく世界のマーケットでした。なぜなら日本の電動車椅子の市場は非常に小さく、日本だけでの事業化は非常に難しいと感じていたからです。世界最大の市場は米国で、その規模は日本の数十倍。避けては通れないマーケットでした。創業者たちは、いずれ進出する国なら最初から打って出ようと考え、2013年4月にカリフォルニア州シリコンバレーに拠点を設立しました。また、スタートアップが集まるシリコンバレーという土地での、投資環境にも期待をしていました。
しかし、何のネットワークもない米国での資金調達は簡単ではありませんでした。知人のアパートに寝泊まりする、スタートアップ企業向けのコワーキングスペースのポップコーンを主な栄養源にするなど、生活費を切り詰めながら投資家訪問にはげみましたが、なかなか資金を出してくれる投資家は見つかりませんでした。度重なる試作で資金は少なくなる一方です。
そんな中、最初に出資を決定してくれたのが、アメリカの500 Startupsというベンチャーキャピタルでした。将来性と、チーム編成が評価されて初の資金調達が成功しました。しばらくして、日本の伊藤忠テクノロジーベンチャーズもWHILLへの出資を決定。その後も、日米のベンチャーキャピタルや個人投資家からの出資も合わせ、2013年から2014年にかけて、総額175万米ドル(約2億円)の調達に成功しました。これにより、初号機の開発、販売活動にめどがつきました。
WHILL Model A
最初の製品、WHILL Model Aを世に送り出す(2014-2017年)
これまで製造や量産のノウハウがなかった創業メンバーにとっては、実際の製品を作るのも大きなハードルでした。試作にあたっては、高い製造技術を持つ日本の町工場の技術者の方々に設計図へのアドバイス、製造技術のコンサルティングをしてもらいながら、試作機をブラッシュアップさせていきました。
そしてついに最初の商品化モデルとして完成したのがWHILL Model Aでした。Aという言葉には、WHILLとしてのスタート、はじまりの意味が込められています。最初の製造は50台。東京郊外で借りていた工場で、そのころ10人ほどだったメンバーが総出で組み付けました。
その50台には予約が殺到し、発売と同時に完売しました。しかし、より多くのお客様に届けるためには、量産体制を整える必要がありました。そこで、世界有数の電動車椅子の生産地であり、かつ医療機器の製造に関する国際的な認証工場が多い台湾での製造の検討を始めます。しかし、多くの会社はWHILLが想定していた製造ロットでは少なすぎると、なかなか取り合ってくれませんでした。
何社にも掛け合い、ようやく製造を決めてくれたのが、Jochu Technologyという、板金などを製造していた会社でした。WHILLの目指すビジョンに共感したことに加え、今後のヘルスケア業界の成長への期待や、社長の娘さんが車椅子ユーザーであったことが決め手となりました。同社は製造を請け負うだけでなく、会社への投資も決断してくれました。
こうしてModel Aは、供給体制が徐々に整い始めました。販売実績だけではなく、高いデザイン性と新規性が評価され、2015年のグッドデザイン大賞も受賞。
自動車でもバイクでも、自転車でもない、新しい移動手段 “WHILL(ウィル)”という新しい近距離用の乗り物が生まれました。
お客様からは、「段差や溝などを気にせず、一人で外出できるようになった」「新しい乗り物を発見した感覚で、前向きに外出できるようになった」などのお言葉をいただいています。
普及価格帯モデル WHILL Model Cの発売(2017-2018年)
Model Aを購入されたお客様からは、多くの感謝の声とともに、「軽くしてほしい」、「車に簡単に積みたい」、「もっと安くしてほしい」など、多くの要望が寄せられました。 そのようなフィードバックを受けて、開発したのが普及価格帯モデルのWHILL Model Cです。
CにはCarry、Compact、Comfortableなどの意味がこめられ、Model Aのデザインと走行性をそのままに、価格をModel Aの半額以下の45万円まで引き下げ、工具不要の分解機能で車のトランクにも積めるようにしました。重量も約半分になりました。さらに、国内の電動車椅子としては初めて通信機能を持たせ、機体の状態の遠隔確認やロードサービス、保険を組み合わせたサポートサービスもお客様に提供できるようになりました。
他企業からの協力も多くいただきました。Model Aの製造に取り組んでいた頃は、製造ロットの少なさやベンチャー企業であることなどから、部品の供給先を探すのも苦労しました。しかし、Model Aの発売後、WHILLの理念に共感した歴史のある大企業から、共同開発や部品提供の提案をいただくようになり、モーターは日本電産株式会社と、リチウムイオン電池はパナソニック株式会社と共同で開発。また、日本精工株式会社は軸受(ベアリング)の提供のほか、WHILLへの投資もしています。
Model Cの発表後は、取り扱い代理店も全国に大きく広がりました。免許を返納した高齢者のニーズを受け、自動車ディーラーや自転車販売店などでの取り扱いが続々と増えたのです。現在、メルセデス・ベンツなどを取り扱う株式会社ヤナセ、中古車事業ガリバーを運営する株式会社IDOM、ネッツトヨタ神戸、自転車の最大手あさひやサイクルスポットなどが、「車は好きだけど、高齢なので自分では運転しなくなった」といったシニア層のお客様との関係を継続するアイテムとして、続々とWHILLを取り扱うようになっています。
いつか「WHILLがインフラになる」世界に(2018年-)
WHILLのミッション、それは「すべての人の移動を楽しくスマートにする」こと。
その実現のために、これまでパーソナルモビリティであるModel AとModel Cという商品を世の中に送り出してきました。しかし、二つの製品の完成だけでは、このビジョンの達成はできないとWHILLは考えています。
今後、高齢化と長寿命化に伴い、長い距離が歩くことが困難な方は飛躍的に増えることが予想されます。そんな方が自分らしくスマートに移動できるサービス・システムができ、それをインフラのように当たり前に使うことができれば、もっと多くの人の移動が楽しくスマートになるのではないか。
例えば空港や駅や観光地などの広い場所で、歩行者をWHILLが迎えに来てくれ、乗り終わったら自動で元いた場所に戻ってくれる。それが、WHILLのイメージする少し先の未来の移動の姿です。
そして、WHILLのようなモビリティがもっと街中を走るようになれば、それはまちづくりやインフラにもポジティブな影響を及ぼすのではないかと考えています。
WHILLをインフラとして走らせる、その事業をWHILLは「MaaS事業」と呼び、パーソナルモビリティを開発・製造する「パーソナルモビリティ事業」と並ぶ事業の柱として位置付けました。
実際に、世界中の空港や商業施設から、WHILLを設備として導入したいという要望をいただくことも多くなりました。広い施設内では、人にぶつからずに安全に走行できることや、車椅子の介助・回収する人手を減らすことなど、さまざまな条件が求められます。そのため、WHILLは自動運転、衝突回避機能を備えた「WHILL自動運転システム」の開発にも着手。世界最大の家電見本市、CES2019にプロトタイプをお披露目し、世界の注目を集めます。
また、日本の羽田空港を始めとして、国内外での6空港での実証実験を着々と成功させます。「2020年度には実用化する」その宣言が現実味を持って見えてきました。
いつか「WHILLがインフラになる」世界に(2020年-)
実用化にむけてWHILL全体が着々と準備をすすめる中、新型コロナウイルスの蔓延が世界を襲います。人々が外出を控える中、羽田空港であるニーズが生まれます。
「お客様のより安心、安全な旅のため、ソーシャルディスタンスを保ってお客様にサービスを提供したい」
空港では、長距離の歩行に不安を感じられるお客さまに対して、スタッフによる車椅子介助サービスを提供していました。しかし、通常の車椅子介助サービスでは、お客さまと介助スタッフの間で十分なソーシャルディスタンスを保つことができません。そこであらためて注目されたのが、WHILL自動運転システムでした。
もともとは、人手不足の解消や、お客様が自由に気兼ねなく移動できるためのサービスとして位置づけられていましたが、ここで、感染防止にも貢献という新たな意味合いが加わったのです。
少しでも早い実用化を。チームが一丸となり、2020年6月、羽田空港国内線第1ターミナルで、世界初となる、空港での人搬送用途での自動運転パーソナルモビリティの実用化が実現しました。
今後は、世界的な感染拡大防止のニーズに応えるべく、これまでの国内外での実証実験の経験を生かし、国内外の空港、施設での早期導入を目指したいと考えています。
WHILLがインフラになる世界。
それが、「すべての人の移動を楽しくスマートにする」ということだと、
WHILLは信じています。
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