看護師から転身し漫画家デビューした人間まお、テレビ東京系列”おはスタ”で放送中の「あげおとティム」がアニメ化されるまでの誕生ストーリー
将来なりたかった職業に就ける人はどのくらいいるのだろうか。
ふと気になって調べてみたところ6人に1人だそうだ。多いのか少ないのかはわからないけれど、漫画家になれた私もラッキーな1人だと思う。
このストーリーでは、株式会社356(本社:東京都町田市)のメインクリエーターである人間まおが、看護師から転身して漫画家を目指すまでの経緯や、「あげおとティム」のアニメ化実現までに歩んできた紆余曲折について紹介する。
この記事の漫画はこちら:
▼あげおとティムができるまで(漫画)
https://ningenmao.blog.jp/archives/17931452.html
○あまり自分の将来を真剣に考えていなかった高校時代
高校で進路希望表を渡された時「あーもうそんな歳なんだ」と初めて自分の将来について考えた。小学生の頃から朝礼で校長先生が「夢に向かってー…自分の将来を見据えてー…」など、散々言ってくれていたにもかかわらず、聞き流してしまっていた。
幼い頃の夢は絵の仕事だった。漫画を読んだり絵を描くことが好きで、コマを割ってなんちゃって漫画をよく描いていた。しかし小学校低学年の時までしか描いていなかった。というのも、自分では上手い方だと思っていたのが、歳を重ねるごとにもっと上手な子が沢山いることがわかり、恥ずかしくなったからだ。足も算数の計算も速かったし、絵も描けば褒められた。人生の主人公は自分だと思っていたけれど、どんどん追い抜かれ「ああ。自分は脇役なんだ」となるべく目立たないように過ごすようになった。それから人前で絵を描くことはなくなり、ついには描かなくなった。
そんな幼少期だったけど、進路希望を見た瞬間頭に浮かんだのが「絵の仕事」だった。漫画でもイラストでもアニメーターでも絵の仕事ならなんでもよかった。ただ、母にそれを伝えた時に大反対された。「あんたは離婚するタイプなんだからちゃんと手に職をつけなさい。看護師とか」と言われ「まあ響きもいいし、なんか恰好いいから看護師になるか」とあっさり方向転換してしまった。
確かに絵で食べていける人なんて一握りだし、ずっと描いてこなかった私が何を言ってるの、と思う母の気持ちもわかる。きっと私が同じ立場だったら、同じことを言うだろう。
○大変だったが充実していた看護師時代。その片隅でモヤモヤしていたのは、絵の世界への嫉妬心
たまたま同じ部活に都立の看護専門学校を目指している友人がいたので私もそこを目指すことにした。
そして無事入学し、国家試験を突破し総合病院の手術室看護師として働くことになった。50人ほどいた新人のなかで、手術室を希望したのは私だけだった。
毎日新しいことばかりで、命に直結する仕事は刺激的だった。病気、事故、出産、自殺、色んな理由で手術を受けにくる人の、人生の一大事に携わることで、仕事の尊さと誇りを感じた。
新人時代は帰ったら手順書の丸暗記や復習の繰り返しで、次の日に遅刻しないように床で寝ていた。これは看護学生時代からの方法で寝坊の防止に役立つ方法だ。
できなかったことができるようになり、だんだん自信がついてきた。看護の基本となる病棟に一度は行ってみたいと思い、希望したところ、異動することになった。そこでも知らないことばかりで毎日大変だったが、誰かのために働くことができる喜びを感じた。
仕事には満足していたし看護師という仕事が自分に合っていると思ったものの、常に頭の片隅にモヤモヤがあった。
絵を描いている患者さんを見た時や、学生時代の同級生がイラストの仕事をしていると聞いた時、そのモヤモヤが大きくなっていった。その正体は嫉妬心だった。心の底では自分もその世界に飛び込んでみたい気持ちがひっそり生きていたのだ。
○人生の転機となった1本の電話
そして私が転職するきっかけとなったのが兄からの電話だ。はっきり言って仲が良い方ではない。
当時、兄はアメリカで仕事をしていた。私の中の兄は、海外で仕事をするような行動力のある性格ではなく、日本で堅実に生きていく方だと思っていたので意外だなと思っていた。そんな兄から「今の仕事を60歳まで続けられるの?漫画家になりたかったんじゃないの?」と言われた。
その瞬間、頭にズガンと何かが刺さり「こんな大変な仕事を60歳まで続けるなんて無理だ…」と思ったのと同時に、漫画を描いて生き生きと働いている自分の姿が浮かんだ。
すぐに退職届を出して実家の近くに家を借り、家賃2万円、貯金200万円の漫画家を目指す生活が始まった。
○独学で学びながら再び看護の世界へ…
周りに漫画を描いている人はいない、そして描き方もわからない。いま思えばそんな状態でよく仕事を辞めたなと思う。ブックオフで本を買って、独学で見よう見まねで描いて投稿した。しかし、落選続きで気付けば貯金が2万円になり、お金のことで頭がいっぱいになって何も描けなくなった。わずか半年で看護師に舞い戻ることになった。
この時は、大きな病院でなく、クリニックで漫画を描きながら働くことにした。色々なところに投稿しているうちに編集担当が付くようになった。さらに、単行本を出してもらい、遂には週刊ヤングマガジンでも連載させてもらえるようになった。この時の作品が「オペ看」で、私が手術室で働いていた頃の話がベースになっている。
働きながらの連載だったので、お昼休みや仕事後に描いて、週に1回講談社へ打ち合わせに行くという生活だった。何度も何度も描き直すことで、漫画を描くのってこんなに大変なんだ、と自分の才能の無さに悔しくて泣きながら描いていた。しかしこんなチャンスは二度とない、いま辞めたらただの何もしなかった人だ!と毎週作品を持ち込んだ。編集さんと打ち合わせを重ね、連載が開始するまでに2年かかった。
自分の描いた作品が本屋さんやコンビニに並んでいることが信じられず、誰か買わないかなとずっと店内をうろうろしていた覚えがある。
○ブログへ移行し、描きたいものを描く日々
連載終了後はブログへ移行し自由に描きたいことを描いた。商業誌と異なり、描いても原稿料が出るわけではなく、読んでもらえた回数に応じた広告収入しか入らないので、毎日アップした。ジャンルはエッセイ〜創作〜ギャグまで色々描いた。
ちょうどその頃、仕事以外の悩みが多く自分の中で消化しきれずにいた。
何か解決策はないかとネットを見ていたら、同じような体験や悩みを抱える人たちの投稿に目が止まった。どれも共感できる話ばかりで、目に見えない誰かが寄り添ってくれた気がした。みんな大変な思いしてるんだ、私も気持ち入れ替えよう。と励まされ心が軽くなったのだ。顔も知らない全くの赤の他人に救われたのだ。
そんなこともあるんだ、と思い、自分の体験談を描いてみた。すると思った以上に反響があり、かつての私のように「1人じゃないんだと救われました」「自分のことかと思いました。私の気持ちがそのまま描いてありスッキリしました」というコメントを沢山いただいた。その時、なんとも言えない高揚感が走った。それは看護師として「誰かのために働けている」と思った時に感じた高揚感と同じで、漫画家としてもどこかの誰かのために役に立つことができるんだ、と嬉しくなった。
これは自分の中での大発見で、それから自分や誰かの体験談を描くようになった。読者も増え、ブログのPVも月間2000万PVを達成した。
○アニメ化芽生えた気持ち、未来を見据えて漫画家一本の生活へ
SNSの総フォロワー数が35万人くらいになった頃、ただ淡々と描く生活に飽きてしまっていた。手術室で働いていた頃や、ヤングマガジンで連載していた頃の必死さや刺激に飢えていた。このままぬるま湯に浸かっていたら何の成長もせず人として終わる、と急に怖くなった。
次の目標を掲げなくてはと焦るなか、さくらももこ先生のエッセイ漫画「ひとりずもう」が目についた。この漫画はさくら先生が漫画家を目指すまでの話で、何度も背中を押された作品だ。ちびまる子ちゃんもコジコジも大好きで、さくらももこ先生は私の憧れだった。再び手に取り読んでいると、自分もさくらももこ先生のように、オリジナルキャラクターを創ってアニメ化させたいという気持ちが芽生えてきた。
アニメ化までのルートは商業誌が売れたり、SNSでバズるのが王道だった。しかしそれだといつになるかわからない。なら自分で資金を出せばいいのではないか、という考えにたどり着いた。
飼っているペットのサル「あげお」をモデルに、「あげおとティム」という作品を描いた。どこかの誰かに寄り添ったテーマで、大人から子供まで見られる作品をイメージして描いた。
いずれ企業と仕事することを見据えて法人化し、その1年後に看護師を退職した。5〜6年程の兼業生活を終えて、漫画家一本の生活になった。
○アニメ化に苦戦するなか、「おはスタ」制作チームとの出会いで実現した夢
作品の認知拡大のためにSNSやブログに漫画をアップして、人を雇ってチームを作りNFTにも挑戦した。
この頃に苦労したのがアニメ化を目指す、といってもアニメに関連する人脈が全くなかったことだ。本来ならば間に入る企業が全て担ってくれるものだが、制作会社やテレビ局と直接交渉するしかない。相場もわからず、依頼する制作会社や放送局、時間帯によって金額も様々だ。
問い合わせをしてもアニメやテレビに関係のない個人クリエイターだったからか、殆ど相手にされず、資金を自分で出すといえども難しいと言われてしまった。テレビ局に勤めている友人に聞いたり、関係者を紹介してもらったりしてアニメ制作会社と打ち合わせができることになった。
暗闇の中を手探りで歩いていたため、少し希望が見えた。そう思ったのもつかの間で、その制作会社からは、制作できるのは早くても4年後と言われてしまった。金額も当初話していた金額よりもずっと高い見積もりに変わってしまい、最終的に制作は難しいとなって白紙に戻った。
その後も何も決まらないまま時間が過ぎ、とにかく認知度を広げないと、と言うことで出展イベントには地方を含めて片っ端から参加した。いっそのことYOUTUBEでもいいのではないか、とも思ったが、いま諦めたらもう叶わないと思い制作会社を探し続けた。
そしてイベントでたまたま知り合った方の伝手で、おはスタの制作チームを紹介してもらうことができた。自分自身も子供のころに毎日観ていた馴染みのある番組で、さらに子供が観てくれるので自分としてはこれ以上にないチャンスだと思った。作品を見てもらい回答が来るまでは気が気ではなく、これでダメだったら心が折れてしまうのではと毎日ハラハラして待っていた。漫画の毎日更新、NFT関連の仕事、他の連載も並行して活動していたので、こんな生活をずっと続けるのは無理だと思っていた。
ぜひアニメ化しましょう、と返事がきた時は喜びと達成感でいっぱいになった。
プレッシャーもあったけど、ヤングマガジン時代の先の見えない連載準備期間や看護師時代を乗り越えられたのだから、これも何とかするんだと歯を食いしばり、資金を貯めるためにひたすら漫画を描いた。大変だった経験は、いつか自分の財産になるものなんだ、あの時に苦労してよかったと思えた。若い時の苦労は買ってでもしろという言葉を大人になって実感した。
○アニメ化決定からも広がる夢の展開
そしていつかやりたいと思っていた「スクランブル交差点のビジョンで広告を出す」という夢も叶った。
5月3日にはFC東京とのコラボイベントとして、彼らのホームゲームにあげおのマスコットが出演することが決まった。FC東京はちびまる子ちゃんとのコラボも実施したことがあり、同じスタジアムに自分のキャラクターが立てるのが夢のようだ。
5月からは、全国でカプセルトイの発売も始まる。
この話も自然に決まった話ではない。アニメ放送開始から2次展開へ向けて動き出しても実施する頃には放送が終わってしまうため、放送前から動き出す必要があった。そのため、企業が集まるイベントに参加して、名刺を配りプレゼンをすることで実現したのだ。普通はアニメやネット上での反響を見てから判断するのが一般的だと思うが、アニメの放送前に決まったので、本当にありがたい話だった。
○会社は「人」でできている。アニメ化を目指して気づいたこと
一見順調そうに夢を叶えているように見えるけど、大半は運が良かったことと、人に恵まれたからだと思っていて、唯一自分がしたことは途中で投げ出さず、夢を叶えるまで続けたことだ。これは「途中でやめたらこれまで応援してくれた人や、かかわってくれた人を裏切ることになるかもしれない」という義務みたいな気持ちで続けられていたところもある。そして続けられる環境を自ら作り出せるかも大事だと思う。普通は続けることで自信もついてくるのだが、作品を大切に思うがゆえに失敗したらどうしようと常に不安だった。それでも続けられたのは、好きなことだったから。そして、周りに目標を公言することで途中で辞められないよう自分にプレッシャーをかけたことが大きい。周囲から「口だけでやらない人」と思われたくなかった。また、ずさんな対応をされて悔しい思いも沢山してきたので、それもバネになった。
苦手な交渉や外部とのやり取りを人に任せたため、描くことに専念できる時間が増えたことも大きい。これまで人を雇ったり頼ることは苦手だったが、思い切って得意な人に頼むとこんなに気持ちが楽になるのかと実感した。
基本的に描くこと以外は一緒に会社の運営を手伝ってくれているスタッフに任せており、彼ら彼女らがいなければアニメ化の実現や企業コラボもできなかったことは間違いない。
今までは組織に属していたのでわからなかったが、運営側に回ることで、会社は「人」でできているとよくわかった。
○遠回りなようで最短距離を走ってきた人生、私に期待してくれた方々へ恩返しを
仕事を変えたり、ここまで遠回りしたように見えるかもしれないが、看護師時代の体験が漫画にも自分の人間性にも大きく影響しているので、遠回りなようで最短距離を走ってこれたのだと思う。苦しい時は、こんな体験は二度としたくないと思うけど、無駄なことなんて何もない。そして嫌なことがあっても、これでよかったと思える人生にしていきたい。
今後も常にチャレンジャーだと思って色々なことに挑戦していきたい。そして有名になることで、私に期待して仕事を依頼してくださった方々に恩返しをしていきたい。
人間まお Xアカウント:https://twitter.com/ageomao
公式EC:https://ageototimstore.com/
漫画(あげおとティム):https://ningenmao.blog.jp/archives/cat_366128.html
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