日本は「英語教育」に向かうのか「語学教育」に向かうのか。子ども達に日本語を母国語として話したい英語を身につけさせる。個人家庭や地方の学校に直接届けるビデオレッスンを作るまでの「Epsilon」の軌跡
語学として教えるならオンライン等でネイティブとやりとりをさせるか画像を見せるのが近道だし、教育の一環ならば最終目標は日本国民を育てることで英語のために日本語をなくすことがあってはならない。
日本語は言いたいことが最後にくる「聞く文化」であり英語は「話す文化」で水と油ほどの違いがある。外国人と接触する機会も少なく英語がなくても困らない生徒たちに英語で考えて意見を言いなさいというのは無理がないだろうか。
母国語がしっかりしていればやがて英語も話せるようになる。これはインター校で勤めた経験から言える。話させることに躍起になると語学教育に向かい、英語嫌いを生むだろう
しっかり聞き取り、思考は母国語で、そして短くていいから正確に伝える。これが大事。
英語嫌いを生まないためにも話したいことを話させたい。しかし日本人にすら話さない子供たちが話す内容は何か。遊びやゲーム、スポーツや得意なこと、しかし意外にも学習内容を話すことも多い。学習内容は世界中ほぼ共通で日本語で習うので英語でも理解し説明
することができるかもしれない。
では英語で説明をする訓練に適した科目とは。算数や理科は答えがはっきりしていて見ただけで内容把握ができ実験は興味を引く。英語の意味するところを授業中に考えさせるには適した教科である。そして何より実験中の生徒同士の協学は大事な教育でもある。
「実験しながら英語」私塾の経験を活かしたビデオレッスンを全国に届けたい
簡単な実験をさせながら自然な形で英語を教え、最終回では自分で考えた実験をして見せ
つつ英語で説明させる。そして算数の面白さを使いながら子供には分かりづらい前置詞を教えていく、このカリキュラムで私塾マリースクールをスタートさせて10年が経った頃、塾としては成功したが私の当初の目的は日本の学校に通う子ども達にこのカリキュラムを届けることではなかったのか、という思いが強くなってきた。
マリーを売ったそのお金で個人や地方の学校に向けビデオレッスンを作ろう。外国人講師がなかなか来ない、英語教育の選択肢があまりない、などの環境にいる子供達、今の会話中心の英語についていけないでいる子供達に届けたい。
その思いで3年前にスタートしたのがエプシロンだ。そのカリキュラムには大勢の外人講師の考えと貴重な経験が詰まっている。
現在は学校法人豊島岡女子学園中学校で授業を展開中
明日からでも使えるカリキュラムの提案
エプシロンの「実験しながら英語レッスンビデオ」は個人家庭でも地方の学校でも実験学習をしながら英語を覚えることのできるビデオレッスン。
実験は実に簡単で材料もすぐに手に入るものだ。
幼稚園から中学校まで16校以上の学校で教えたことのある経験豊富なアメリカ人講師がこのビデオを担当している。
このビデオレッスンには
- 実践していく上でのポイント説明(父兄向け)
- その日の授業で使う単語のフラッシュカード
- レッスンを見ながら生徒が書き込んでいくワークシート
- 簡単な文法の説明(授業3回実施ごと)
- ズームでの対面レッスン(授業3回実施ごと)先生に感想を話したりや質問
- 10回レッスンが終わった時に会場(参加自由)で行うサイエンス発表会
が企画されている。
また、学校の先生用に
- 教師用指導案
- 授業の中で生徒の質問と応答を予想して作ったスクリプト
- サイエンスフェアの企画。
など明日からでも実行可能なカリキュラムを提案されている。
英語ができずに職場で苦労した経験がスタートのきっかけ
30年前、創設者が日本人の有名なインター校で働くことになった。英語はできなかったが文科省のカリキュラムで日本語を教えてほしいと言われた。教える分野で困ったことはなかったが、職員会議では聞き取れず、多数決になると手も上げられないチンパンジー状態だった。それでもアドミニストレーションが日本人だった時は何とかなったが管理職が外国人に変わると事情は一変した。日本語教師でも英語ができないので全くのマイノリティーになった。国際社会の中で働くときにはアメリカ人、フランス人、日本人ではなく、英語を話せる人(ジン)と英語を話せない人(ジン)に分かれるのだ。
英会話で習った会話は1分で終わる。英語が話せないのでだんだんパーティーも外国人の教師と話すことも億劫になりハローしか言わなくなった。仕事はそれでもなんとかなったが、いざ何か問題が起こると普段から人間関係を作っていないから関係が拗れたり揉めたりした時はとことん最後までいった。英語という世界共通語を少しでも話せれば関係の修復もでき、困った時に外国人も同僚として助けようもあるのだが何も話せないと助けようにも助けられないのだ。
もちろん何か大事な時には通訳もつくが、あくまで通訳の英語であり通訳の日本語であるから本当に自分や相手の言いたいことなのか私の英語レベルではわからなかった。今AIの通訳があるとしたら感情がない分AIのほうが正確かもしれないと思う。
現在私は外国人を雇う側になったが同じ問題が残る。外国人はしっかり契約書を読み日本の法律を調べ権利を英語で主張してくる。重要な内容は通訳を頼むが普段の微妙な権利のところは拙い英語でオタオタしながら伝えなくてはならない。しかも相手の方が数が多い。
英語習得で外国に行くことを考える人や外国で働くことを想像する人は多いが、突然外国人を雇うこともあるということを想像できる日本人は少ない。
英語ができなくて外国人と働くということは丸腰で戦うことと同じだ。
母国語を持たずに世界に出ていけば日本には戻ってこない
英語は間違いなく大事だし、学校教育だけでは中々話せるようにはならないのも事実だ。しかし、もう一つ考えなければならないことがある。インターナショナルスクールでは色々な言語の中の一つとして日本語を教え国語ではない。インター校に通わせている保護者の中には世界の中の一人として育てるので英語だけで十分ではないかという考えの方もいるが、母国語を持たないというのは故郷がないのと同じだと思う。30年前インター校に脚光が集まり年々インターの幼稚園受験者が倍増していった。現在に至ってはインター校熱は沸騰している。しかし日本語と英語の狭間で自分の基軸をどこに置いていいのかわからない生徒も少なくない。このままインター校が増え続けたら日本はどうなるのかと不安になる。
母国語を持たないということは故郷を持たないことだ、またその特性や漢字の問題からすると成長後に日本語を学習し直すのは大変だ。母国語を持たずに世界に出ていけば戻ってこなくなる。
私が作る? Who do you think you are? (何様のつもり)
日本の子供にあった英語のカリキュラムを作らなくては。そして日本語を持って世界に羽ばたき、また日本に戻ってきてもらわなくては。
使命感に駆られ土日だけの塾「マリースクール」開校
英語の教師でもなく、資金もなく、支援者もいない私がそのカリキュラムを作る?
Who do you think you are? (何様のつもり)
しかしあのインター校で雇われていた時の悔しさと恐ろしさを未来の子供達に味合わせるのか、日本語と英語の狭間で不安な毎日を送っていた子供達の複雑な表情を忘れたのか。
やっぱりやる。資金がないから雇われたインター校に月ー金で勤め、土日だけ開ける塾
「マリースクール」をスタートした。そうして3年間は毎日働くことになった。
まず、子供の話したいこととは何か探るために、3−4人同じくらいの歳の子供達(外国人、日本人)を集めて30分間に何を話すか観察をすることから始めた。
そこで気がついたことは
1、あいさつ、天候、自己紹介はしない。まず学年を聞く。年齢ではない。
(英会話では「学年」の英語は教えない。英会話は実践的ではない)
2、女の子は話すが男の子(5年生以上)は全く話さないまま終
わることもある。 (男の子は一般的に5年生までが勝負)
3、女の子は絵を描いたり、そこらにあるもので何か作りはじめたりする。
4、男の子はボールなどで体を使って遊ぶ、低学年であればフィギュアで遊ぶ。
(つまり視覚や五感を使い、体を動かすことからスタートする)
話すことより伝えることが先だと気がついた瞬間
やがてゲームを持っている子を遠巻きに見ている子どもがでてきた。
ゲームが行き詰まった外国の子に日本人の生徒が教えてあげた。その後外国人の子供が片言の日本語で訊いてくると日本の生徒はうなづいたりやってみせたりした。知ってる限りの”妥協の日本語と英語”でなんとか通じさせたのだ。
そうか子供にとって「話す」ではなく「伝える」ことが一番なんだと分かった。
伝えるのであれば自然科学を英語に使えばいいのではないかとぼんやり思った。
マリースクールでクロアチア、チェコ、ブルガリアなど講師との出会い
マリースクールスタート時の10数年前はSTEAM教育、CLIL教育などあまり聞かれず理科、算数を使って「英語を」教えるという私の考えなど全く相手にされなかった。
「英語で」理科や算数を教えると勘違いされるのがオチだった
そんな時に私の考えに大賛成してくれたのが雇っていた外国人講師だった。当時、ヨーロッパ、特に東欧からたくさんの大学院生が国の奨学金で東大をはじめ国立大学に勉強に来ていた。彼らと私の共通点は貧しい家庭であっても親が教育を第一に考えてくれたこと、そして何ヶ国語も話さなければならない彼らも外国語を獲得することがどれほど大変か身をもって知っていたことだった。
彼らの言い分では英語教師として雇われると外国人ということでゲームや歌などをやらされる。それは苦痛で、それなら私の提案であり彼らにとっては専門でもある理科や算数を教えたいということで、すぐに話はまとまった。
やってみると簡単な実験でも子ども達は喜んだ。全て英語で進めたが黙っていても聞いているなという手応えがあった。では理解していることをどう表したらいいのだろう、まだアルファベットも書けないのに。そこで以下のことを決めた 。
- 集中して聴かせるために時間を30分以上にしない。
- なるべく説明しないで名詞は絵を見せたり描かせたりする。
- 動詞を中心に教えて、反対の言葉を必ずセットにする。例えば浮くであれば、沈むも教え、両方を絵に書くかジェスチャーで教える。
- 理科の目標と英語の目標をしっかり決めて双方とも深追いしない。ただし、実験後になぜと聞かれたら簡単に答えられるようにする
- サイエンスフェアーという発表会を行い話す場として訓練する。
実験を30個ぐらい実施した頃カナダの講師が理科のワークブックを、クロアチアの講師が算数のワークブック草案を書き始めてくれた。
そしてできた草案を他の講師にも使ってもらいその結果を何回も何回も書き直した。いよいよ自信がついてワークブックを編纂するというので挿絵を考え始めた。
絵や図が理解を正確にし興味を深める上でも大きな役割を果たすので大変重要だった。しかしプロに頼むとお金も時間もかかる。そこでフランス人の講師が引き受け てくれた。彼女はもう一つのバイトが終わってから自転車で駆けつけてくれた。夜11時半からイラストを描き始め終わるのが午前2時すぎ。その後麻布十番のラーメン屋でラーメンと餃子を食べて帰って行った。もちろん感謝でいっぱいだったが190センチあるフランス女性が深夜自転車を漕ぐ様にちょっと笑った。
5年ぐらい経った時に絵や図を使ったり描かせたりして、理解を正確にしていくやり方が社労士の先生の目に止まり特許を取ろうということになった。3年後に理科の教科書は特許をいただくことになった。
二か国語を習得するには時間もお金もかかる、二カ国語教育にお金をかけられるかどうかで格差が生まれてはいけない。そして日本人生徒にあった英語教育を公立学校で展開したいと話したらお金は度外視で協力してくれた。
彼らは祖国の紛争や亡命、移住など私には想像もつかない環境の中で勉強してきてこの地にいた。深夜に少しだけその話になることもあったがすぐに話は途切れた。それぞれの国での深い傷を感じた。私は外国人と働いたことで祖国や母国語を意識することができた。祖国の動きに影響を受け無意識ではいられない中で育っている人がいることを日本の若い人たちにも知ってほしい。日本という祖国を持つことがどれだけありがたいか知ってほしい。その上で世界を見るための英語を身につけさせたいと思った。
前進を阻むもの、それは「説明しづらい内容」と「思いを語りすぎる」自らの姿勢
我々のカリキュラムは説明しづらい、その上経験した人がいない。
営業や宣伝をする時に最も困ったのは、この内容が説明しづらいという事だ。
「理科や算数を英語で教える」なら分かるが「理科や算数を使って英語を教える」となるとある程度の時間、説明しなくてはならない。英才教育のカリキュラムに思われたり日本の先生方には教えられないと思われると相手の思考がストップしてしまう。聞いたことも経験したこともないものは想像しにくい。また「駅前留学」のような短くて的確なキャッチコピーが作れないので説明するしかなく、説明途中でいろいろ質問が出て相手が諦めることが多かった
もしこれが大手出版社や塾、予備校などであれば新たな英語教育法と思ってもらえるだろう。何々大学先生推薦とか文科省の、とかお墨付きがないと信じてもらえない。我々のような「街の塾」だとワークブックの販売だけとしか思われない。
教育関係に説明に行こうにも会ってもらえるまでにすごく時間がかかる。出前授業に漕ぎつけても教育委員会どころかその学校の校長先生にすら見てもらえないことがあった。私たちがこだわるのは英語教育であることを話す機会すらない。
しかし、いちばんの問題はこの私の姿勢にある。営業に行った際に自分の思いを語りすぎて売り込まければならないところまでいきつかない。無料体験レッスンもやぶさかではないがタダならやってもいいという姿勢を見せられるとそれならいいと帰ってきてしまう。
まったく Who do you think you are? (何様のつもり)
「プレジデント」掲載、「世界一受けたい授業」に出演
5年目ぐらいの時にポツポツとメディアからの電話が来るようになった。突然プレジデントから算数の計算式を表す英語を教えてほしいという問い合わせがきた。もちろん記事の協力はしますがとりあえず体験レッスンをしてくださいと必死で頼み、体験に来てもらうことになった。もちろん大人の記者だが面白いということで2回に渡り記事を組んでくれた。ファミリープレジデントにも記事が大きく出た。それからトントンと日本テレビ(4チャンネル)の「世界一受けたい授業」からお話をもらい、アメリカ人のベッキー先生が2年間で5〜6回ほど 出演させてもらった。どちらもGoogle検索でホームページを見てからの問い合わせだった。
打開策などない、認知を目指して奔走する日々
分かりづらいものをわかってもらわなければならない。とにかく色々なところで色々な切り口で記事を書いた。その当時はGoogle検索に引っかかることが大事だったので、引っかかりやすい言葉を見つけてはホームページにあげていった。そして呼ばれたらどんなところにも出かけていって話した。一度でも電話があればなんとか体験レッスンにきてもらい、3人に一人の割合で入学が決まるようになるとやっと塾らしくなった。
ようやく繋がった各地での学校授業
この頃には生徒も40−50名ほどになっていた。外国人講師は半分が入れ替わり、それでも残った先生が新しい先生を指導してくれるいい流れになっていた。
テレビにもでて、内容も充実してきて、教員も教育できてきた。無料体験レッスンをすればどこかの学校から問い合わせがくるはず。少なくとも私立の学校からは来るだろう。と思ったのだが、全くもってこない。塾からの問い合わせはあったものの学校からはぜロ。
それにしても交通費だけはお願いするが、一年間外国人講師を派遣し教材も全て持ち込み、、。なぜ?「無料、タダ」の響きが逆に怪しまれ、終了後に売り込みされると思われたのかもしれない。そこでドクターシーラボの元CEO、城野先生にお願いに行った。城 野先生のお子さんもうちの塾に通ってくださり、社長の石原さんも紹介してくださった。そのつながりでお二人にシーラボのお名前だけかしてくださいと頼んだ。
二つ返事で引き受けていただきドクターシーラボがお金を出すという名目でドクターシーラボ協賛として広告を打った。すると、なんとか3校集まった。やはりタダの響きはこわかったのだ。まずは公立の赤坂小学校の放課後クラス、成城中学校牛込、横須賀ゲンキ幼稚園、そして熊本南阿蘇の放課後課外活動。これは2016年の熊本大地震の後だったのでぜひ行きたいと思った。1年間本当に忙しかったが、楽しくていい体験になった。
学校組織へ導入することの難しさ。それでも応援してくれた教育者・ 栗原先生との出会い
成城中学校、高等学校の元校長栗原先生に初めてカリキュラムを認めてもらった。面白い内容だし、無料では申し訳ないとワークブックを購入してくださった。初日に伺った時教員三人と私を校長室に招いてくださり、塾ではなく同じ教育をやるもの者として接してくださった。学校の校長先生に認めてもらったことは大きな自信になった。これからだと思ったが3年目に先生方の賛同が得られなくて、サイエンス発表会が親を前に大失敗をした。二年間はそれなりに成果を上げていたので慢心していたせいもあったのだろうが、先生方の反対に気が付かずそれが生徒にも反映し我々と距離ができていたことに気が付かなかった。学校という組織で新しいことを導入することの難しさを痛感した。栗原先生はそんな裏側を見せずに応援してくださっていたのだ。
「もの」を売るのと違い、効果が分かるのに時間がかかる。いいカリキュラムだと生徒を納得させ、教員を納得させ、そして親も納得させなければならない。
全く立場や利害が違うグループを納得させたら、今度は教育委員会、文科省と挑んでいかなくてはいけない。どこまで行っても人間関係を探っていかなくてはいけない。途中まで来たと思っていたので本当に失望して立ち上がれなかった。栗原校長先生にそして何より応援してくれていた生徒たちに申し訳なかった。
こうしている中でもTSUTAYAが始めた子供の教育「TKIDS」からお誘いを受け柏の葉プラーザで週に1度授業をすることになった。また京都の立命館小学校、西本願寺保育園などでも1年間放課後の授業をすることになった。
立命館小学校の六車先生との出会い
立命館の六車教頭先生も実に素晴らしく、生徒一人一人、親御さんの声もしっかり聞いていらして、私たちのカリキュラムは英語嫌いの男子生徒を救ってくれるとおっしゃった、その一言に新幹線で講師と毎週通うことを決めた
知名度がない零細企業である我々は常に動いていなくてはいけない。止まったら大きいところにすぐ薙ぎ倒される。とにかくマグロのように泳ぎ続けるのだ。動きながら次の新しい企画をする。長く続けていれば必ず何かに行き着く。そしてそこに待っている人たちに出会う。その出会いこそ教育に携わるもののご褒美なのだ。
長く続けていく事で待っている人達に出会えるご褒美 〜松岡修造さん一家との出会い〜
Dr,シーラボの城野会長だったり石原社長だったり素晴らしい方々に出会えた。松岡修造さんの3人のお子さんもお預かりしていたことがあり、修造氏には2回ほどお会いしたことがある。車の中で休んでいらしたが私を見るとさっと車を降りて「先生いつもお世話になります」とご挨拶された。またお子さんと電話で話をしていると必ず変わりなさいとおっしゃって「お世話になります、ありがとうございます」とおっしゃった。
ご夫婦ともにお子様の個性を尊重されていて、うちのサイエンス発表会には毎回見えて前列で目立たないように聞かれていた。当たり前かもしれないが親が子供を思う気持ちは同じ熱量なのだと嬉しくなった。
そうこうしているうちに「KADOKAWA」からお話をいただいて幼児向け算数の本を出版することになった。我々が作ったワークブックが「1+1で英語が伸びるドリル」という名前で出版となった。
もちろんあの時の外国人講師には一番に知らせた。
「つんく」さん書いていただいた本の帯
そして以前うちに通われていた「つんく」さんに本の帯を書いていただいた。
ハワイに移住される前の2年間、双子のお二人をお預かりした。つんくさんはお二人の性格や能力をよく把握していらしてこちらの見解と全く同じでびっくりした。毎回面談にはご自身が来られて筆談で意見を交換した。お父様としても尊敬できる方だった。
教育という意義を考えると、儲けや商売はもういいかなという気にも何回もなった。色々素晴らしい人にも会えたし、外人講師は立派な先生に育ち祖国に帰ってからも教員になった人も少なくない。Michiko Good Job.か、、、。
しかし、どうしても日本の学校、特に地方の公立学校でやりたいと思う気持ちは
拭えなかった。補助金に応募してそれでレッスンビデオを作ろう、それを地方の生徒や先生に届けよう。特にどうしていいかわからないで困っているだろう小学校低学年の先生に届けようと考えた。
補助金の書類を書いてくれた行政書士の先生もとてもいい企画だと言ってくださり私では絶対書けないような文章を論理的に書き上げてくださった。が、あえなく落選。何度やっても落選。そもそも文科省の補助金は種類が少なく、それこそ大きな会社や大学の先生とのコラボがないと受からないようなものばかりだ。経産省だとAIを使ったりSNSやコンピューターでの展開があるようなものでなくては受からない。まず教育関係に詳しい審査官は少ないだろうし、英語教育が分かるとなるともっと少ないだろう。
それならマリースクールを売ってそのお金でビデオレッスンを作ればいい。ということで、マリースクールをあっさりM&Aで売ってエプシロンをスタートした。
私の目的はただ一つ、なんとか日本の子供にあった英語教育を日本人の手で作りたいことだ。そして子供達には日本人として世界を見てほしい。私たちが一番優れた方法などとは毛頭考えてはいない。やってみてもいいかもしれないと考えてくださる学校や団体様と語学教育ではない英語教育を作りたいのだ。我々のやってきた16年間や外国人講師の思いが絵に描いた餅で終わらないためなら商売は関係ないと考えている。
学校法人成城学校 成城中学校のサイエンスフェアから
エプシロン
2019年スタート
2022年より豊島岡女子学園中等部で理科実験算数での英語レッスン展開
2023年よりイギリス短期留学開始、引率
代表 川崎美智子
mkawasaki@gamma.ocn.ne.jp
東京都中学校国語科教員 (鶴川市、中野区、渋谷区にて)
西町インターナショナルスクール 日本語科教員
週末だけのインター「マリースクール」(元麻布校)創立 2019年売却
エプシロンスタート 2019年〜現在
エプシロン代表
JCLIL会員
国際教育会員
<過去授業、放課後クラス、出前授業実施校>
桐光学園緑幼稚園 TKIDS柏の葉子どもスクール
横須賀ゲンキ幼稚園 熊本ビプレス子どもスクール
西本願寺保育園 芝浦工大附属柏中学校
東京港区立赤坂小学校
東京渋谷区立青山小学校 現在
立命館小学校 東京都豊島岡女子学園中学高
熊本合志小学校
熊本宇土中学校
成城中学校高等学校
関東国際高等学校
行動者ストーリー詳細へ
PR TIMES STORYトップへ