学生起業、東証一部上場企業就職、ベンチャー企業へ転職 、フリーランス...。華々しいキャリアを歩んだフリーランスギルドチームCEOが、「地方・中小企業」と共に創りたい未来
山梨県上野原市。
自分で言うのもあれだが特別何か有名な場所があるわけでもない。
都会のように近くにお店もないため外で遊べる遊びを必死に探し、友達の家まで遊びに行こうと自転車でも1時間。夏は川に飛び込む。野山に囲まれた自然豊かな場所だ。
(地元山梨県上野原市の風景。山と畑、ちょっと行けば川。まさに「The田舎」のような場所だった。)
そんなゆったりとした場所で、小さな電力・通信の会社を経営していたのが、私の祖父だった。そんな祖父の会社を、自らの叔父が引き継ぎ2代目として経営していた頃。叔父が亡くなったことによって、「誰に事業を引き継げばいいのか」という問題が発生した。この後、会社を畳むことになった。
祖父の会社をものすごく知っていたとか、興味を持っていたとか。正直、そういうわけではなかった。しかし、想いを持って創業した会社が誰にも引き継ぐことができず志半ばで畳むしかない、そんな姿は社会人になった僕の脳裏に蘇ってきたのだ。
(社会人初期の頃の自分。事業の最前線で様々な経験をさせてもらった。)
学生時代だった19歳の頃、EC事業を創業。海外生活を経て新卒では一部上場企業の会社員としてキャリアをスタート。その後新しいビジネスの立ち上げや、友人の会社のスタートアップ期を手伝ったり、会社員の肩書きを捨て、フリーランスとして活動していたり。創り手になることが多かったように思う自分の仕事人生だが、だからこそ蘇った当時の光景は、想いや、能力、経験。なんなら正義なんかも詰め込んで創り上げた自らの半身を失うに等しかったのだと、改めて祖父の無念を再確認させた。
その後に聞いた話だが、祖父の会社は黒字だった。一部上場企業に就職したのちに、ベンチャーの世界に転身した僕は、赤字に近い状態でも会社を継続しているという事実を目の当たりにしている。そう、会社を畳んだ理由に「お金」は入っていなかったのだ。
では、なぜ祖父はあんな思いしなければならなかったのか。そんな感情に駆られた僕は、ある一つの数字に辿り着いた。
「44.4%」
小規模の会社のなかで、「既に後継者が確定している」という企業の割合だ。祖父の会社は少数での経営をしていた、中小企業の中でも特に小規模な会社で、いわば上記数字の対象企業だったと言える。地方の中小企業は、後継者がなかなか見つからない。
首都圏や、中枢都市にある企業であれば、創業社長→2代目→3代目・・・と、次の世代にバトンをつなぎ、会社を存続させていくことはそこまで難しくはない。それこそかれこれ、創業100年を超える企業もゆうに存在している。
だが地方は違う。
自分たちが誇りを持って会社を経営していても、その誇りを称え共感し、「自分事」にしてくれるほどの人間が多くいるわけではない。
しかし、経営者の想いは場所が違うこと以外に何かが違うわけではない。
どんな産業であれ、どんな場所であれ、それぞれが持つ事業に誇りを持ち、自信を持っているのだ。お金だって、稼げていないわけではない。なんなら成長途上の”イケてる”ベンチャー企業より、きっちりと黒字を出している企業だって存在する。
さらにいえば、僕たちの生活の「当たり前」は、そんな企業の活動があってこそ成り立っているものだって多い。なのに、事業が続かない。
それもそうだ。東京のかっこいい企業か田舎の小さな会社であれば、「どちらに入社したいのか」なんて答えは見えている。
そう。祖父の想いを壊したのは紛れもなく「人」だったのだ。しかも、まだ半数以上もの企業が同じ問題に直面している。祖父のような思いをする会社がこんなにもも存在しているという事実に直面し、改めて僕は自分を振り返った。
自分でビジネス(EC)をやって「マーケティング」の重要性を知った。
いくらいいもの、いい場所、いい人などがあっても知られないと意味がない。自分がお金がない中で、マーケティング手段を模索しているなかで広報/PRという手段を知った。たしかに、若者が嫌いな広告ではなく第三者を通じて魅力を届けるからこそ価値が出る。いわゆる口コミにもつながる。
それがPRの魅力なんではないかと。
自分の地元の商店街、昔は賑やかだったのに年々と萎んでいく。TVで特集されていたけど、他にもそんな商店街は数多くある。いいもの売っているのに、いい場所なのに、いい人がいるのに。後に続いていかない。
そんな地方の課題に立ち向かうためにも、PRって有効なんじゃないんですか?
だから自分はその道を選んだんですと。
もちろん、自分の観点でいうとHRも学びたい想いもある。ただ、PRのほうが正直難しいと感じました。(プレスリリースもそう簡単にかけない)
御社は、PRを武器に成長させてきた国内独立系の企業。単にPR業界というだけではなく、自分がスタートアップしたその環境に近い空気を感じたので志望しました。
今でも覚えている就職活動の志望動機だ。僕は助ける側の人間だ。そう思っていた。
しかし、今思えば上記の「人」の中には、いい言葉を並べて新卒で一部上場企業に入社したかつての自分も含まれていたと感じた。そしてその芽生えた自覚が、自らの至らなさを痛感させた。
僕はまた見過ごすのか?助けたいと思って、助けているフリをして、この先も生きていくのか?
違う。僕は祖父と同じ境遇の会社、経営者達を本気で助けたいんだ。脳裏に蘇った最期の一幕を、もう見なくていい社会にしたい。いや、僕がそうしなければならない。
そんな想いから、僕は
“Start-X”
を創業。僕はかつての祖父と同様に”経営者”になった。
中小企業、中でも特に地方が抱える「人」の問題を解決していきたい。仮に「入社したい」と感じてくれる人が少なく雇用が生まれなくても、会社、そして事業が続くような支援をしていこうと、創業した僕の想いに共感してくれた各領域のプロフェッショナルとして活躍するフリーランスを仲間にしたチームを編成した。地方の「雇用」問題、その先に見える「事業承継」問題を、事業転換/事業ポートフォリオの見直し/財務戦略/テレワーク支援/DX推進など、様々な切り口から支援していけるサービス形態を創り上げた。
まだまだだ。
僕が解決したい問題がなくなるまでの道のりは、歩み始めたばかりの僕にとってはまだまだ遠い。だからと言って止まるつもりもない。「できること」で支援し、「できないこと」をできるように会社を、事業を伸ばしていく。これは、僕がやるべきことで、やりたいことで、やらねばならないことなのだから。
込めた思いが、道半ばで消えないように。
僕たちともに、未来を描いていきませんか?
精一杯支援させていただきます。
<プロフィール>
CEO/Founder of Start-X,LLC
山口 偉大(Yamaguchi Takehiro)
◼︎経歴
19歳で学生起業、日米でIT事業を展開。2年後に会社を離れ、海外(オーストラリア)でDJ生活。帰国後、東証一部上場企業にてPR/マーケティングコンサルタントとして従事。その後、ITベンチャー企業に転職し,事業部長や経営企画室長を経て独立。
フリーランスとして経営/財務コンサル、M&A、IT/DX支援等を実行。法人設立後は、地方/中堅・中小企業の各種コンサル、M&A、IT/DX支援などをチームで支援しながら、美容院・美容室・ヘアサロン等のマーケティング支援や教育・研修事業を展開している。
◼︎Message
祖父の会社が親族内承継を行った後、承継した親族が亡くなってしまったことにより廃業した過去があり、その問題をお金だけではなく"人"によって解決できないか?という想いからこのStart-Xという会社はスタートしております。
中長期的には、そんな「事業承継」の問題を根本解決したいと本気で考えています。そのために、現在はチームによる支援を行っていくことで地方・中堅中小企業の経営課題解決の一助となれればと考え日々ご支援しております。
ぜひどんな経営課題も気軽にご相談いただけますと幸いです。
<Start-Xについて>
HPはこちら↓
創業ストーリーはこちら↓
https://note.com/yamaguchi_take/n/n55bab5cdd961?magazine_key=m25915e7dcadd
CEO山口のTwitterはこちら↓
@yamaguchi_take
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