110社を就職活動しても、内定もらえず、絶望を味わい600万円の借金生活の話。

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自分が何をしたかったのがわからなかった僕は、とりあえず就職活動で内定をもらうために、

110社、面接受けるものの、まったく受かることがなかった。


地元に帰って、なんでもいいから仕事しようと思い、フリーター生活が始まる。


収入が少なく、ビジネスをやるが


気がつけば600万円の借金を抱えていた。


僕が、いろいろやってきて悩んだ結果、自分で起業することを決意した。



ゴールまでの道のり


大学3年生なった。秋。



                   



周りは、「就職活動」という雰囲気がプンプンしていた。

僕は、早く就職して、大学生活を遊びまくるんだ!!!と意気込み

いろんな企業にエントリーを始めた。

周りは、「まだいいだろう」っていう人が8割だった。

僕は、とにかく動きまくった。学校が休みの日は、1日5社説明会にいったりした。

最初、説明会が始めていたのは、どこでも聞くような

大手の企業だらけだった。

大きな会場を借りての企業セミナーには、ほんとうに驚いた。

スーツだらけであり、よく黒装束と呼ばれていた。

でも、みんな真剣な表情。

僕もそれなりに真剣だった。

そして、大手企業にはすごく入りたかった。

なぜかたいうと、目立ちたかった。周りに自慢したかったからだ。

それもあったのだろう。

とにかく、大手企業なら入れるならどこでもよかった。

だが、人生に最大の危機がおこった。


リーマンショックくん



         



2009年1月。明けた年だ。

未だに覚えている。

リーマンショックくんが現れた。

突然にだ。僕には、関係ないものだっておもっていた。

リーマンショックくんがきたからどうなんだ!!!

って思っていた。

だが、ニュースにはリーマンショックくんがきたことで

僕が、受けていた大手企業はエントリーからなくなっていた。

たった、1日で。世界は180度変わってしまった。

大手企業を受けていたものがすべて辞退となってしまった。

周りへに目立ち、自慢話をしたかったが夢となってしまった。


親を安心させたかった



           


このままではいけない!!!

フリーターにだけにはなりたくなかった。

親が汗水たらしてまで大学にいかしてくれたのなら、

その分、就職をして親を安心させたかった。

2009年お正月ムードが終わり、翌週から説明会が始まった。

セミナーにも参加したが、大手企業はほぼなかった。

あったとしても、やはりみんな一緒の考えなのだろうか?!

大手企業には人だかりであり、中小企業には2〜3人がいたくらいだったろうか。

夏になり、僕の周りの友だちが動き出した頃だ。

ぼくは、まだ決まっていなかった。

一番辛かったのは、最終面接までいったのに、落とされたこと。

最終面接は、落ちることがないとは聞いていたがまさか落ちるとは思わなかった。

だが、ここで諦めてたまるかと親のことを常に考え、諦めなかった。


         


秋になった頃、次の三年生が動き出していた。

去年は、少なかったのにやはりリーマンショックくんが現れたなのか多かったのを覚えている。


そのころ、普通の大学生なら単位もほとんどとっておりあとは就職活動に専念するのだが、

僕は、単位が足りなかったためもしかしたら、卒業できないところまで追い込まれていた。

周りの友だちは、少しずつ受かってきており、僕は追い込まれた。


「なぜあの人は受かるのに、僕はこんなに努力をしているのに受からないんだ。」

世間にはいらない人間なのかもしれない。

自分は何がしたいのかわからない。


たくさんのことを考えた。でも、答えは見つからなかった。

とにかく、がむしゃらにやるしか選択肢がなかった。


僕は、就職活動を諦めた。


気がつけば、110社も受けていた。

面接数になると、かなりの数だった。

なので、面接に行きまくったせいか、最初はずっと緊張していたのに

全然緊張することがなくなった。

2010年になったとき、僕は、就職活動を諦めた。

もう、やりきった感があった。

これ以上やってしまったら、僕がおかしくなりそうなくら追い込まれていた。

卒業が近づいたとき、就職できた人はほんとうに少なかった。

できなかった人は、大学院にいくかそのまま就職活動続けた。

だが、これ以上親に迷惑はかけなくなかったので、

卒業した。

就職活動を110社やったのにうまくいかなかったので

自分には向いていないと思い、

地元、高知県へ帰還した。


時給は、700円


高知県に帰ってきたもの、就職活動を行っていたが、面接のある会社が3社くらいしかなった。

大阪と比べて確かに会社数も少ないとはわかっていたがここまでないとは思わなかった。

正社員の面接は、諦め近くのドラックストアに就職することにした。

時給は、700円。

とても少なかったが、仕事が見つかったことで嬉しかった。

そこから、1年たったころである。

大学で借りていた奨学金の返済がスタート。

現在の収入源では、返済することが難しかった。

なので、wワークを考え、夜の仕事を探したが、

今の仕事でいろいろ任せてもらっていたため、

時間通りには帰れなかった。

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