若年性乳がんになって片胸なくなったけれど、日々楽しく生きている話~第一章
一通りの検査が終わってから1週間。
私の携帯が鳴った。相手は病院の受付マダム。
まさかね~そんな事ないっしょ♫(内心)
…細かい言葉は忘れちゃった。
でも一つ言えることは「良い結果ではなかった」ってことだ。
何とな~く現実味がない中で、車を走らせる。
「う~ん…何が何だか良く分からないが…ま、いっか。」
ええ、こんな感じで病院向かってましたね(笑)
そして病院到着。
他の患者さん達とともに待合室でしばし待ち、診察室へ。
左乳房乳管がんだね。
今から詳しい説明するから、良く聞いて。
↑ 結構平常心のまま。
ってことだから。
どうやら普通の患者さんだったら、泣く・わめく・落ち込む・放心状態のどれかになるらしい。
そりゃそうよね、一応悪性腫瘍だって言われる=がん告知 なんだから。
ところが私はあんまり感情が動かなかった。
何故かって?泣いてわめいて病気が治るんだったらそうする。
でもそんな事しても治らないなら時間の無駄だって思ったから。
ならば何をすれば良いのかを先生から聞き、選択していくしかない。
だから「では私は何をすれば?」ってワードになった訳です(笑)
ご親族にも説明した方が良いし、
色々あるでしょ?準備とか。
とにかく今日から薬飲んでもらうから、
あとで飲み方説明するね。
さ、治療頑張ろう!
…これが私のがん告知でした(笑)さっぱりしたモンでしょ?
先生が事細かに書いてくれた説明書きは、父に説明する時に活用させてもらいました。
ちなみに病気の事を説明し、号泣したのは父。私は…泣かなかった。
いや、あれだけ目の前で号泣されたら泣けないって(笑)
何て言うんだろう。「アタシがしっかりしなくちゃ!」って思うくらい落ち込んだ父。
それもそっか、一人娘だし、母もいないしね…
ごめんね、パパ。余計な心配増やしたね(涙)
でもさぁ…病気の娘が「しっかりしなくちゃ!」ってどうなのよ?(爆笑)
ま、幸いにして私にはとても心強い叔母(父の妹さん)がいてくれるので、
何かあれば面倒見てもらえる安心感もあったし、
親友AもBもいてくれるので、精神的には安定していたのかもしれない。
だけどね…女性として左胸がなくなるって言うのは、かなりのショックだった。
自分で言うのも何だけど、結構私の胸、綺麗な形と大きさだったのよね(爆笑)
これが片方無くなるのかぁ…って思うと、
正直治療なんてしないでこのまま死んでしまいたいとすら思った。
告知を受けてからの私はいくつかの山を越える必要があった。
まずは薬。
内服の抗がん剤やら胃薬やら何やら…
おまけに告知受けた途端、不眠になってしまったので、
安定剤や睡眠薬まで出させる始末。
特に抗がん剤は体調を悪化させてくれるため、
それまで続けていた仕事も辞めることに。
次は生命保険。
私は本当に自分に病気の疑いがあるなんて思ってもいなかった。
だからこそ、それまで入っていた保険を切り替えた。
ただし、切り替えたタイミングが最悪だったのかもしれない。
だって新しい保険にしてから9か月で乳がんの告知だもん。
そりゃ新しい保険会社にしてみれば、疑いを持っても仕方ない。
なので保険金が下りるまでは戦いだった。
それがなければ治療も出来ないし、仕事も辞められない。生活も出来ない。
つまり…死ぬしかない。
まぁ幸い満額保険金が下りてくれる運びになったので、
全てはクリアになったけど、あんまりいい思いはしなかったな。
「生命保険って、入る時は優しいけれど 請求したら手のひら返すのね」
と思ってしまったのは私だけではないはず(号泣)
最後は治療方針。
何せ色々決める事が沢山ある。
当初私の手術は左胸の4分の1を切除って話だった。
でも次に検査をしたら、2分の1の方が安全かも?って流れになり、
最終段階で、何だか面倒になった私は…
あと同時再建の方向でお願いします~
という決断をする。
何故全摘出にしたか?だってまた手術するの嫌だったんだもん。面倒だし(笑)
…ええ、こういう性格ですよ~
同時再建って言うのは、イメージしてもらいたいのは肉まん。
私が受ける手術は、この肉まんの中身だけをくり抜くイメージ。
そのくり抜かれた部分に生理食塩水の入るバッグを挿入し、
少しずつ水を追加していって、表面の胸の皮を伸ばして、
最終的にはシリコンに入れ替えるって方法。
時間はかかるけれど、出来上がりがとても綺麗に出来るそうなので、
あえてお金も時間もかかるけれど、その術式を選択した。
失ったモノを取り返すには、多少の犠牲は必要だもの。
そして着々と手術に向けての準備や選択は進み、
手術の日程が決まった。
翌年の1月7日。新年早々手術って…良い年なんだか悪い年なのか全く不明。
でも面倒な事はさっさと終わらせたいし、
一度最悪な状況まで落ちれば、あとは上るだけ。
そう、ポジティブですよ、私。
だって、こうなったらやるしかないんですよ。
誰のために?
自分のため、父のため、身内のため、猫のため、仲間のため。
人は色々なモノを背負って生きている…それを痛感したのもこの時期だったかな。
そして悲しいけれど、この時期に私は人間関係の断捨離をしていた。
「辛いよね~わかるわ~」って言った元友達(顔見知りに格下げ)や、
「そんなに辛そうじゃないよね?」って言った元自称親友(同級生に格下げ)とか、
何だか病気によって自分にとって誰が大切で、誰がそうじゃないかが明確になった。
…あながち病気は悪いことばかりを与える訳ではないらしい。
そんな事を学ばせてくれた乳がん。ちょっとだけ感謝かな。
…続く。
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