中学生時代・・・初恋のはじまり

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おそらく、そんな感じで思っていたことでしょう。


ですが、僕は

背中を押してくれた友達に抱きついて「フォーーーー!!」と
意味不明の奇声をあげていたことは記憶に残っています。


まだOKをもらったワケじゃないのに、どうしてしまったんでしょうね僕(笑)


そして翌日の砂場で・・・

「私なんかでよかったら、よろしくお願いします。」

と、パーフェクトな回答をいただき無事に交際がスタートしました。


月並みな言い方で、ありふれた表現ではありますが


目に映る全ての光景が、輝いて見えました。


それまで女の子と付き合ったことがなかった僕にとっては
全てが新しい経験で、いろいろパニックになりながら交際していました。


普段は「しゃべるな」と言われてもしゃべり続けるような人間でしたが
彼女の横にいると、ドキドキして何を話していいのかわからない。

だから、話すことをメモ帳に書いていおいて会話に困ったら
メモ帳をみて話すという、変な事をしてました。


ドキドキしすぎて自分でもよくわからない自分になっていましたね。
僕は3年で部活も終わっていたので、学校が休みの日は
公園でブランコしたり、神社に行って話したりして時間を過ごしていました。


クリスマスには電車で40分かけてイルミネーションを見に行くという
自分でもビックリの「ロマンティスト」な一面の発見などもありました。


帰りの電車の中で、となりに座ってる彼女がうたた寝してた時に


僕は生まれて初めて


今この瞬間に、時が止まればいいのに・・・


そんなことを真剣に考えました。人間ってこんなにも幸せと感じることが
あるもんなんだな~って、隣で寝てる彼女を見ながら幸せすぎて
一人で泣きそうになってました。


今思い出しても幸せな気持ちになれる、ステキなクリスマスの夜でした。


ですが、そんな二人にも別れの時が訪れます。


学年が違うので、僕が先に高校に行ってしまうわけです。
高校でも部活をやるし、勉強もしないといけないので
僕が付き合うことは難しいだろうなって思うようになったからです


それと、


入試の勉強もあるし、別々の高校で友達とも離れるので
友達との時間も大事にしたいし。そんなことを色々と考えていたら
当時の自分のキャパを完全にオーバーしてしまいました。


もともと、女の子との付き合い方すら全然わかってなかったので
そんな僕にとっては問題が大きすぎたんですね。


彼女と付き合っていく余裕が全くなくなってしまったんです。
結局、手もつなげずに終わってしまいましたが、
貴重な時間を過ごすことができて幸せでした。


それからは、受験勉強に励み志望していた進学校に・・・



受験に失敗www

高校は進学校に入学して、陸上部に入る予定でした。

ですが、

受験に失敗してしまいますww

僕が受験した年から出題問題の傾向が全く変わり
勉強してきたことがほぼ無駄になってしまったからです。


残念な結果になった上に、同じタイミングでずっと好きだった
安室奈美恵さんが電撃結婚するというダブルパンチを喰らいました。

僕のほうが「Don’t wanna cry」でしたよ、マジで。


結局、二次募集で工業高校に野球部に入るという条件付きで進学しました。
工業高校なので学校の9割以上が男子です。僕のいた学科も男子だけです。


登校初日、男子だけの教室のむさ苦しい感じの空気には正直参りました。


ですが、1ヶ月も経たない内におもしろい友達も増えて
最高の環境だなと感じるまでになりました。

基本的に、下ネタやくっだらないことで大爆笑してましたね。
あと、みんな部活だけをしに学校に来ている感じだったので


授業も最初にはしゃいで後は爆睡・・・ってゆう流れで
毎日を過ごしていました。


部活は、野球部に入部して色々な経験をしました。
入部して初めての練習試合で広島商業に連れて行ってもらいました。


途中から試合に出させてもらったんですが、相手のピッチャーのスライダーが
マンガみたいにカクーンって曲がって「こりゃ打てんわ」と笑ったのを覚えています。


夏休みには遠征で、関西で智弁和歌山・四国で明徳義塾・九州で熊本工業、九州学院など
それまで狭い世界でしか生きてこなかった僕にとってすばらしい経験をさせてもらいました。


単純に、日本って広いな!と体感して学びました。


そんな感じで充実した1年生を過ごして、2年にあがって春を少し過ぎたあたりに
僕の人生をターニングさせる出来事が起こります。


クラスメイトが中型バイクの免許をとったので、僕の地元に遊びに来てくれました。
広い駐車場で、バイクを運転させてもらったんですね。


それが、僕の心をググっと掴んでしまったのです。なんじゃこりゃ~状態でした。
こんなおもしろいものが世の中にあるのかと?そんな感じでした。


うまくいえないんですが、僕はコレだ!!と直感で感じたんです。


ちょうどその頃、自分の人生って何なんかな~とぼんやり悩み始めていた時期でもあったので
余計に「コレだ!!」と感じたのかもしれません。


2年生にあがって、野球部の監督から「イノウエ、お前キャプテンやれな!」
と言われていました。

正直予想はしていたけど、野球部のヤンチャなメンバーをまとめるのは
ちょっとしんどいし、キツイなとも思ってました。


さらには、

同じ中学から進学した野球部の友達がやめたってゆうのもあったりして
高校生なりに色々と悩んでいた時期だったんですね。


そんな時に、ハーレーみたいなカッコイイ音を鳴らして
目の前に現れた友だちを見て、自由へのあこがれのような気持ちを抱きました。


コレだ!と思ってからは行動の早さはピカイチで、すぐに親を説得して
野球部を辞めました。高校はちゃんと卒業するという条件付きで。


正直にいうと、多少イザコザがありました。
両親は大反対でしたし、普段は温厚な兄も

お前何考えとんか?バカじゃないん!?

と声を荒らげて、僕に言いました。


やり場のない気持ちになった僕は、家出をしようと玄関に行くのですが
家出しても何も変わらんよ!?と母の言葉が胸に刺さり
玄関で、ただ呆然と座っていた記憶があります。


当時は

「なぜ自分の気持をわかってくれないんだ?」


そんな風に思っていましたが、家族からしたらそりゃそうですよね。

ヤンキー街道まっしぐらに、路線変更っぽいですもんね。


それからは、学校が終わると地元のほか弁でバイトに汗を流し、
とにかく可能な限りシフトを入れてもらって稼ぎました。


それで3年にあがる前の春休みで、バイクの免許を取りに行きました。
熊本で短期合宿で免許がとれると聞いたので、それに参加したんです。


ばあちゃんが熊本に住んでるということもあって、バイクの免許も取れるし
ばあちゃんに会えるしワクワクして家を出発しました。


初めて一人で遠出をしたので嬉しくて仕方がありませんでした。
新幹線なんかめったに乗らんかったし、博多駅に付いた時に

「ああ、自分って何か・・・飛び出してきた感がええね~!」

と大人の階段を一つ登ってる気がして、やたらと興奮していましたね。
博多駅から熊本行きのバスに乗ると、同じ合宿に参加する人達と
話が弾んで楽しかったなあ。


免許も無事とれたし、九州各地に友だちもできたし、
ばあちゃんにも会えたし。


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