男が女として生活していくまで物語
目の上には青色のアイシャドウを輝かせ、髪の毛は名古屋城のごとき天守閣を
作って仕事をしていたんだ。
そのギャップもあって普段はすっぴんで生活してたのだが、
ついにある日、事務所でディエゴにこう言われてしまった。
中学生~高校時代は母親のメイク道具を勝手に使っては、
母親にバレて怒られていた私だったのに、大人になったら
「メイクをしない」ってことに怒られるとは・・・(苦笑)
これが女で生きるということか。
18歳で地元 熊本県の商業高校を卒業した私は、
そのまま愛知県一宮市の居酒屋へ就職した。
「なんでわざわざ一宮なんかに?」
一宮市でできた友達からは意味不明な行動に見えたようで、よく尋ねられたが、
私の地元、熊本県球磨郡は仕事がなく、多くの若者は高校卒業と同時に
福岡、大阪、愛知、東京へと出稼ぎにいくのが普通だった。 今もそうだ
就職してから私はまず、ヒゲの永久脱毛に給料を全部つぎ込み、
性同一性障害のカウンセリングに通い、ヒマな時はネットカフェで
女体化情報を貪(むさぼ)り食うかのように調べまくっていた。
仕事が休みの日は脱毛エステかネットカフェにいた。
家には寝に帰るくらいだったかな。
ネットカフェでは性同一性障害である自分のことをブログに書いたり、
自分と同じような性同一性障害の人のブログを見つけてはコメントを書いていた。
この時、まだ診断は出てなかったのだが、確信は持っていたんだ。
自分は性同一性であると。
ブログを通して知り合ったFTMの人に、名古屋市のフローブクリニックという
美容外科を教えてもらい、19歳になった2006年12月16日に
女性ホルモン注射をしてもらった。
始めてのホルモン注射の感想は・・・「予防注射」みたいだった。
それまではジェンダークリニックに通って、GIDのガイドライン通りに
治療というものを進めていたのだが、診断書の取得までに時間はかかるし、
もう待てないと思ってフライイングしたのだ。
そのフライイングで私の心に火が付いたのか、
その後はカウンセリングに行くことも辞めて、転職し、お金を貯めて、
声を高くする喉の手術、睾丸摘出術、豊胸手術を1年間のウチに一気にやった。
そして、2008年の12月1日に名古屋市錦3丁目のニューハーフクラブ
「AQUA」でニューハーフとして働きだし、
プライベートの生活も女性として過ごすようになったのだ。
昔は「そうなったら楽しいだろうな」という憧れでしかなかった女性としての生活。
実際その立場、女性として生活するようになれるなんて夢みたいだった。
今の自分は仮の姿で、本当は夢が覚めたら男としての現実に突き落とされるんだ。
などと、変な不安を持っていたこともあったけど、
日に日に「これが現実なんだ」と気づいてくると、毎日が楽しくて仕方がなかった
お店に出勤すると、テレビの世界でしか見たことない、すごくキレイな
ニューハーフのお姉さん達が待っていて、会話してくれる。
「その胸どこで手術したの?」
「触ってもいい?どんな感じ?」
と、私のチチを揉んでくる(笑) そして私はかわりに先輩のチチを揉む(笑)
お店にはショーを踊る舞台があり、その裏には楽屋がある。
楽屋ではほぼ全裸のお姉さん、先輩方が身体を隠すでもなく着替えている。
見ているこっちが恥ずかしくなるほと堂々としてるんだけど、
よくよく考えたら、私も「女扱い」されてるんだなぁと気づく。
つい2週間前の11月20日まではトヨタ自動車の高岡工場で男として勤務していたのに、
男子寮に済んでて、男湯入ってた私なのに、
2週間後にはほぼ全裸のお姉さん達が着替えている楽屋で、わたしも着替えるわけだ。
「これが女で生きるってことか・・・」
理解はできても、慣れてないことに脳みそがパニックを起こしそうだった
今まではずっと「女性として生活すること」がゴールだと思っていたのに、
いざ、女性として生活しだすとそこが「スタートライン」だったことに気づく
「女性に見られたらいいなぁ」と思って生活していた過去が
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