『河 岸(カシ)』父親と暮らした記憶がない、半身の私が、人生の旅に出たストーリー
実家に戻り、お母さんと向き合った。
「いっぱいあったんだねぇー」とおじい様の事を言うと
「昔、国税局の査察が入って、会社が傾きかけた事があったから、その時に、だいぶ土地や別荘も売り払ったからねぇー」
「それから、財を成し遂げるとは凄いねぇー」
懐かしむように話し出したが、私にとっては、日本の高度経済成長を感心するぐらいで、他人事のように聞いていた。
「その頃、おじい様に隠し子がいてねぇー。お姉ちゃんと同級生だったから、学校が一緒にならないか心配した覚えがあるよ」
「おじい様も、たいがいにしなかんねぇー」
「でも、お父さんに、向こうの子供が居なくてよかったわー」と正直な気持ちを話した。
もし、腹違いの兄弟でも居たらと考えるとゾッとした。
こんなにすんなりとは事が運ばないのは当然だろうに・・・。
「その心配はしなくて済んだわ、避妊手術をしていたから」
「そうなの?」
「真理が産まれて直ぐに、あんたのお婆ちゃんが(母方)『あの人は絶対女を作る』って言い出して、三人も居るから避妊手術を勧めてねー、その時はまだ、仲が悪いわけでもなかったけど、直ぐにそれに応じたよ。今考えるとお婆ちゃんの先見性の目は確かだったわー」
もう何を聞いても驚かなかった。ただ私の小さい時に亡くなってしまった、母方のお婆ちゃんにも感謝の気持ちだった。
「死んだって聞いても涙も出ないねー」と遠くを見つめたように、お母さんは漏らした。
今まで聞いた事がない事を聞いてみた。
「なんで離婚したの?」
「お姉ちゃんが中学に上がる前に、お父さんの方から 『世間に朝鮮人だと、ばれるといけない、経済的には一生面倒見る』 という約束で別れた・・・・」と
そういう時代だったのかも知れない。
性格の不一致もあったのだろうが、親父の逃げ口にも思えた。
他の女性の存在があったのではないか?と疑心した。
今更、理由なんてどうでもよかったが・・・。
何となく不思議に思っていた事がある。
父の衣類等が、かなり、私が大きくなるまでタンス等にあった。
自分だったら離婚した元旦那の服等とっとと棄ててしまうのに・・・と。
ただ単に、母がものぐさだっただけなのか?
母に聞くと
「いつか帰ってくると思った・・・」
眉を顰めて開いた口が塞がらなかった。
「女が出来たと思わなかったの?私だったら三日で気づくよ!いや、女が出来たか?とまずは疑るよー」
私は、自然に声を荒げて罵ってしまった。
「全く考えなかったなぁー」
とあっけらかんと言うお母さんに、私は呆れてしまったが、
その時代の母親ってものは、健気で奥ゆかしさを持ち合わせていたとして敬う気持ちにもさせられた。
「名前(性)変えればよかったなぁー」と
お母さんの悔やむ気持ちを添えた一言が、胸に刺さった。
お母さん自身も、初めて聞く後妻の名前には、かなりの違和感があったに違いない。
多分、私だけが、女性の存在を知っていた。
母や姉や兄は、私より曖昧だったと思う。
父が生きていた頃、一度だけ聞いた
「お父さんが死んでも何にも気にするな」と・・・。
親父は他の女性と愛し合い結婚していた。
その夫婦には、親父のせいで子供が出来ない。同じ女性として考えるならば、さぞかし父の子を授かりたかったのかも知れない。
父もまた、自分だけに子や孫がいる幸に対して罪悪感があったのではないだろうか?
がんとの闘病生活の中、すべての財を整理し、遺言を残し、後の者が困らないように手を尽くし全うしている。
私は、あの時代に生きた ゛男の美学〟 を親父なりに突き通したとしか思えてならない。
兄は黙ってスーツケースに形見の衣服をしまっていた。鞄は私が貰う事にした。
兄は出国した。
私も家路に就く。
いつもの椅子に腰かけ、喪失感の中、ふとカレンダーに目を向けた。
息子が突然に 「おじいちゃんに逢った事がない」 と言った頃と命日が重なった。
命日より数えで今日は、ちょうど仏教でいう 四十九日 であった。
何かしら、因果を感じた。
おばあちゃんが言い放った。
『私は神も仏も信じとるでー』
の言葉を思い出した。
一ヶ月程経ち、遺産協議書の自署捺印の為、弁護士と接見する事になった。
兄はすでに、郵送にて自署捺印を済ませてある。
昨日の夜、兄の第二子の長女が産まれたと報告があった。
朝のラッシュ時にぶつかるので、割と早めに家を出る事にした。カーナビで住所をセットをして姉と向かった。場所は直ぐにわかった。
思いのほか早く着きすぎたので、近くの喫茶店に入る事にした。
珈琲を飲みながら、他愛もない話しで笑いこけていたが・・・心の中は複雑な気持ちだった。
協議書に捺印してしまえば、本当に縁が切れてしまうような気持ちだった。
約束の時間が近づき店を出て、弁護士事務所のあるビルの前に着きエレベーターに乗る前に
「私が話す事に口出さないでね゛そんな事言わなくても〟とか言わないでね」
と姉に言うと
「わかったわ」
と直ぐに言ってくれたが、内心、妹が何を言い出すか不安であったと思う。
それなり緊張もあったが、事務所の扉を開け、応接室で始めて弁護士と顔を合わせた。
年配の弁護士で、お互い挨拶を軽く済ました後、
手始めに、遺言状を見せてもらった。
遺言状が、いつ書かれたかが気になった。
最後に、電話で話した直ぐ後なのか?
ー書かれた日付は今年・・・。
亡くなる五か月前の、病院において作成されたものであった。
゛全財産を妻に相続させる〟と書いてあり、
付言として、
゛死亡を誰にも知らせずに葬儀をしないよう希望する〟
と間違えなく書かれてあった。
遺産として、証拠となる預貯金通帳も見せてもらった。
「一・十・百・千・万・・・・・・・」
初めて見る数字の数に、恥ずかしながら指で一から数えてしまった。
一番、気になっていた事を弁護士に問いただした。
「実際は、父に、生前から頼まれていたのでしょうか?」
弁護士は、首を横に振った。
「お父さんの死後、奥様より役所にご相談があり弁護人として選ばれましたので、生前のお父様とは全く面識がありませんよー」
「それに、遺留分についても、普通は、相続人の子供が請求するものであって、それを奥様の方からお渡ししたいとの意向で依頼を受けています」
完璧な、身辺整理をしていた親父は、私達にも困らぬように、後妻と私達が接点を持たないように弁護士にも頼んでいたに違いないと信じていた。
遺留分の存在を、親父が知らなかった筈はない。
本気で私達には、渡したくなく、恨んで死んだのか?・・・・。
最後に残された希望を打ち消されたようで、唇を噛み締める気持ちだった。
姉と私は、自署捺印をして事を済ませた。
弁護士も、こちらの気持ちを察してなのか?
「少し、複雑なご家庭だったようですね」
と言葉を添えた。
「そうですね、知らなかった事が多すぎて気持ちの整理が出来ないのが現状です」
と姉が答えた。
「父が、生前は大変お世話になりましたと、必ず奥様にお伝えください」
との言葉に、意外にも姉も食らいついて一緒に声を揃えた。
伝わるか伝わらないかは分からないが、最初で最後の心であった。
私達を宥めるように
「まぁー、これだけ貰えれば」と弁護士は促した。
「はした金です」
と笑みを浮かべて言い切り、私達は後にした。
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