農業に絶望した僕が、ある包丁研ぎ師さんに救われた話

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『“包丁を研ぐ”ということは、

 持ち主の心もキレイにするということ』


ある包丁研ぎ師さんに、僕は救われました。


その人が研いでくれた包丁に、

僕は心を癒されたんです。


「包丁に、心を癒される?」

「え? 意味わかんねーよ」


そうお思いでしょうか?


当然だと思います。

僕もまだ、ちょっと信じられませんから(^^;


でも今、手元にある包丁を見ながら、

胸に湧き起こってくる気持ちは本物……。


このストーリーは、

僕に大切なことを 気づかせてくれた

ある包丁研ぎ師さんのお話です。



  *  *  *  *



僕は、自然栽培の農業をしています。


「え? 包丁の話と ちゃうんかい?!」

と、さっそく思われそうなのですが……

まずは 僕のことからお話しさせて下さいm(_ _)m


いま僕は「自然栽培の農業をしています

と言いました。


ですが本当は、「していました」

過去形にした方がいいかもしれません。


今年 僕は、5年間続けてきた自然栽培を

辞める決意をしたのです。



農薬や化学肥料を使わず、

更には有機肥料をも使わない自然栽培は

言うまでもなく厳しいものです。


その厳しさを覚悟のうえで、5年前、

僕は自然栽培を始めました。


詳しい経緯は省略しますが、大きな動機は


「土や生き物や植物が大好きだから、

 それらと共存できる農業がしたい!!」


「大地に生きる全ての命を輝かせるんだ!!!!」


そんな想いで始めました。


もちろん、栽培はすぐには上手くいかず、

作物が虫に食べられたり、

気候や土壌のせいか全然成長しなかったり、

そんなことを繰り返してきました。


けれど、それでも

「きっとこれが、自然と人間が共存する

 未来の農業のカタチになる!!」

そして、

「食べてくれる人のためにもなる!!」

そう信じてやってきました。


その甲斐あってか、少しずつではありますが、

野菜やお米ができてくれるようになりました。



ですが そこで、ある大きな壁にぶつかります。


その壁とは、“人”。


「無農薬? だから、なに?」


「このお米、なんでこんなに高いの?」


「このニンジン形悪いから、値段下げなさいよ」


そんな風に言われました。


もちろん、理解して下さる方もいたのですが、

「人に価値をわかってもらえない」

という壁にぶつかったのです。


当時の僕に

価値を伝えるチカラが無かったのが原因ですが、

そのことによって 心をすり減らしていきました。


当然のことながら十分な収益も上がらず、

毎年の赤字を見るたび落ち込んでいきます。


そんな中で、もともと持っていた

「大地のため」「命のため」という

純粋な想いが見えなくなっていったのでした。


「いや。それでも頑張ろう!!」


「ここまでやってきたんだから、

 あきらめるなよ、俺!!」


なんとか気持ちを奮い立たせながら

自然栽培を続けていきました。


ですが、やはり無理が生じていたのでしょう。

どんどん田んぼや畑から遠のいていく自分がいました。


「こんな採算の取れないことをやって、

 何か意味があるのだろうか?」


「こんなに頑張っても人は認めてくれないのに、

 やってる意味はあるんだろうか?」

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