陸の孤島の小さなクレープ屋さんの物語

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前話: 終わりなき旅~ミスチルから何度も元気をもらった~

売上が上がらないという事は、どこか自分の店に問題がある、悪いところがあるという事です。そんな時に「広告」や「販促」を行うと「我がお店の問題点を顧客に露呈することになり、かえって逆効果」なのです。


<第2章>


2007年 4月10日 AM:11:00


宮崎県延岡市平原町という小さな町に「クレープティファニー」という小さなクレープ屋さんがオープンした。


前回もお話したが、とにかく家には「お金が無かった」ので、オープンを告知する広告の掲載やチラシを撒く事も出来なかった。


その日の営業のための材料と釣り銭を準備するだけでギリギリだったのだ。


オープンまでにかかった看板の製作費や設置費などの経費はすぐには払えなかったので、業者さんに頼んで月末まで待ってもらった。


つまり、お客が来てくれなければ生活も出来ないし、明日の営業に必要な材料を購入する金もない、お店の看板を作ってくれた業者さんに払うお金もないという気が狂いそうな状況だったのだ。





そんな中でのオープンだったものだから、当然心に余裕があるはずもなく、ましてや未来の希望に胸を躍らせる様な感覚には到底なれるはずもなかった。


お袋から「笑顔がない」とか「顔が怖い」とか言われたが、そんなの当たり前だ、こんな状況で笑顔が作れる程僕の心は強くない。できるとしたら引きつった作り笑いが精一杯だ。


オープンする日時は身内や友達には伝えていたが、それ以外は広告を打つ金もないので、お店の前にボードを立て、カレンダーの後ろに「本日11時開店」とだけ書いたものを貼り付けて告知していただけだった。


☆そして迎えたAM11:00。


恐る恐る入り口のブラインドを上げて僕はビックリした。

数名だがお客が並んでいるのである。


お客を迎え入れ、注文を取り、クレープを作り始めていると

なんと次から次へとお客が来店してくるのだ!


その日はまともにお客様の顔を見る事ができないくらい忙しく、ずっとクレープを作る作業だけに集中していた。



閉店時間の19:00を待たずして、その日準備した材料が全て売り切れてしまったので早々に店を閉め、僕は畳の上に倒れこんだ。


天井を見上げてボーっとしながら、告知をしなくてもこんなにお客が来るというオープン効果にビックリしながらも手放しで喜べずにいた。


とりあえず今日は何とかなった。明日もなんとか営業が出来そうだ、でもこんな事長くは続かないだろう。最初だけに決まっている。もしかしたら明日から全然お客が来ないかもしれない。。。。とネガティブにしか考えられなかった。


しかし、次の日も、その次の日も、そのまた次の日もずーっと連日お客だらけの大盛況の日々が続いた。


オープンから3ヶ月経った頃はさすがに平日こそは客足が落ち着くものの、週末には必ず行列ができるという繁盛店になってしまっていたのだ。


月末に支払う予定だった業者さんへのお金も前倒しで支払うことが出来たし、毎月の返済金も滞ることなく支払えるという奇跡的な状況に家族そろって歓喜したのである。


お店は週末になる度に行列ができる繁盛店になり、そんな状況がオープンから2年も続いた時、僕は「もっと売上を上げたい」と思うようになっていた。


この様に書くと、さぞかしクレープ屋は儲かっていたのだろうと思われるだろうが、実際は昔のように借金が膨らむ事はなくなったものの、毎月の銀行への返済金や税金や家族全員分の年金や各種保険やイレギュラーの出費などを支払い、生活費を差し引くと僕の手元に残るお金は10万円程にしかならなかった。


僕は月収40万のワ○ミの店長から一転して月収10万円のクレープ屋の店長になってしまっていたのだ。


もともと親父とお袋を幸せにしたい一心で頑張っていたので、自分の給料が少なくても、あの地獄の様な日々から解放され安堵している両親を見ているだけで幸せだった。


しかし、月日が経つに連れ、自分のやりたい事ができない、給料が少ないから買いたいものが買えない、車も欲しい、このままでは貯金もできない、結婚もできないと不満や将来への不安を感じるようになってきた。


このままのペースで借入金の返済をしていっても完済する頃に僕は43歳になっている。。。これは堪ったもんじゃない!いくら両親のためとは言え43歳までこんな事を続けるのは御免だ。


だからもっと稼いで、借入金を早期完済し、自分の給料を増やすために「もっと売上を上げたい!」と思うのは至極当然の流れだと思う。


そしてこの瞬間からクレープティファニーの崩壊が始まることを僕はまだ気づいていなかった。


●もっと売りたい!!


クレープ屋の営業も3年目に入った頃、僕は売上を上げるために色んな手を打ち始めた、その打つ手が全て裏目に出ていくのである。


第1の失敗:週末の行列解消のためにアルバイトを大量雇用した。


ありがたい事にオープンから3年目に入っても相変わらず週末は行列ができる程の盛況ぶりだった。最大で40分待ちが発生する事があったりして、待ちきれずに帰ってしまうお客様も居たりした。



お客様が帰るという事はその分売上が減るということだ。僕はまず売り損じをなくすために、それまで僕とお袋の2人で切り盛りしていたお店にアルバイトを複数人雇用したのである。


当然だが、最初から仕事のできるアルバイトさんは居ない、しかもクレープ屋というのは生地を焼く技術を習得しないと肝心なクレープ生地が焼けないので、全ての持ち場がこなせる様になるまでには時間がかかるのである。


僕はアルバイトに接客やサービスの教育、クレープを焼く技術を習得させるために、平日にも余分な人員をシフトに入れた。これによりさらに人件費は上昇したが、一日でも早く週末の戦力になって欲しかったのだ。


■そうしてアルバイトを育てて、週末の営業を迎えたが。。。。。


確かに2人でやっていた時ほどお客様を待たせる事はなくなった。

提供時間の早さも向上した。


しかし、不思議な事に売上はアルバイトを雇用する前とほとんど変わらなかったのである。


●なぜ売上が上がらなかったのか?


理由は簡単。


もともと週末の土日に待ちきれずに帰ってしまうお客様は3~4組しか居なかったのだ。


1組当たりの客単価が900円だとしても、4組で3600円の損失である。


僕は3600円の売上を取るためにアルバイトを雇いその何倍もの人件費使ってしまっていたのだ。


客数や売上は変わらず、人件費だけが上昇し、利益が低下。

上手く教育ができずにサービスや接客の質も低下した。


目先の売上に目が眩んで、状況を的確に判断できていなかった僕の最悪のミスだ。


こんな事冷静に考えればわかりそうだが、現場でワーカーとして働いていると周りが見えない上に、当時の僕には知識も力もなく、根拠のない勘と思い込みで経営している「おままごと経営」だったのだ。


本来僕が取るべき対策は、「アルバイトの雇用」ではなく、「オペレーションやメニュー構成や作業手順の見直し」だったのだ。


第2の失敗:手当たり次第に祭りやイベントに出店を開始した。


それまで2人でやっていた作業が人数が増えたことにより、負担が減り楽になったが、負担が減った分、手が空く事が多くなった。その暇な時間と余ったスタッフをどうにかするために、各種イベントやショッピングセンター等に手当たり次第に出店を開始した。



週末の大きなイベントになると、お店を閉めてスタッフ総出でイベントに出向く。


お店で営業するより、イベント出店の方が売上がとれる場合があるからだ。


当然、その日お店に来店したお客様はお店が開いてない事にがっかりする。

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