食べられないことについて

著者: Miyoshi Hirofumi

小学生のころだ。





たしか私が班長をしていた班に


N君という子がいた。


取り立てて、目立つことのない


おとなしい男の子だった。




その子は、ご飯を食べるのが遅かった。


それに嫌いな食べものが多かった。


それで、給食の時間が終わっても、


まだ食べ終わっていないことが多かった。






時間が来れば、食器や残飯は片づけられた。


昼休みの時間が始まる。


みんなが外に出て行く中で、N君は


一人まだ給食を食べていた。


食べ終わったら、走って給食室に片づけに行った。



たまに、昼休みが終わっても食べ終わらないときがあった。


次は昼の掃除で、机が端に片づけられる。


食器が置かれた机を持って、N君は端に動く。


埃が舞う中で、N君は嫌いな食べ物と格闘を続けていた。




僕は、班長の手前、N君のそばでよく励ました。


「ガンバレ!もう少しで食べられるよ・・・」


食器をただ見つめるN君を、上から見下ろす光景を


僕は今思い出す。





早く食べること。


全部食べること。


それは、社会生活を営む上で大切なことかもしれない。


僕のいた前の会社は30分も食べる時間がなかった。




しかし、僕は今気にしている。


見下ろした視線の先にあるN君は


泣いてはいなかっただろうか。


僕がN君に伝える言葉は、


違っていたのではないか。


僕は本当にN君の側にいただろうか、


ということについて。

なぜなら、今の僕はあのN君かもしれないから。




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