僕とプロレスと三ちゃんと

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1.僕とプロレスの邂逅

僕がプロレスにハマったのは高校生の時。

深夜放送のワールドプロレスリングがきっかけだった。



たまたま深夜遅くまでTVを見ていたその日。始まったのは新日本プロレスのプロレス中継だった。華やかな演出、マスクマンの見事な空中殺法、へビュー級レスラーの技の迫力。気づけばその中継に夢中になった。


好きになると毎週見たくなる。毎週土曜の深夜が楽しみになり、気づけば毎週木曜日発売になる週刊プロレス・週刊ゴングを貪るように読むようになった。受験コースにいた僕は勉強に熱中する必要があったのだが、当時は勉強<プロレスで夏休みの勉強合宿の時でさえ自習時間に週刊プロレスを読むほどのハマり様だった。


学校で友達に会えばフライングクロスチョップで挨拶は当たり前、高台があればすぐにそこに上り必ず空中殺法(あまりにも学校で色々な所に上りすぎたため窓のヘリに上っているところを先生に見つけられてそこに柵がつけられたこともあった…) 年賀状には1枚、1枚凄いプロレス技の写真を貼り、お年玉は闘魂ショップでたんまりプロレスグッズを買いあさる為に消えていった。。


当時、特に好きだったのが獣神サンダーライガー。当時Jr戦線で絶好調だったライガーは見る試合見る試合全戦全勝。相手の肩に乗り上げて後ろ向きにぐるっと回るフランケンシュタイナーの華麗さには目を見張った。骨法で鍛えたアッパー掌底も凄かった。ラリアットで一回転は良く見たものだったが掌底で人を一回転させられるのはライガーが唯一だった。


ライガーのアッパー掌底。時に一回転させる破壊力


貪るようにみたライガーのベストバウト集でみた空中技「シューティングスタープレス」もとんでもない技だった。トップロープから空中で一回転してフォールする技として有名なのがムーンサルトプレスだがこれは後ろ回りで着地する無理のない技。それに対してシューティングスタープレスは前回りに回転しながらボディを相手に叩きつける技なのだ。タイガーマスクの四次元殺法の様な画期的で体操技の様な華麗さに酔いしれた。


シューティングスタープレスの華麗さは動画でないと伝わりずらいかも。


そんな僕が「プロレスラーになりたい」と考えるのは当然の道のりだった。ライガーの筋トレ本を買い、そこに書いてあるトレーニングを一通り始めた。筋トレは元々好きだったので更に鍛えるイメージだ。部活動もディベートの雄弁会に所属していたのと並行して柔道部に入部。(当時の主力選手だった橋本も武藤も柔道出身だったため柔道部に入るのがレスラーになるための最短ルートと考えた。) 体を大きくするため日本昔話ばりの山盛りご飯を無理して食べて、家にある一番重い石油ストーブを片手で持ち上げて鍛えた。学園祭では当時、V6の「学校へ行こう」の番組コーナーである「未成年の主張」をオマージュした企画があったのだが、そこに僕は出場し大勢の前で「プロレスラーになりたい!」と大見得を切ったのである。


大学もプロレスラーになるために最高の場所を探した。長州力・馳浩を輩出した専修大学、ケンドーカシンを輩出した早稲田大学などを候補に見据えて将来のプロレスラーへの道を夢見た。大学に入ってからも早稲田のレスリングの授業で太田章(レスリングオリンピック銀メダリスト)先生に教えを乞うたりした。そして大学のプロレス愛好会にも所属した。ここで大学プロレスのメッカのサークルに所属していたらその後のプロレス人生が変わっていたかもしれないが(大学プロレスからは後の棚橋弘至やハヤブサ、レイザーラモンHG,RG等を輩出)、愛好会に入ってしまったのが運のつき。


愛好会と一緒に東京ドーム大会の佐々木健介VS大仁田厚戦などを見に行ったのは良き思い出なのだが、飲み会が酷かった。好きなレスラーを言うとそのレスラーのテーマソングを皆が歌う(僕は勿論、”怒りの獣神”だった)。その中で酒を一気飲みするという学生ノリ。そこまではいいとして最終的にその飲み会は酒や食べ物が目の前にあるのに毒霧合戦を始めた先輩により阿鼻叫喚の世界となるのであった。他にも色々要素はあるのだがその姿を見て客観的にみると冷めてしまった自分がいた。時はおりしも格闘技全盛時代となっておりプロレス<K-1や総合格闘技の方が勢いが出始めていた時期でもあった。僕のプロレスラーとなる夢はここで潰えてしまうこととなるのであった。。。


毒霧。飲み会の席でやりあってはけしていけないシロモノ。


2.プロレスの歴史とその世界

そんなプロレスの世界だが幅広く歴史を紐解くだけでも三日三晩語り明かせる楽しさがある。


日本にプロレスブームを巻き起こしたのは力道山だ。第二次世界大戦で世界に敗れた日本人は復興~朝鮮特需を乗り越えて高度経済成長期へと向かう中、外国人レスラーを空手チョップでばったばったとなぎ倒す街頭プロレスの中の力道山の姿に日本人の誇りを取り戻し夢を見たのだ。当時の力道山VSデストロイヤー戦の平均視聴率が64.0%を記録したことからもいかに国民の関心が高かったか伺いしれる。そんな力道山は暴力団組員に刺され突然の死を迎えるが彼には2人の強烈な弟子がいた。ジャイアント馬場とアントニオ猪木である。


力道山の日本プロレスは日本テレビをバックに持つジャイアント馬場の全日本プロレスとテレビ朝日をバックに従えたアントニオ猪木の新日本プロレスに分かれることになるが、持ち前の巨体を活かし多くの外国人レスラーを倒す馬場に日本人の夢は引き継がれ、格闘技路線を作りストロングスタイルを確立した猪木の活躍に話題は引き継がれた。二人の団体はそれぞれゴールデンタイムの8時に放映された。(馬場の全日本は1958年8月から1972年(昭和47年)5月まで約14年間。・猪木の新日本は1973年4月から1986年(昭和61年)9月までの13年6カ月間。金曜8時といえばプロレスが当時の当り前だった。)


その後も新日本はエリートの藤波辰巳(マッチョドラゴン)に雑草の長州力が「俺はかませ犬じゃねぇ!」と噛みつく名勝負数え歌や、前田日明や高田延彦などとのUWFインター全面戦争時代を経て橋本・武藤・蝶野の闘魂三銃士時代へとつながっていく。一方で全日本も馬場の弟子のジャンボ鶴田が外国人レスラーを倒す系譜を受け継ぎ、最強の遺伝子は三沢・小橋・川田・田上の四天王プロレスへと更に昇華されることとなる。この頃(90年代)はプロレスの第2次最盛期ともいえる時期でドーム大会も年に2~3回開催され全て満員札止めだった。98年のアントニオ猪木の引退試合は7万人を動員している。ちなみに最強のプロレスラーは誰だ?という問いはプロレス好きの永遠のテーマであるがその一つの答えとして気になる方はこちらの動画を見てほしい。最強については諸説あるので機会があればまた語りつくしたい所。


マスクマンの系譜についても述べておきたい。プロレスブームの立役者として有名なタイガーマスク。梶原一騎原作のマンガから飛び出してきたレスラーとして佐山聡扮する初代タイガーマスクが活躍するのだが、その4次元殺法があまりにも凄すぎた。華麗な空中殺法とテクニカルな技はメキシカンプロレスのルチャドールでは当然なのだが、抜群の運動神経でそれを披露するタイガーマスクは格好良すぎて世の少年たちを夢中にさせた。タイガーマスクはその後2代目を三沢光晴が3代目を金本浩二。四代目が佐山氏の弟子と引き継がれていく。更にブラックタイガーや女版タイガーなどその周辺のストーリーも含めて魅力的なコンテンツだ。


みんなの読んで良かった!