「置口空助の発達障害克服論」10年で概ね克服した話⑤B事業所(平成18年から平成21年3月)
非常に完成度が高いです。普遍性も高いと思います。様々な職種で応用可能と思います
それ以外にも7本人の工夫が随所にあります
タスク管理で色分けをすること
◎重要度が高く、緊急度が高いもの……赤色
◎重要度が高く、緊急度が低いもの….青色
◎重要度が低く、緊急度が高いもの……黒色
◎重要度も緊急度も低いもの……緑色
実際にいかに効率的にタスクの実行をするかも工夫されています。
(1) その仕事を捨てられるか?(本当にやる必要があるのか?)
(2) その仕事は自分でやる必要があるか?(他の人でもできるのではないか?)
(3) その仕事にかける時間をもっと短くできないか?(そのためにはどんな準備をしたらよいか?)
(4) その仕事は他に並行して進められる類のものか?
他にも様々な知恵がつまっています。この「未来ノート」にかける作者の思いが感じられます。タスク管理は人生を変える力をもっています。興味のある方は是非。
弱点「異常に疲れやすい」
B事業所で夜勤というものを経験します。この頃わたしは30代前半でした。夜勤の仕事はやっぱり体が辛いのですが、辛いと言ってもね、基本的に福利厚生に恵まれている事業所で、そんなに時間外の仕事もなかったですし、休日もしっかり取れました。
同僚の皆さんも体が辛いと言いながらも仕事していました。 60歳に近いぐらいの方もいましたし、 20歳位を少し超えたばかりの若い女の子もいました。その中で1番体力がないのは私でした。
基本的にいつも疲れていて体力が回復しない。このことに気がついたときには愕然としましたね。体格には恵まれているので、筋力というものにはそれなりの自信がありましたが。スタミナと言うものがまるでない。このことに気がついたのも、周りに人がいる状況だからでした。これまでの人生であまり人に関わったこともなく、人と比較することがあまりなかったので気がつかなかったですね。弱点「スケジュールをこなせない」で体が動かない事を書きましたか、これをモチベーションの問題だと思っていました。それもあるのでしょうが、今なら弱点「異常に疲れやすい」は発達障害者によく見られる症状と、理解しています。
最近やっと、小さい頃からその傾向はありましたが、高校時代以降は学校や会社に行く時以外はほぼすべての時間、寝て過ごしていたことに気がつきました。特に友人と彼に出かけるということもほぼなく、休日もずっと家にこもっている。 1人に転がっていて、できることといったら本を読むぐらい。私の趣味だと思っていましたが、基本的に外に出かける体力がないことも理由の一つでした。少し無理をすると、後で必ず寝込んでしまう。参るね。この当時はここまで理解していなかったです。
弱点「相手の感情に影響される」
特別養護老人ホーム、いろんな利用者様がいました。お年寄りというと人生の最晩年を迎えて、穏やかなおじいちゃんおばあちゃん。と言うイメージがあるかもしれないですね。でもそれは一面です。
特別養護老人ホームの利用者様は、非常に幅広いですね。他の入所施設と比べて料金が低く済むため、あまり裕福じゃない方もいます。むしろそういう方の方が多いかもしれないです。家族に恵まれている方もいるし、孤独な人もいますね。要介護度も軽い方から重い人までね。認知症の強い方もいます。そして、行き場のない感情を介護職にぶつける人もいますし、自分の思う通りに介護職員をコントロールしようとする人もいます。もちろんきちんと思いを返しくれる方もいます。が非常にストレスを感じる場所ですよ。俺まで働いてきた人間の率直な意見として、綺麗事では済まされない世界です。
こういう場所で働き、圧倒的に私は他の人と比べて消耗しまうのでした。相手の悲しみとかね焦燥感とかダイレクトにぶつけられている感じでした。皮膚もなく神経がむき出しの状態で、極寒の世界を歩く感じ。大変です。相手の感情を自分のように感じてしまう。そして自分の責任と感じてしまう。
「理解してくれ」とはいえないですが、こういう特徴を持った人は私以外にもいるようですね。
少し深く書きます。よく霊感のある人が登場する漫画があるじゃないですか。その場合って霊のほうも気がつくのです。「あ、この人に私に気が付いている!」と。そして体を乗っ取ろうとしたり、頼みごとをしてきたりする。だいたい霊感漫画はこのパターンが多いですよ。
弱点「相手の感情に影響される」。実をいうとこの霊感の話に近いのです。こういうことは相互作用なのです。私がきがつくと相手も最終的に気が付くのです。そうなると「この人私の気持ちに気が付いている!」。となるのです。私の実感としては「集まってくる」です。
何か心に鬱屈を抱えている人や、なにか疎外されていると感じている人が多いね。「人生幸せ!」という人は来ないのです。今であればこういう感情を必要以上影響されないように「ブロック」することも出来るのですけどね。この当時はやられ放題でしたね。でもこのことが現在に繋がっているのでね、文句は言えないね(笑)。
弱点「認識できない」
これもなかなか説明するのが難しいことなのですが、あまり見えてないのですね、私の目が。正確に言うのであれば、認識できていない。全く認識できてないってわけではないのですが、自分の感覚としては5割なのかなと思います。他の人に比べてね。
うーん、理解してくれとはいえないね(笑)。
ある風景を想像して下さい。草原の中に桜が立っていて、後の方には山があると。
私の場合は桜がわからないのです。正確に言うと桜にあることに気がつかないことが多い。
どうも、視覚の中で個別に認識するということが非常に難しいようです。さっきの風景のことについても、あくまで桜があって後に山がある。そういう風景としてとらえますね。
そういう1枚の絵として捉えているのかなと思っています。だから全体的な把握するということですね。細部はよくわからない。
現実の仕事の中でも困りますよ。部屋に入って椅子で座ろうとしたのなら、椅子は認識できます。ただ他のものもわからない。近くにゴミ箱があるとか、椅子の上にお菓子が乗っかっているとか難しいですね。ただこの認識にも、非常に波があるのです。斑ですね認識の度合いが。
成果物系「仮説 思考空白と認識できないこと」
自分が「認識できない」と言うことに気がついたときにいろんな考えが生まれました。弱点「思考空白」についてですが、「認識できない」ことが原因ではないかと思いました。少なくとも影響しているのは間違いない。
例えば、一般の人はごく普通にものが見えるわけです。思考というものは、外部の刺激によって動き出すことが多いかなと思っています。もちろん内省というものがあり、この場合は外部の刺激というものはそれほど必要ないかもしれませんが。
壁に囲まれているのです。壁に囲まれて情報をある程度遮断された生活をしていると考えてください。たぶんこういう表現で合っているのかなと思うのですが。
この原因はなんなのだろうか。「視覚情報を私は正確には認識していない」これはたぶん間違いない。「独特の思考になるのは、人と同じようには視覚情報をに認識していないのではないからではないか」」という仮説です。
先天的な視覚障害の方のことを考えます。まず目の前に「みかん」があったとします。においとかね、いわゆる「みかん」ということが認識できたとします。ただ、色のグラデェーションとか判らないし、マジックで「8/7日収穫」と書かれていても判らない。
そしてこのことについて視覚障害者と健常者が「みかん」について会話ができるだろうか?
基本的な共通言語「みかん」が成立していないわけです。もはや違う「みかん」ですよ。
たぶん私が感じている世界との齟齬は視覚障害者のかたの考えにちかいのではないか?
「思考は外部の情報が基礎になっている」。
目の前に傷ついた犬がいるとするじゃないですか、
普通の人たちは耳の所から血が出ている。とかねダックスフンドだわとか視覚情報からいろんな情報出ているわけですね。だから普通に皆見えているもの同士なら情報を基本とした意見交換ができるわけですね。
見ている前提ですよ。
視覚情障害者に限らず、視覚からの情報が得られない場合はどうなるか?
情報から思考を組み立てる。視覚からは「傷ついた犬」のリアルなイメージを作ることは無意味ですよ。なぜなら実際とは違うから。聴覚からは犬の様子がある程度判る。そして何か周囲の人間が騒がしいことが判る。私の場合ですよ、一緒に心配する様子をしますね。実際は無理なのですよ。リアルの様子が判らないのでね、深い共感は難しい。
そして傷ついた犬、騒いでいる人こういうことから、人の習性とかの考察をしますね。それと理解している「私」にたいする考察です。視覚からの情報が認識できないとこうならざるを得ないのかな?
成果物系「認識できなくても仕事をこなす方法」
「認識できない」。特に視覚というものがあてにならない。この状態で仕事をこなすか。ただ幸いなことに全く見えてないわけではない。これはラッキーかなと思いましたね。たぶん本当にすべてのものが認識できないのだとしたら、さすがに私としても対策が思いつかないですね。
自分の幸運に感謝したい。
これは徹底的なタスク管理をするということで、おおむね解決することが出来ました。まずその日にやる行動をリストアップしてまずそれをこなすという作業する。実際仕事をしていると、こういうことに力を注いでいる人はあまりいなかったですね。
自分のすべき事が分かると言う事は、非常に強い影響力を持つことになりますね。その場をコントロールすることもできますね。自分の行うべき作業をまずすることで、「余力」が生まれます。
私は認識能力に不安があります。そのときに困るのが「突発事故」なのですが、その部分を「余力」が担当する。ただ、「突発事故」といってもそれほどを自分の予想外のことがそれほど起きないですよ。あくまで介護の現場に起きることの範囲内ですね。
そして仕事の方針としては「認識できない」この状態で、 100点満点もしくは100点に近い点数を狙うのは無理と見切りをつけました。私の能力で100点を目指すことは身の危険さえある。であるならば、 75点を狙おう。それを数多く狙おう。という発想に変えました。この発想を支えてくれたのはタスク管理という技術でした。これで結構うまく行きましたが、綱渡りをしている自覚は常にありましたね。ただ一方で非常に面白いことをしているなとは思いましたね。「こんなことをする奴、日本にいる?」多分あまりいないですよね(笑)。
今思えばやめとけばよかった
このB事業所に勤務しているとき、バイトばかりしていました。無理のきく体じゃないのですけどもね。自分に数々の苦手なことがあって、体力的にも問題があってさ、今ならば全力で止めますよ。バイトしたいなんて言ったらね。
その頃私は追い詰められていました。と言うよりも自分で追い込んでいましたね。常に発達障害を克服するという意識がありましたから、アイディアが次々浮かびます。ここをこうしたらいいのではないかとか、こうゆう失敗をしたからこうした方がいいのではないかとか。そのアイデアを実現しようと思うとお金がかかるのですね。例えばこの知識が欲しい。なら、本を買おうとかね。この技術が欲しい。誰かに習いに行こう。お金がかかりますね。
今ならば、お金がないなら無いなりの方法は思い浮かびます。知識や技術を身につけようというのではなくて、例えばもっと重要なこと、職場での人間関係をもっと良くしようとか。いかに自分の機嫌をとって仕事をし続けていくかとか。お金がないなりの工夫をして課題に取り組むとかいくらでもやり方があるのだということは理解できます。このとき私はそんな意識はなかったね。
それともう一つ重要なことがあって、その時私は自分が疲れやすいことはモチベーションや性格の問題と思っていた。そうなると「私にはもっと気合が必要だ!」と思いますよね。そして、一層過酷な状況に自分を追い込むのです。普通の生活をするだけで常に負担をかかるのですが、それだけで相当な無理をしている。
ただ、弁護をすると、もともと無理をしているので、一層の負担をかけても、普段と同じようにただ辛いだけなのですね。より負担をかけたことで辛さが増したのかということが全くわからない(笑)。であれば力の限り無理をするのです。気合で何とかなると思っていましたから。多分性格的にこういうノリが好きなのでしょうね。体が付いていきませんが。
間違いなく強烈な情熱持って生きている時期でしたね。ところが、そうは問屋がおろしませんよ、この「毒を食わらば皿まで作戦」もしくは「気合でなんとかするぜ作戦」。気が付いていないだけで体は悲鳴を上げているわけです。うまくいくわけない。案の定本業に影響がかなり出ていましたね。最後の方ぐらいはミスしまくりです。お陰で非常に信用というものを失われてしまった。それでも私はそれでいいと思っていました。「目標が達成できれば、それでいいのだ」と。なんていう傲慢な考え方かね。その当時の私はそんなことには思い浮かばず。暴走機関車のように前に進むだけでしたね。非難をあびながら。
当時の私に代わって、関わってくれたすべての人に謝罪します。「すいませんでした」これしか言えないです。反省が多い人生なのです。
弱点「思考が飛ぶ」 70%
弱点「何も考えられない」(思考空白) 90%
弱点「過食」 100%
弱点「整理整頓ができない」 100%
弱点「スケジュールをこなすことができない」 50%
弱点「異常に疲れやすい」 100%
弱点「相手の感情に影響される」 100%
弱点「認識できない」 70%
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