〜出逢い前夜〜僕がひとりの女性と出逢い、それまでのドン底から、経営者になって代官山に住むまでの話。
この関係に、感謝の心が芽生えることはほぼ皆無だった。
しょっちゅう、喧嘩をしていた。でも、僕は、ここすら逃げ出さすことが出来なかった。
だから、
僕は、決心した。
もう一度、就職をしよう!と。
大手転職会社に登録をして、過去の職歴を伝えた。すると、よっぽど、僕の前職の上場企業のネームバリューがあるせいか、転職エージェントの人に言われた。
完全に、、、ごまかした。
こんなところでごまかすくらいなら、
ホストなど、しなければいいのに、僕は、瞬時に、ごまかすことで逃げた。
しかし、僕のこの自信の無さが伝わったのか、転職エージェント君が、本気で動いてくれてないのは、いやというほど伝わってきて、僕は、この時ほど、上場企業を辞めて、ホストをやるという、自分の愚かさを、呪い殺したくなったことはなかった。
結局、、、70社に、履歴書と職務経歴書を送って、反応があったのが、、、1社のみ。
僕は、結果的に、その1社に、無理やり入社しました。
今で言えば、ブラック企業というやつだったかもしれませんが、とにかく、背に腹は変えられません。
仕事内容は、IT企業として、サーバ管理業務やWEB制作を売っていて、
完全に、飛び込みセールスで、受注するというスタイルでした。
僕は、元上場企業の営業マンとして、華々しく入社しました。ちなみに、その会社創業以来、大卒の新入社員は僕が初めてと言ってました。
初日から、100件の飛び込み営業。
僕は、半日で飽きました。
飽きたというのはまだ、良い表現で、ぶっちゃけ、怖かったのです。
それは、飛び込み営業において、受付のブロックを超えて担当者につないでもらえるのは、目標とすべきことなんですが、僕は、せっかく、数十件に1人の割合で、担当者がせっかく出てきても、、、
サーバとか、
WEB制作とか、
ドメインとか、、、何もわからないまま、飛び込んでいるので、会話にならないのです。
今考えたら、もっと勉強してから動くか、動きながら、スキマ時間で勉強すべきでしたが、
また、僕の悪い癖が出てきてしまったのです。
ただ、ひたすら耐える。
毎日、100件以上に飛び込み、せっかく、引っ張りだした担当者や、ベンチャー企業の社長たちに会えても、あたふたするだけ。
日に日に、周りの社員たちの僕の見る目が変わってきたのは、言うまでもありません。
辞めたい、
辞めたい、
辞めたい、、、、
朝礼で吊るしあげられて、夕礼には帰らせてもらえず、
深夜近くに、半べそかきながら、上司に電話。すると、上司は、たった一言・・・
「今日は、満足するまで、営業できたか?」
そんなの答えられるわけないです、、、
結局、3ヶ月の試用期間で試合終了。
人生で初めて、精神がぶっ壊れそうでした。
朝、電車に乗ると、急に頭痛がしたり、吐き気がしたり。
会社のドアが重く、朝礼の時間が恐怖でしかない。
上司も、一番、イヤだと思うところをつくのです。
「◯◯ちゃん、君は、只石くんの何が悪いと思う?」
茶髪の若いバイトの女の子にあえて、みんなの前で質問をさせるのです。
すると、その子は、さも当たり前のごとく、、、、
そして、僕は、2ヶ月と25日という、その会社創業以来、最短記録で、この会社もクビになった。
ちなみに、僕の入社前に入った女の子の営業マンが、1ヶ月で売れた金額が1万円という最低記録だったけど、僕は、辞めるまでの2ヶ月と25日間、売上ゼロ円という圧倒的な記録を残して、クビになった。
今でも覚えている屈辱は、その会社は、毎月月末が締め日で、月末までの分を25日に支払うので、
会社を去る時、その会社の社長が、
「おい、経理! コイツを銀行のATMに連れて行って、月末までの5日分、取り戻してこいや」
5日分を返さなければならない悔しさよりも、
僕が、1人で銀行に行くと、逃げると思われていることに、僕は、圧倒的な絶望感すら感じた。
また、
僕は、女の子に依存する生活に戻ってしまった。
僕は・・・社会復帰できるのか?
せっかくの会社もクビ、
夜の世界もダメ、
創業したてのベンチャー企業でも通用せず・・・
何が出来るというのか?
でも、結局、僕は動こうとすらしなかった。
変わりたいと思いつつ、変わる努力どころか、行動すらしない日々。
毎日のように、その子とも喧嘩、喧嘩、喧嘩。
そして、ついに喧嘩が・・・
それは些細なことがきっかけだった。
いつものように、喧嘩。些細なことで喧嘩が始まり、
お互いに、お互いを否定し合い、
口論が熱くなり、
たまたま近くに置いてあった包丁を彼女は、無意識に僕に投げつけた。
危ない!
避けようとした僕の腕めがけて包丁が飛んできて、バックリと腕が切れた。
尋常じゃない血が飛び散った、、、、はずだった。
しかし、テレビドラマのシーンとは違って、全く血も流れなかった。あまりに鋭利に切れたので血がすぐには出てこなかったのだ。
しかし、骨が見えた。生まれた初めて、歯以外で、自分の骨を見た。驚くほど白かった。なぜか、今でもあの真っ白な骨の色だけは覚えている。
そして、僕は思った。
「落ちるところまで落ちたわ。これが俗に言う、、、人生のドン底ってやつか。」
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