無職だった当時の僕に、無理やり、彼女が七夕の短冊を書かせた結果、1年後、あまりに信じられないことが起きた〜あの七夕が僕に、なりたい姿の描き方を教えてくれた。そして、人生の快進撃が始まった話〜
約1年間くらい、お世話になった寝泊まりをさせてもらっていた、先輩の事務所を出るために、引っ越しの準備をしていた。
本当に、お世話になった部屋だった。
今でも、首都高速にのり、箱崎インターチェンジを超えた先に見える築40年以上のボロアパート。
そこを車で通過するごとに、当時の記憶が過る。
結局、僕なりに一生懸命、努力したけど、先輩の仕事を軌道に乗せることは出来なかった。しかし、先輩は、僕の働きっぷりを評価してくれて、ビジネスがうまく行かず撤退を余儀なくされたときも、その事務所マンションを解約せずに、僕に無償でゆずってくれた。
僕は、先輩の仕事を手伝いながら、必死にパソコンを勉強し、WEBを勉強し、ホームページ制作におけるHTML構造を勉強した。
努力が実ったのか、しばらくして、先輩からゆずってもらったその事務所マンションの家賃を自分で支払えるようになっていた。
そして、仲間も増え、自宅兼オフィスが手詰まりになったことをきっかけに、レンタルオフィスを借りて、そのレンタルオフィスの近くについに引っ越すことになり、約1年半くらい、お世話になった想い出のマンションから引っ越すための荷造りをしていた。
ほぼ、間借りだったようなものだったので、荷物は少なかった。
本当に、先輩が優しく、テレビもソファーなども置いていってくれたが、
今回の引っ越しと同時に処分することになり、新居に持っていくものはほとんどなかった。
押入れの奥から・・・
持っていくモノは、数台のパソコンと、クライアントの資料や見積書などで、あとは、洋服などの私物。引越し屋さんを頼むまでもなかった。
そして、押入れの中を整理していると、見慣れない箱が1個。
見たことないけど、なんだ?
以前居た、先輩が置いていったのだろうか?と、思った。見たこともない、箱だった。
引っ越しの手を止め、思わず、箱のフタを空けた。
中身は、
輪ゴムでまかれた、折り紙のような紙の束だった。
あれ?これって・・・
輪ゴムを取り外して、細長い紙の束は、バラバラになった。
すごく、懐かしい感じがした。
「あれ、これって、去年の七夕の時に書いた短冊じゃん」
最初は、彼女に怒られながらも、
無理くり書き始め、短冊を書きなぐっていくうちに、彼女の言葉に励まされ
いつしか、気持ちよくなって、彼女が作った短冊をすべて書き尽くした短冊が
今、1年の時を経て、目の前の箱の中にあった。
懐かしいな〜
そんな想いで、パラパラと、1枚、1枚、
1年前の自分の気持ちを思い出しながら、見ていたら・・・
驚愕した。
真剣に、1枚、1枚、食い入るように読み上げた。
完全に、引っ越しの作業中ということを忘れて、短冊に書かれた言葉を1枚、1枚読み上げ
僕は、、、、
涙が、止まらなかった。
どんどん、涙が溢れ出てきて、
僕は、短冊を握りしめて、号泣した。
「全部、叶っている」
僕は、あまりに信じられず、何度も、何度も
同じ短冊を読みなおした。
すべて、叶っている・・・
僕は、
当時、彼女に言われなかったら、絶対に書いてないだろう短冊を見つめた。
当時、
本当に、書くのがいやで・・・
当時、
なにもしていない自分を認めたくなくて・・・
当時、
彼女に苦労ばかりかけておきながら、夢とか書くのが情けなくて・・・
当時の僕の短冊を書きなぐっていた時の
感情が鮮明に想い出し、涙が止まらなかった。
引っ越し屋さんに頼むわけでもないくらいの荷物だったので
自分の車で、運ぼうかと。
実は、数カ月前に、新車を買っていたのだ。
車は、ハマーだった。
WEB制作が、当時のクライアントに評判になってくれて
先輩もたくさんのお客さんを紹介してくれて
デザイナーさんたちを雇うことになり、IT業界って言えば、
やっぱ、六本木でしょ!と、引越し先は、六本木だった。
年収は、とにかく、すべてを犠牲にしてでも、目の前の仕事を
すべてやる!と決めて、かたっぱしから仕事を受注して
気づいたら、半年たらずで、サラリーマン時代の年収を超えていた。
著者の只石 昌幸さんに人生相談を申込む
著者の只石 昌幸さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます