ミラノの繁華街で愛車が爆発炎上した話
そこら中で、聴こえるギャラリーの悲鳴と笑い声、飛んでいくボンネット、飛び散るフロントガラス。あっという間に車内に燃え広がり炎は車高の3倍程の高さに上がり黒煙はかなり高くまで上がっていた。
周りの店は更なる爆発に備えてショーウインドウが割れては困ると店のシャッターを閉め始めた。私はすっかり消火活動を諦めシャッター降ろしを手伝っていた。
この頃には誰かが通報してくれたのか、交通警察と市警察が何人かで交通整理を始めてた。その後完全に後部座席まで燃え広がり更に炎は高く上がった頃に、消防車が2台やってきて消火してくれた。
消防車が消火活動している傍らに居る私の頭の中では何故か、バスガス爆発ブスバスガイドっていう早口言葉がぐるぐる回っていた。
不思議なのは、このシーンを最後に記憶が全くない。
後から聞いた話しによると、その場で交通警察と市警察と軍隊警察と消防に調書を取られたのと、裸足で車から転げ落ちた為に知人の家に靴を借りに行ったらしい。どうやら私は最初の小爆発以降ずっと裸足だったらしい。
次に記憶が戻ったのは、恐らくレッカー車で運ばれたのであろうか、夕暮れ時全焼した愛車とスクラップ置き場に居るシーンだった。多分放心状態でヤバいと思ったのか知人がここまで付き添ってくれたらしい。
何度思い起こそうとしても、警察の調書も、何で誰とここまで来たのか覚えてないって軽い記憶障害なんだろうか。
横には真っ黒に焦げた車、私の愛車…
今まで色んなところに一緒に行ったなー。
私の右には変わり果てた愛車との思い出に浸るのに付き合ってくれる出来た友人。二人とも顔と手が煤で黒かった。
その後暫くして、
っていうセリフを吐けるぐらいには回復していた。
私はこの時点で、しなくてはならない事があった。これだけの事をしでかしたのだから当然ボス(所属していた企業のオーナー)に報告しなければならない。
その場から電話をかけ事情を説明すると迎えに来てやるとの事。帰り道、ボスからは何も言われなかったのがかえって不気味だった。
そんなこんなで、事無きを得て…と思っていたら悲劇はその2週間後にやってきた。ある日私はボスに呼ばれると、1枚の紙を差し出された。
ん?ん?? 請求書??
いちじゅうひゃくせんまん…
1億2000万リラ???
えー。。。当時の日本円で1500万円?
マジか。。。
ボス曰く、あの爆発火災現場は路面電車の線路の上だった。これはミラノ市交通局からの損害賠償請求との事。
うわー、、、また意識が飛びそうになってると、ボスが一言。まあやれるだけの事はやってみるから暫く待ってろと言って出て行った。
そして次の日、
ボスに会うとカネアキ万事OKって言われた。イタリアはコネとカネの社会なので企業は普段から当局や警察にパイプを持っておく。今回はボスのお父様がそんなミエナイチカラを発動してくれたお陰で損害賠償請求は棄却されたとの事だった。
もう、この一族には逆らえん。ってか元より逆らうつもりどころか足向けて寝れんわ。
これが愛車の最後の話。今思えばガソリンが漏れまくっていたからあの程度の爆発で済んだんだろう。もし漏れてないガソリン満タンの時だったら多分乗ったまま爆死していただろうと思うと本当に怖い。若い頃のこんな経験を経て、命の大切さを知り今ではすっかり安全運転になったのでした。
めでたし、めでたし。
後日談
そうそう、イタリアの交通事情が分かる動画見つけたよー
EUROPA vs ITALIA
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