続「死ぬまでに会いたい奴リスト」に載ってる奴らに会ってきた話 〜ローマ編〜

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前話: 「死ぬまでに会いたい奴リスト」に載ってる奴らに会ってきた話 〜ローマ編〜



● プロローグ

急遽ね、前回の話しの続きを書くできごとがあったので読んでください。


前回、”「死ぬまでに会いたい奴リスト」に載ってる奴らに会ってきた話〜 ローマ編〜” を書いたのが9月上旬。その3週間後にまさかまさかの急遽仕事でローマに行く事が決まり、そして10月に行ってきた。

なんかね、巡り合わせというか、ずっと忘れていた事を思い出しこうやってSTORYS.JPにローマの思い出を書いた途端、そのローマに行ける事になろうとは不思議だよね。


…となると、内容からしても本来前回書いたのが”日本編”で今から書くのが”ローマ編”とするのが正しかったんだろうけど、まあいいか。


尚この文章は今回のヨーロッパ出張最後の都市、パリから成田に向かってる機内で書いてます。



● 14年振りのローマ


10月上旬、私はイスタンブールで仕事を終えてアタテュルク国際空港から飛行機に乗り込んだ。行き先は14年前まで住んでいたローマだ。


ちょっとおさらいで書いておくと、18年前にローマに住んでて2年半ミラノに住みその後再び2年間ローマに住んでた。だから14年振りな。


行き先がローマだけあって、機内は既にイタリア語が飛び交っていてなんとなくテンションが上がってくる。実は離陸する前に、昔つるんでたジョルジオに「時間あったら飯でも食おう」とFacebookでメッセージを送っておいたが、残念ながら彼は用事がありローマに居ないという。この時点でFacebookではジョルジオとは繋がっていたけどファブリッツィオやダビデ、パスクアーレといったその他の面々とは繋がってなかった。というのも、前にファブリッツィオの苗字を聞いたものの本名アカウントではないため見付けることが出来なかったからだ。


まあ今回ジョルジオと会えないのは仕方がないからと、ファブリッツィオの連絡先を聞き、彼に「飯食おうぜ」とメッセージして飛行機に乗り込んだ。



ローマ到着!!!!!!!!


14年振りに帰ってキターー






イミグレは相変わらず混雑していたが無事通過して荷物を受け取り足早に空港内の最寄りのバールにカフェを飲みに行きFacebookメッセージをチェック。どうやらファブリッツィオはあまりFacebookを更新してないらしく想像通り未読だった。


それから電車に乗り市街に行き、バチカン近くのホテルへチェックイン。ちょうど日曜日だったので仕事のアポイントは無く、午後だけ唯一のフリータイムだ。色々懐かしい場所を周れるだけ周ってやろうと市内を巡った。


サンタマリア・マッジョーレ教会をスタートに、バチカンのサン・ピエトロ寺院、コロッセオ、トレビの泉、真実の口、サンタンジェロ城、サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ教会、ベネツィア広場にビットリオ・エマヌエーレ2世記念堂、コロンナ広場にキジ宮、ポポロ広場、フォロロマーノにディオクレツィアーノ帝の浴場跡にカラカラ帝の浴場跡、マルチェロ劇場にバルベリーニ広場、リベルタ広場、骸骨寺にカンピドリオの丘にピラミッドにジャニコロの丘も行った。大好きだったナヴォーナ広場とパンテオンにも、もちろんスタディオ・オリンピコにも行った。






あ、そうそう。タカがタイムカプセルを埋めたというアウグストゥス廟前も通った。さすがに掘り返そうとは思わなかったけど。


まあこれだけのスポットを短時間で超効率的に周るのはやはり住んでないと絶対に出来ない芸当やな。


どれももう完全に見飽きたはずのローマの有名な観光スポットだけど、14年の歳月を経て見ると懐かしくも新鮮な感動を与えてくれた。


あとローマに来て一番最初に住んだトラステベレ近くの元自宅にも行ってみた。周りの店は日曜日で閉まっていたけど、最寄りのバス停のある広場とかマンションの外観とかは殆んど変わってなかった。



● 2つの思い出の地


今回ね、私はどうしても行っておきたい場所が2つだけあった。1つは”「死ぬまでに会いたい奴リスト」に載ってる奴らに会ってきた話〜 ローマ編〜” にも書いたレイブ会場であった廃教会。そしてもう一つは思い出の地、スペイン広場だ。


トラステベレ側から橋を渡り真正面突き当たりに潰れたバールの廃墟があり、左に行けば市中心部に向かう川沿いの道で、右に行けば脇道で300m先が行き止まりになっていて廃教会の入口しかない。その辺りは18年前と全く変わってなかった。


そして私は右に曲がり廃教会の壁沿いに歩いた。真正面は300m先は行き止まりで金網と草木が生い茂り、右側が10m程幅がありすぐにテベレ川。左側には廃教会の壁でその壁沿いにはジプシーだろうか?子連れ浮浪者達が何人か住んでいた。どんどん突き当たりへの道を進んでいくと、20m程先にはビール瓶?を持った白人2人と黒人3人が居て明らかに皆挙動がおかしく、遠くからコチラを窺っている様だった。


まあ間違いなく観光客はこんな所に来ない訳で、変な外国人のカモが迷い込んだと思ったのかアフリカ系黒人が1人近付いてきた。


おいおい、明日は大事なアポイントがあるし出張中にあんまり怪我したくねぇなー…なんて思いながらそのまま前進すると眼は虚ろでひと目で麻薬中毒者という事が分かり、いつ襲われてもいい様に腹筋に力を入れ身構えた。


その時、残りの4人に呼ばれて黒人はぶつぶつ言いながら踵を返し仲間の元に引き返して行った。


ふー。。。怖かった。


真昼間だというのに相変わらず物騒な場所やね。結局何もなくその場を離れていよいよ入口に近づく。


(実際の写真:入口風景)



そして、入口に着いた。


この入口は昼に来たのは初めてだったが、18年前と変わっていて横断幕が掲げられていた。中に入ると、右手に昔より大きく立派な舞台というか大ステージがありその前には綺麗に並べられた観客イス席、奥にはカフェテラスがあり広場では家族連れが動物と戯れてる!


??? 何このマザー牧場は???


青空の下、あまりにも健全な施設に変わっていて言葉を失ったが、でも内壁や舞台や入口を見ながら懐かしみその場をあとにした。


色々変わっていたけど新しいビルが建つ事もなく施設?敷地自体は残っててくれて良かったかな。




● そしてスペイン広場


その後、今日最後の目的地であるスペイン広場に向かった。スペイン広場の南側から入り、聖母マリアの塔の横を通過。右手奥にはいつもランチに行っていた、そしてタカが働いていた店でもあるカフェ・レオナルド。店の中には入らなかったがテラス席は満席で活況だった。


カフェ・レオナルドがある広場からスペイン階段が見える辺りまで来ると、昔住んでいた我が家が見える…はずだ。


ドキドキしながら、もう見えるだろうって所まで足元の石畳を見ながら歩く。まるで自分を焦らすかの様に。そして一気に元自分の部屋だった2階を見上げた!


!!!
……えっ?
マジ?
元・俺ん家が、レストランになってるwww



あの部屋のどこをどう改造したらレストランに出来るんだよ?だいたい俺の部屋だった場所と隣の部屋の壁をブチ抜いてるわーwww


こんな事って経験あります?自分ん家が14年の時を経てレストランになるって…。逆に人が住める場所じゃないのは分かってる。同じ区画にはGUCCIにFENDIにPRADAにFERAGAMOなどそうそうたるブランドの本店や旗艦店があるだろ?そりゃ18年経とうが築500年くらい(※この辺りで築100年以内=新築同様)とはいえ超一等地だから商売やらないはずはないわな。だいたい仮に金あっても利権絡みで並大抵のコネではこのエリアは借りられないしな。家賃は狭いのに月100万円近いけど。


しっかし驚いたな。今夜到着予定の日本から合流する仕事仲間と一緒にこのレストランに晩飯を食いに行ってやろうと決めた。


(実際の写真:スペイン階段から見た元・家)



● そしてスペイン階段


その後、その足で僅か15m先にある小舟の噴水で14年振りに水を飲み、スペイン階段をゆっくり上り、ちょうど階段の真ん中辺りに腰を下ろした。18年前と同じ様に。



あー、俺、ローマに戻ってきたんだー。。




階段に座っていると18年前のことを色々思い出す。今迄何回この階段に座ったんだろうか?そんな事を思いながら暫く感傷に浸っていた。

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