続「死ぬまでに会いたい奴リスト」に載ってる奴らに会ってきた話 〜ローマ編〜
そして俺たちは駆け寄り抱き合った。
ぶっちゃけ最近オトコとしか抱き合ってないわー。しかも路上率100%。でもタカの時と同じく嬉しくて感動してちょっと泣いた。
すぐにバールに行きカフェを飲みながら色んな懐かしい話しをした。
(実際の写真)
当時はイタリア語が全く話せなくてファブリッツィオとのコミュニケーションにも一苦労したけど私は彼のことを凄く好きだったし、当時から心は通じ合っていたと勝手に思っている。
お互いアレ覚えてる?を交互に繰り返し、失っていた記憶のピースが次第に埋まっていった。正直ファブリッツィオとここまで話した事はないってぐらい話しが尽きなかった。
で、いよいよ日本人の時みたいに、あの質問をしてみた。
やっぱり。
結局ファブリッツィオも行ってないらしい。
結局一人も行ってない事が確定した。
ところで、何故彼はメッセージを送った1分後に来れたのかと言うと、これもまさに偶然で驚いたんだけど、私が泊まってるホテルの真ん前、玄関to玄関で徒歩6秒の場所にファブリッツィオの会社があったんだ。
なーんにも考えずにネットでホテル予約したらコレよ。毎度の事ながらミラクルが続くわー。
その日の午後、重要な商談を無事に終えてホテルに戻った後に、ちょうどジョルジオもローマに戻ってきたとの事で再会し、3人で写真を撮った。
(実際の写真 左:ジョルジオ、中:私、右:たまご)
その日の夜、ファブリッツィオとパスクアーレが再会した。パスクアーレとファブリッツィオもお互いローマに居ながら連絡先も知らないから18年振りの再会になった。前日に偶然私がパスクアーレに会ってなかったらファブリッツィオとパスクアーレの2人が再会する事はまず無かったんだろうな。出会いとは摩訶不思議である。
● エピローグ
みんなと別れてから18年、ここローマでも5人がそれぞれ5通りの人生があった。
ファブリッツィオから聞いた話しによると、残念ながらアンジェロは病気?で亡くなったらしい。ダビデは今回会えなかったが、音楽を続けベーシストをやってるらしい。
ファブリッツィオは別れた後にスイスに数年住み働いていた。その後ローマに戻り父親が経営する会計事務所で会計士の見習いとして働いている。
ジョルジオは別れた後にローマでアニメ制作系の仕事をして、それがきっかけでその後日本に数年住み日本語を学んだ。そしてローマに戻り今は通訳系の仕事をしている。どうりで日本語上手くなってたわけだ。
パスクアーレは小さいながらもB&Bを経営して今日もまた世界中から来る観光客のアテンドをしている。もしローマに貧乏旅行で行くなら超日本フリークなので是非泊まってみてはどうだろう。
→ ryokan casa viaggio a montemario
(名前の由来は来日時に、そのおもてなしに感動したという「旅館」からとったらしい)
そして…のりこはまだ行方不明のままだ。まあ、また地球の何処かで偶然バッタリ会えるのだろう。
今度またいつローマに戻って来れるか分からないけど、やはり本当に20年後に約束の地に集まる企画やろうかな?
結局、約束の地には日本人もイタリア人も誰一人行かなかったというダメダメな私達。でも長い人生の中でほんの僅かな時間、あの時代を一緒に過ごした仲間を私は一生忘れない。
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