『0点なんて最高じゃん!』何でも遊びにすることで、高3の半年で偏差値が31から75まで上がってしまった話 ~顔が輝かないようでは実力は発揮できないよ~
塾のチューターと言うのは、生徒を勇気づけ、前進する背中を押すのが役目ではないのか?
自分はこの発言にかなり驚いた。
しかし、そのことに対して別に腹が立つことはなく、むしろそのチューターに教えてあげようと思った。
口には出さなかったが、心のなかでこのように言った。
『自分は勉強を始めたばかりです。成績が良いわけ無いでしょう?この時点で生徒に諦めさせるようなコメントをするのはもったいないですよ。今からでも成績は伸ばすことは出来ます。私がそれを証明して見せてあげますよ^^』
0点は取り続けられない!(加速曲線)
三ヶ月ほど経過しても相変わらず模試では底辺を進んでいた。偏差値35~41くらい。
模試は同じ会社が作成しているようで、流石に同じ問題はなかなか出題されない。
だから、毎回低い点数が続いたのだ。しかし、出てくる問題全てを吸収し続け、その間に自分でもわからない所を発見し、学んでいたので着実に成長しているのはハッキリと感じていた。
自分はなんとなく国立の大学に行きたいと思ったので、必然的に勉強する科目数は多くなった。五教科七科目だ。
その膨大な範囲を全て網羅するのには少し時間がかかりそうで、自分の感覚からすると4~5ヶ月位は成績が底辺を這いそうだった。
五ヶ月もすれば、遂には模試でも同じ問題が出現しだすだろう。自分が答えられない問題など出し続けられないだろうな^^
その時、自分の偏差値は急激に上昇する。恐らく、跳ね上がるだろうね。
こんな事を考えてウキウキしていた自分は友達に話した。
「俺の成績はこんなふうになると思うよ。」
手を横に動かしながら
「12月頃までは偏差値は40位で横に推移するけど、そこからは、、、」
手をグイーンと上に伸ばして
「一気に跳ね上がる!多分そうなるよ。」
友達は割と信じてくれていた感じだったな^^
面白くやったらいいじゃん!(学ぶためにやっているんだろう?)
勉強に対する心構えが違うからか、勉強の仕方も自分は人とは全然違った、、、
自分はただ、分からない問題を発見し、それを分かるように変えていこうとだけ思っていた。
そうすればいつかは、わからない問題なんてなくなるからね。
こういう考えだったからこそ、テストが0点であることはむしろ素晴らしいと思ったのだ。
自分からすると当たり前の考え方であり、当然、皆そうするものだと思ったのだが、、、
面白いことにそのような考え方をする人は周りには見当たらなかった。
自分が問題集を解くときは、わかりそうな問題はすっ飛ばし、読みさえもしなかった。だんだんわからない問題がなくなってくると、一つの問題集で2、3問くらいしか解かないということもあった。
だが、周りでは問題集を模試のように解き、「やった!80点も取れたぞ!」みたいなことをしていたりした。
人によってこんなにやり方が違うんだ、、、面白いな。
自分を夏期講習に誘ってくれた友人が英語の勉強をしていたのを見て驚いたこともある。
自分とやり方があまりにも違ったからだ。しかし、どうも彼のやり方がスタンダードだったらしい、、、
英語の勉強として、自分は赤毛のアンを英語で読んでいた。教科書とか過去問なんて言うのは、自分からすると文章が面白くなくて読む気にならなかったんだよね。
そして赤毛のアンの内容に引き込まれた自分は、自習室で感動したり、胸が熱くなったりしながら楽しい時を過ごしていた。
意味が知りたくて辞書を引きながら夢中で読んだ。
途中休憩をしようと友達の所に行くと、彼はなんと、見開き1ページの過去問をまだ説いている最中だった!
自分は衝撃を受けた。
自分が何十ページも喜んで読んでいる間に、なんと見開き1ページ、、、、
しかも読むのではなく、悩んでいる!!
自分からすると、語学の習得に悩みなんて言うのは邪魔ぐらいに思っていた。
自分が日本語を覚えた時には悩まさせられなかった。
まだ話せない小さい時から、「鉛筆「は」持ちます、鉛筆「に」持ちます、鉛筆「を」持ちます。どれが正しいですか?」
なんて聞かされ続けたら混乱していたと思う。いまだにえーと、、、「に」だったかな?いやまて、「に」と書いたら不正解で正解は「は」だったっけかな?う~ん、難問だ!なんてやっていたかもしれない。
友達はまさにそんなことを英語の問題の前でやっていた。
自分は言った。
ヤス「鉛筆「に」か「を」かなんて考えるか?考えないだろう?鉛筆を持つ。ただこう思うだろう?なぜそう思うかというと、ただそうとしか聞かされていないから、ただそうとしか使ったことがないからだ。in order ()の答えは to だ。何故か?赤毛のアンはそう言っていたからだ。マシューだってそう言うと思うよ。もっとバンバン英文を読んだほうがいいんじゃないか?俺なんか数十ページも進んじゃったぞ?」
それに対する友達の答えは、彼らしかった^^
友達「確かにその方が効率が良い気もする。でも、実際に問題に出るのはこういう英文なんだ。皆もこうやって勉強しているんだ。」
まぁ、本人よりもはるかに偏差値の低い自分からの助言には、やや説得力は低かったのかもしれない(^_^;)
自分は古文も漢文も同じやり方で、古文で枕草子とか源氏物語を読んだりしていた。
漢文も孔子の論語とかをただ読んでいた。
自分は自分のやり方が合理的であることを確信していたから^^
そして何よりもそれは『勉強』ではなく、まさに娯楽だったのだ!
特に、漢文で孔子を読んでいて弟子の顔回についての記述には感動した。「顔回という者は、過ち再びせず」とあり、その『過ち再びせず』が猛烈に自分の胸に刺さった。
顔回!凄い、、自分は同じ問題をまた間違えてしまったりすることがある、、、過ち再びせずか、、、それは凄いことだ!
漢文を勉強しているというよりも、人生についての勉強みたいになっていたな^^
いきなり偏差値70超え!
四ヶ月した頃には偏差値は51とかになっていた。
グイーン!の一歩手前だ!自分はそう思った。
そうそう自分が答えられない問題ばかりを持ってこられることはないだろう。フフフ、飛躍の時は近い!
などと思っていた時にまた、模試が開催された。
テスト中、思わずニヤリとした。
はっはっは!やはりそうか!こんなの簡単だぜ!
結果はいきなり偏差値71とかだった。偏差値60台なんていうのはいきなりふっ飛ばした。そして、友達にその結果を見せた。
友達は「すげえな!」とは言いつつも、それほどの驚きはなかった。
結果を見せる前から”こいつなら出来るだろう”と思っていてくれたようだ。この友達は部活も同じであり、自分の性格や行動についてはよく知っていたんだ。
自分はもう一度友だちに言ってみた。
「な?言ったとおりだろ?英語の勉強とかさ、俺みたいにやればもっとずっと楽だぜ。」
しかし、彼はその提案には乗ってこなかった(^_^;)
彼の言葉はこうだ。
「そんなのは室田だから出来るんだ」
こういう答えはよく聞く。『自分とお前は違う、お前には出来るかもしれないが俺には出来ない。』
でも、実はそうではないんだよな。
自分の感覚ではこうだ。
著者の室田 泰文さんに人生相談を申込む
著者の室田 泰文さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます