失敗が『怖い』から『オイシイ』になっちゃった! ~価値観の変化~
失敗は恥ずかしい!
私の出身は神奈川。小学生の時から『失敗は恥ずかしいもの』という風に強く思っていた。
実際は思わされていたということだが。
なぜ、失敗が恥ずかしいものと思わされるようになったかというと、失敗をすると周りがそれを馬鹿にしたり、見てはいけない物を見てしまった、、みたいな雰囲気を作っていたからだ。
幼稚園の頃まではそんな事は感じなかった。
失敗なんて言うものは当然であり、だれも茶化したりしなかったからだ。
行きたくなかった運動会
小学生くらいから、『周りとの競争心』というものが生まれてきた。
そして、何でも『一番が偉い!カッコイイ!』という雰囲気がこれまた作られていた。
自分は友達とキャーキャー騒ぎながら走り回るのなんかは大好きだった。
鬼ごっこ、ポコペン、泥警など、、、本当に楽しかった。
それなのに、、走るのが嫌いになるタイミングというのも存在した。
『運動会』だ。
運動会だと、走り終わった後に強制的に順位が決められ、その順位の数字が書かれた旗の列に並ばされるのだ。
自分はコレが嫌でたまらなかった。
自分がそれほど脚が速いこともなく、一位を取れなかったということもあるが、やはり、自分が嫌だったのは『競争』それ自身だった。
負けるのは全校生徒の前で辱めを受けるのと同じこと、、、
もし自分が勝っても、他の誰かは負けて悔しがる、、、
勝っても負けても嫌だ、、、
これが自分の正直な思いだった。
この気持はあまりにも強く、当日、仮病で休んだりもした。
夕方に一人公園で、、
さて、失敗を恥ずかしいと思わせる周囲の行為とはどんなものだったのだろうか?
小学校の昼休み、自分はクラスメイト達と校庭に遊びに出た。
そのうちの一人が言った。
「鉄棒やろうぜ!」
「お~、やろうやろう!」という子もいれば、「俺、いいや、、、」という子もいた。
自分は「俺、いいや、、、」の方だった。
なぜやろうは『!』で、いいやは『、、、』なのだろうか?
『いいや、、、』と答えた背景には、『俺、鉄棒出来ないから、いいや。皆の前で失敗したくないし、、、』という意味が込められているのだ。
もちろん、鉄棒が出来なくても『鉄棒をする!』と言うことはできる。
しかし、そうなるとどうなるか。
もちろん人気者とか、その人の性格にはよると思うが、バカにされたり茶化されたりすることが非常に多かったのだ。
「鉄棒やろう!」と誘われたタイミングというのは、丁度体育の授業で逆上がりを始めた頃だった。
なので、誘われた瞬間にピンときたのだ。
「逆上がりだな!俺、まだできないぞ、、」
他の「俺、いいや、、、」の子供達も同じような背景だったのだろう。
顔つきなどを見ればお互いにそれは分かる。
それでは、鉄棒の誘いを断った自分はずっと鉄棒の誘いを断り続けることになるのか?
もちろん、そんなのは嫌だ。
小学生の出した答えはコレだ。
「人気のない公園で、夕方に一人で練習だ!早く逆上がりできるようになって、皆に交じるぞ!」
自分はこうして逆上がりをマスターすると、後にこう言うのだ。
「なぁ、今日は鉄棒しようぜ!いつもハンドベースばかりだから、今日は鉄棒やるわ^^」
こんなことをしていたのは恐らく自分だけではなかったはずだ、、、
関西へ ~異文化を体感!~
大学が京都だったため、神奈川を出て関西で一人暮らしをすることになった。
そして、『関東と関西の文化の違い』をまさに体で感じさせられることになる。
大学と大学院の併せて6年の関西性活が、自分の物事の捉え方に激変を及ぼしたのだ。
失敗は『ネタ』、オイシイもの♪
大学に入った自分はバスケットボールのサークルに入った。
そこで自分と同じ新入りが体育館でバスケの練習?遊び?をしていた。
その光景が自分には衝撃的だった!
そのうちの一人はバスケの初心者のようで、ランニングシュートでリングにも当てられないほどだった。
自分はそれを見て、「う、うわ~、あの人恥ずかしいとは思わないのだろうか?」と見ていた自分自身が恥ずかしいような気持ちになってしまった。
そして、気の毒だなぁなんて思ったのも束の間、一気にそれらの感情は吹き飛ばされることになる。
共に練習していたバスケ経験者達の反応が自分の予想していたものとまるっきり違ったのだ。
自分は「うわ~、ダッサ!そんなのも出来ないのかよ!」とニヤニヤしながら言ったりするのかと思ったのだが、全然違ったのだ。
周りの反応はこんな感じだった。
「うわ!アホや~^^」 と言いながら喜んでいたり、
「ワシも~」 と言いながら経験者の人がもっと大きく失敗してみせたり、、、
それを見た他の人達もこぞって『いかに面白く失敗するか』を楽しんでたのだ!
その楽しい失敗の流れを作ったのが、当初自分が『本当に失敗した』と気の毒に思った初心者の方だったのだ。
周りの人から見ると、その流れを作った人は、楽しいネタを持ってきたということで、『オイシイところを持っていった存在』とされていたのだ!
この時に受けた衝撃は未だにはっきりと覚えている。
「失敗が恥ずかしいモノではなく、オイシイだなんて!!」
ずっと失敗は恥ずかしいものと思わされていた自分が、すんなりと失敗がオイシイものとは思えなかったが、6年の関西性活は、次第に私の中でも『失敗がオイシイもの』と変化させていった。
これはすべてに当てはまらないか?
それでは関西の人は皆、『失敗なんてオイシイのだからバンバンやったれ!』と思っていたかというと、実はそうでもなかった。
失敗と言っても、『ネタ』で済まされる失敗と、そこは外したらアカンやろ!という失敗があるようだった。
試験期間中など、「落ちたらヤバイわ~」なんて本気で心配してたりした。
落ちるのはオモロイでは済まなかったりするのかもしれない。
これは個人差があり、「落ちたわ~^^」と笑顔でいう人ももちろん沢山いた。
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