平凡な会社員が、“脳出血で倒れて働き方を考え直した”話【第十一回】

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利き手の大切さを知る。

リハビリの内容は、大きく「理学療法」と「作業療法」にわかれていた。

「理学療法」は、”身体の基本的な機能回復”が目的で、しゃがんだり立ったり、階段の登り降りをやったり、片足で立ってみたりなどの訓練を行うものだった。

最初は、歩行器を使っていたので歩くのもままならない状態だったが、幸いにも僕の脳出血は運動神経には影響が少なかった様で、昨日は出来なかったことが、今日には出来たことも多数あり順調に機能は回復していった。

苦労をしたのはもう一方の「作業療法」だった。ここでは、指を動かしたり、食事をしたりと言った”日常の生活で必要な機能回復”が目的で、ここでは指先の細かい動きを回復させる必要があった…


この頃、後遺症で僕の右半身は痛覚や感覚を失い、思うように動かない日々が続いていた。特に右手が思うように動かないことは、不自由さを倍増させていた。

右手が不自由で、何が一番困ったかというとやはり食事の時だった。1日に3回かならず巡ってくる食事の時間。入院生活で、唯一の楽しみでもある時間なのだが、僕にとっては”苦難”の時間でもあった。


まず、座るだけで目眩がしていたので、吐き気がすると横になる。を繰り返しながら食事をとっていた。これがまた、5分毎ぐらいで気持ちが悪くなるものだから、食事を採るだけなのに恐ろしく時間を費やした。

そして、もっとも苦労したのが”右手の麻痺でお箸がうまく使えない”ということだった。人には見せられたものでは無かったが、格好を考えなければ大半のご飯はフォークなどでも何とか食べられた。でも、焼き魚などを食べる時はやはりお箸が必要で、これに非常に苦労したのだ。


日本人としては、いつも当たり前のように使っているお箸を操るのがこんなに難しいことだと改めて感じることとなった。しかし、日常生活になんとか復帰するということが、僕の中ではお箸をうまく使えることと同義となり、いつのまにか復帰の象徴にもなっていた。

この頃から、まずは”箸を操れるようになる”ことが、自分自身におけるリハビリの目標となっていた…




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平凡な会社員が、“脳出血で倒れて働き方を考え直した”話【第十二回】

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