鬱病の心に響いた、たったひとつの言葉

<

2 / 2 ページ

著者: 中条 信一

でも俺が、周りの人に迷惑を掛けてしまうなら、外に居ても同じで、

友人も、旅先の人もきっとその時だけは楽しいかもしれない。


でも、後から嫌な思いをしてるに違いない。


もやもやした想いを抱え続けていて、旅をしていました。


旅先の、とある教会に僕は立ち寄る機会があり、

フラフラとその日も、何も予定もなくミサに参加してみました。

※第二次世界大戦で亡くなられた方のお墓と、教会の様です。



お金も無くなってきて、そろそろ最後の旅だから、

金目の物や、貴金属を教会に置いて、

誰かの役に立って終わろう、と心に決めてました。


英語も話せず、一人、周りの讃美歌を聞きながら、うとうとしていると

神父が僕に一言声を掛けてくれました。


牧師
ハジメマシテ、オゲンキデスカ?


海外で聞く、久しぶりの日本語、

どうやら日本語が解る牧師さんのようでした。


聖書を手渡され、一つの言葉を指に指して僕に説明をします


牧師
ヨハネハ、ナンタラナンタラ


讃美歌と、牧師の解らない説明が心地よかったので、寝てしまうと、

起きると僕一人になってました。



不思議と、不眠だった自分が心地よく昼寝した事実に驚きました。


牧師は、ニッコリと笑顔で僕に


牧師
自分の心を許しなさい、許す事でしか前に進めない事を、あなたはこれから知るでしょう。


不思議と涙が出ました。

自分の心の重荷は、自分自身によって作られていた、ただの負の鎖だった事を、

たった一人のよく解らない牧師に、説得されたのでした。


その日から、僕は本気で死ぬことを辞め、鬱病の投薬を受け、自分自身と向き合うことにし、

社会復帰を目指しました。


そして、


旅にもいつか終わりがやってくる、でもそれは自分で終わりを決めないといけない。


僕自身、この瞬間に旅が終った事を自覚しました。


また、壁にぶつかった時に、「自分を許す事」これが、ひとつの心の重荷を軽くする方法だと、旅先の牧師から学んだのでした。


事実を受け止めるのは、非常に残酷で、そして労力がいります、


しかし自分を認めない事には、身体も精神も健康にはなってくれないのです。


「鬱病である事」「社会に接してない事」「死にたくても、死ねない事」

僕は、この事実からずっと逃げていた2年間でした。

色々な人に迷惑を掛けたかもしれない、心配させたかもしれない。

幾ら謝ってもいいから、自分の言葉でまた人間関係を作り直そう。


僕は自分を許して、生きて行こうと決心しました。


これまでの自身の行動や、罪や、行為、すべてをひっくるめて、

今度は、読者様が自分を見つめて許す旅をして貰えたら幸いです。


※実際に、筆者は外に旅に出ましたが、旅に出なくても変われると思います(笑)


御読了ありがとうございました。

著者の中条 信一さんに人生相談を申込む