嫁姑問題 〜姑との戦争に終止符を打ったペンキ塗り!〜


なにせ私は日本人。


ナイジェリア人の姑は息子にナイジェリア人のしかもイボ族の女性と結婚して欲しかったらしい。お見合い結婚の話も盛り上がっていた時に日本人の彼女が出来た息子が理解出来なかった彼女、怒りのやり場がなかったのか私は息子を出産する1ヶ月前まで彼女に会わせてもらえなかった。というか旦那の住んでいるところも教えてもらえなかった。

これはかなり辛かった。当時結婚していなかったが妊娠していたため不安で不安で何度も泣いた。そしてやっと家に通してもらえた日。彼女に会って一言目に聞かれたこと。それは初めましてでもよろしくでもなく「お腹の子は本当に息子の子なのか?」だった。これには絶句。イ、イエス、、というのに精一杯。次の質問は「キリスト教か?」ノーと答えると「キリスト教になりなさい」と言われた。



これが出会い。



とにかく怖い!そして凄い迫力!!

私はいつも彼女を恐れていた。



最悪だったのは息子を出産後2日目の話。アメリカの病院は出産後大体48時間でどんなに出血していても強制退院させられる。1週間は運転しないように家事もしないようにと指示を受けた矢先、彼女からの電話。なんと「今仕事に連れて行って」と旦那に頼んできた。病院で新生児を抱え出血しながら歩こうとしたらもっと出血したので車いすに乗った時にそんな電話が掛かってきたのだ!その時は私も流石にキレた!!


「あなたは出産後間もない私と生まれたての赤ちゃんよりあなたのお母さんを選ぶの?どうして彼女のご主人は車を出せないの?タクシーは?」


と病院でヒステリックに泣き叫んでしまったのを生々しく覚えている。なんとか説得してもらい旦那はしぶしぶ?車で家に私と新生児を連れていってくれた。



そんな姑との戦争は続く、、、、。



母乳で育てたかった私。

彼女は粉ミルクで育てろと何度も言ってきた!


粉ミルク vs 母乳戦争が始まった。


旦那の実家に行く度に母乳を与えている私に文句を言ってくる彼女!粉ミルクをあげなさい!あなたは私の孫を飢え死にさせている!!と毎回怒鳴られた。


これはかなりストレスだった。私は母乳で育てたい、粉ミルクには抗体もないし栄養度も母乳に比べたら低い。母乳は育ちによって質も変化するから赤ちゃんにとってお腹が空く事はない。実際新生児の時は低脂肪乳の様な薄い白色だが赤ちゃんが大きくなると色も濃くなり生クリームのように濃厚になっていく。飢え死にすることはない。


後から知ったのだがこれはナイジェリアやアフリカでの観念で粉ミルクが買えないイコール貧乏!の象徴だそうで彼女の中では母乳の素晴らしさよりもナイジェリアンコミューにティーへの名誉そして貧乏だ!と思われたくないプライドのため私に粉ミルクにしろ!とプレッシャーをかけていたよう。この戦争には負けたくなかった!


そしてある日私が断固として粉ミルクを拒否し母乳をあげていると粉ミルクの事をなんとか諦めてくれた姑は私の授乳の仕方に文句を言ってきた!


そして文句を言うだけでなく突然私の横に座ったかと思うと鷲掴みに私の乳を掴み「授乳の仕方が全くなっていない!」といって乳首を息子の口に押し当てた。そして胸を横から掴みこみ「もっとこうやってするのよ!」となんとも違和感のある交流が続いた。


この話を最近ママ友ランチでしていたら夫がルワンダ人のママ友はルワンダ人の集まりで彼女は何人もの女性にああでもないこうでもないと授乳中の乳を掴まれもう好き勝手して下さいと両手を空にお手上げするしかなかったと言っていた。上には上がいるとはこの事。一緒にいたアメリカ人の友達はそれはもう”牛”ね、とコメントしていた。




私の誕生日での話。


この日の戦争は私が大好きな針治療を受け旦那が迎えに来てくれたときから始まった。


誕生日でロードアイランド州の私の大好きな海の街にいこう!と計画していたのに迎えにきた旦那は弟の大学の入寮の手伝いで一時間ほど北にある大学まで引っ越しを手伝えとお母さんに言われたと話してきた。た、誕生日なんですけど、、、。


もうキレすぎて涙もでてこない。旦那を実家に送ったあと悲しみながら一人で帰宅。泣いていると6時間後(もう海などいけない)姑、義理の妹そして旦那が家に来た。大人げなく泣いていた私をみてなぜかキレた彼女!「私が来たのに挨拶もろくに出来ずに泣いてるなんて無礼な!離婚しなさい!」と旦那に話し始めた!そして旦那もその様子をみてなぜかもう離婚だ!と靴の山を作り始める。(靴山に対しての詳細はこちらのリンクから)


なぜ私の誕生日に離婚なの!!ともう何だか分からなくなった。


そして息子を取り上げた旦那にヒステリックに泣いていた私をみて姑は「なんて恥ずかしいの!恥を知れ!」などと叫んでいた。仕舞には「あなたの誕生日は特別ではない!私が息子を生まなかったらあなたは息子と出逢えてないし結婚していないし孫も生まれていない。私がもし道で迷ったら長男が助けにこなかったら皆に笑われる!(皆とはアメリカにあるナイジェリアンコミュニティーの事)私のニーズが第一優先に決まってるでしょ!」と一喝された。


もうこうなったら天に身を任せるしかない。


その場で一人なんとか冷静だった旦那の双子の妹が私達の和解に努めてくれた。そしてよくよく靴山もなくなったころ姑は何もなかったようにハッピーバースデーといって100ドルの小切手をくれた!そして「お腹が空いて死にそう」と言いだしてどこでも良いからレストランに連れて行けとなり私は誕生日にお寿司を食べたいと旦那に言っていたのに近所のタイ料理屋にいく事に。そしてその後彼女の買い物に付き合い誕生日は終わった。



こんな関係に終止符を打つ日が来た。いや打たねばならない!



ある日私は考えた。



きっと私がもっとぶっ飛んで凄い事を彼女の為にしたら嫁姑問題も軽減するのではないかと気付き色々考えた結果彼女の家のフェンスの見栄えがあまり良くなかったので白いペンキを塗ってみたらどうか?と思いついた。我ながら名案?



もうこうなったら意地でも彼女との関係を良くするぞと奮い立たせてホームセンターに単独突入。今までフェンスのペンキ塗りなんてしたことなかったので何を買って良いかも分からない。とにかくお店の人に聞きまくりなんとかペンキ塗りの材料を買い揃えた。



そして格闘は炎天下の中始まる。



立ちはばかる高さ約2.2メートル、横幅10メートルほどのフェンスのペンキ塗りを始めた。汗がボトボト流れる中、涙よりはましだよ!と奮い立たせて白いペンキを塗り続けた。一体いつ終わるのか、、、。義理父にはやめろと何度も言われたがこれは自分との戦いですとは口に出さずに黙々とペンキを塗り続けた。



結果自分でもビックリするぐらいフェンスが真っ白に奇麗に仕上がった。



それを見た義理の両親はなんと「ビューティフル!!グッドジョブ!!」と大声で賞賛してくれたのだ。その瞬間嬉し涙と安心涙が心の中で溢れ出した。



やっとこの戦争に終止符が打てる!



その後なぜか私はナイジェリアンコミュニティーで有名になった。


ナイジェリア人に会うたびに「フェンスにペンキを塗ったんだって!素晴らしい行動だわ!」「あ〜〜あなたがフェンスのペンキ塗りね!」などとナイジェリアンパーティーでは声をかけられ「私の家のペンキ塗りもお願いできる」とも何度も頼まれた。勿論丁重にお断りしたが姑がどれだけペンキ塗りをした私の事を誇りに思っているかなどを沢山の方から言われ続けた。


後から知ったのだが私がペンキを塗っていたのを目撃した通行人から旦那の実家にフェンスにペンキを塗っていたペンキ塗りのアジア人女性はどこから雇ったのかと問い合わせもあったそう


ナイジェリア人女性の間ではペンキ塗りが出来る女性は前代未聞だったらしくまんまと名を売った私に姑は「今度パーティーがあるんだけど家の中の全ての壁のペンキ塗りもお願い!」と言ってきた!!


いやはや終止符を打ったのか新たな戦争が始まるのか。(汗)


その要望には丁重にノーと断言した。


ペンキ塗りのお陰?で今では姑とはなんとか上手くそして仲良くやっている。

助けてくれたホームセンターの従業員の方にも感謝を忘れずに。。(苦笑)


                                                     

ナイジェリア人との国際結婚(ブログ)

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