毎日、同じ人と会うのは無理。監視されている感じが嫌。そんな社会不適合者な僕が生きる道

著者: Shimada Ryou




学校に行けば、友達とワイワイ


周りの同級生たちからは、そのように見えたかもしれない。




しかし、内心、僕は苦痛で苦痛で仕方なかった。




何が苦痛かというと、毎日、同じ人と顔をあわせるというのがまず無理。


特に、話すことなど何もない。




何もなくて、手持ち無沙汰で、気持ちがソワソワして仕方がないから、


ワイワイやっているように、見せかける。


つまり、ピエロだ。




別に誰もみているわけではないのに、周りい人がいるだけで、


何か人からみられているという、嫌な感じ。




だから、授業が終わって、教室でグダグダしている同級生の


気持ちが全く理解できなかった。




街なかの人混み。これは特に問題ない。


知っている人が周りにいる状態、それが苦痛でならなかった。






授業が終われば、そっこーで家に帰る。


僕が通っていた学校から、駅まで10~15分程。




授業が終わって、直ぐに教室を出れば、乗れる電車があった。


それに乗れないと、30分とか1時間、待たなければならない。


田舎なので、1時間に1~2本くらいしかなかったのだ。




家に帰ったら帰ったらで、何だかとてもぐったりする。。。






この違和感を感じ始めたのは、中学校くらいのときからか。


ちょっとばっかり、小学校の頃は勉強ができたので、


中学受験をしてしまって、中高一貫校へ。




中学からは、ほぼ高校へ進学できる。




そして、この違和感は、高校・大学までも続いた。




こんな性格の僕が、就職もできるわけもなく。


やむを得ず、自分で稼ぐことをするしかないと。




もちろん、イイ時も悪い時も色々、ありながら今に至る。






なので、僕が今、取り組んでいるビジネスは、こんな社会不適業者の自分でも


食べていけるようになるために、試行錯誤を繰り返しながら(もちろん今も)


構築していった。






不適合者が生きる道。




でも、よく考えてみると、何が適合で、何が不適合などということは、


どの視点からみるか?によってまったく変わってくるものではないか。




スーツを着て、毎朝、会社へいく。


この何気ない、毎日自体が、実は非常に無理があるのではないか。






世間ではそれが、常識だよ




ということに対して、何か自分の中にある違和感。









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