公園の看板
交通事故があった。
厳密に言えば、事故が起きそうな状況だった、ということになる。公園から飛び出した子どもに驚いたドライバーが、ブレーキとともにハンドルを左に切った結果、バックミラーが塀にぶつかった。
しかし、彼はPTAの役員であったために、そのことをぽつりとこぼした時点で、議題となってしまったのだ。
飛び出してきた子どもはボールを追いかけていた。
そのことが論点となった。
あの小さな公園でボール遊びは危ない、そんな雰囲気がその会議の場を支配していた。確かに、そうかもしれない。
ボール遊びは禁止にしよう、と誰かが言い出した。
私は早く帰って、今日飲みに行くのはどの店にしようか、と考えていたのだが、これには同意しかねた。
おとといの日曜日、子どもとその友だちとキャッチボールをしたばかりである。長男は野球好きで、次男はサッカーをやっていた。
あの公園でキャッチボールも、パスの練習も出来ないとなると、毎回遠出しなければならなくなる。
気がつくと、看板を作ろう、ということで話はまとまりつつあった。「ボール遊び禁止」
反対しようにも、もう、それで決まった、よかったと、帰る支度をする人たちばかりがまわりにいる。その人たちを責めることはできない。自分もそうだったのだから。
この看板を誰が作るかなのですが。。
去年まで、この手の作業が得意な、ある意味職人さんがいて、その人が一手に引き受けていた。その名残で、道具はある。
気がつくと、私は手を上げていた。
他に立候補する人はいるはずもなかった。次の日曜日、でかでかと私は看板をかいた。
「危険なボール遊び禁止」
これなら、キャッチボールは許されるであろう。
著者の中尾 泰治さんに人生相談を申込む