「ある7月の晴れたさわやかな日のできごと。」①
人は緊張した状態に陥ると心臓の鼓動が速くなる。
直接耳で音を感知することはないけれど、ドクンドクンという胸を打つ鼓動が聞こえる。
危険や恐怖が眼前に迫った時、心臓は静かになる。
全身に流れていた血液は温度を失い、ストローの中で吸われずに残った水分が容器に向かって、力なく流れ落ちるかのように、血液は流れる。
さらさらと。
私はこの冷たい感覚を覚えている。
もう8年が過ぎた。
それでもはっきりと思い浮かべることができる。
鮮明に色濃く刻まれているのだ。
楽しかったこと、嬉しかったことはこれまで行きてきた人生の中で、普通の人同様にそれなりにあったはずだが、そのどれよりもこの冷たい感覚を覚えている。
7月の下旬。セミが泣き始めたのは1週間、いや2週間ほど前だろうか。
いつのまにか鳴きはじめ、今ではもう日常に不可欠な音の一部と化している。
「あっついな。」
さゆりは自転車を押しながら、まだ終わりの見えてこない坂道を歩いている。
時刻は2時過ぎ。
今日は1日中、晴れ渡っていたせいでアスファルトには楊炎が舞っている。
上から下からと押し寄せる熱気がたまらなく暑い。
「帽子、被ってくればよかったな。」
さゆりは肩まで伸びた黒い髪を左右に揺らし、額と前髪の間の汗を振り払いながら思う。
【②に続く】
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