『ひとを応援していたらいつしか応援されていた』物流応援され団長 誕生秘話

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●第1話 誕生


2000年5月1日、小牧にあるの住宅の一室にファックス兼用の電話機と

パソコンとが持ち込まれた。その後通信回線の工事が始まり、わりと早く

その工事は終った。工事業者が工事の明細を置いていった。

その明細に記載された宛名は、「有限会社ヤマネット」

物流応援団の誕生である。


時は、1999年12月、M運送の会議室では役員会が行なわれたいた。

常務取締役営業本部長の山田は、その席で突如辞意を社長以下役員に伝えた。

一瞬騒然とし、その後、静まり返り、専務が社長に問う、


専務「社長、どうするんですか!?」

社長「(窓の外を見ながら)それで、ええんじゃないか」

山田「わがまま言ってすみません!有り難うございます!」


社長と山田の間に交わされた、この短い会話の中には、二人にしか分からない

16年間の様々な思いが、交錯していた。


その後、約3ヶ月間、業務引継ぎ、内外沢山の方々へのご挨拶を滞りなく

完了させ2000年3月末日、高校を卒業してから16年間のサラリーマン生活に

幕を下ろした。 


退職した翌日、気が付けば、

就職活動は勿論、次の仕事の準備を何もしていないことに気付づく。

まぁ 何とかなるさ と、1ヶ月間で、会社設立、利用運送認可等の

手続きを終えました。 

さぁ会社は出来た! 社長になった! 利用運送の許可もおりた!

自宅の一室とはいえ、小さな事務所もできた!


ヨーシ!やるぞぉ~!!

とはいえ、仕事は??? ない・・;

何するの??? 決めてない・・;

お金は??? ない・・;

無い無い尽くしで始まった、ヤマネットでした^^;


しかし!俺には元氣と明るさ、そして、沢山の友達がいる!

これがあれば大丈夫!

何とも のんきというか脳天気というか・・・


こんな、ヤマネットの創業だったんです。

この先数日間に渡り自己開示しながら、今日までを振り返って参ります。

そこから、研修で、私が熱くお伝えしていることが、実体験に基づいた

カリキュラムであることが、少しでもご理解頂ければ、幸いかと存じます。



●第2話 社長になるということ    


私はM運輸に在職中から社長になりたい と思っていた。

16年仕えてきた社長は、私の憧れであり、目標でしたから、

いつか俺も ああなる! という思いを抱いていました。


しかし、よくよく考えてみれば、社長になるのは簡単。

当時、有限会社を設立する為に必要な資本金は下限が300万円と

決められておりました。

2000年4月某日、私は会社設立準備の為に、某信用金庫に

なけなしの300万円を資本金として、預けに行った。

お金を預け、書類に記入し、待っていると、奥から支店長さんが出てきた。

そして、「社長様、奥へどうぞ」と奥の応接へ通された。


M運輸で、一所懸命働いて、15年で常務になった。

しかし、資本金を預けて書類を書いたら、5分程で社長になった・・


だから、長年思い抱いていた、「社長になる!」という思いは達成したものの

要はどんな経営をするか、どんな会社を創っていくかが重要であり、

ただ社長になる ことは、誰にでも出来る単なる手続き業務であることが

よくよくわかりました。


しかし、「社長」という言葉には魔力があり、意思の弱い者や、お調子者、

ええカッコしぃには、特に、周りから「社長」「社長」「社長」・・・・と

連発されチヤホヤされると、勘違いをする、実力以上のことをしたがる、

分不相応な振る舞いをしだす・・・


「社長様、奥へどうぞ」


何とも耳障りのいい響きではあーりませんか!

お調子者、ええカッコしぃの代表選手の私の勘違いが、ここから始まる。

そして、そのお調子者、ええカッコしいぃが、後々の自分自身を、

かなり長きにわたり、苦しめることになる・・・・



●第3話 勘違い    


全国に運送会社は五万とある、トラックも100万台以上あるわけだから

自分でトラックを持つ必要はない! という考えは漠然としてあった。

ならば、まずは運送会社さんの仲間を沢山創ろう!ということで、

運送屋さんまわりを始めた。以前から知っていたところへは、


「独立しましたぁ、利用運送の免許とりましたぁ」

「空いてる車あったら教えてくださ~い、仕事見つけてきま~す」

「逆に何か仕事あったらくださ~い」 と。


いわゆる求車求貨の アナログ営業ですね。

そしたら、運送の仕事もさることながら、

「ウチの営業の手伝いをしてくれ!」「乗務員指導してくれ!」

という依頼を多く頂き、気が付けば、運送会社5社の社外幹部契約を頂き、

活動が始まっていました。


前職の給与をはるかに上回る収入が毎月安定的に入ってくる状態になるのに、

独立開業から3ヶ月とかからなかった。


「けっこう、ちょろいな・・・・」


契約した各社へ毎日通い、時に幹部会議で意見を乞われ、時に指導し、

時に顧客先へ同行し、提案営業のお手伝いをする、そして、それらほぼ

全部が、そこそこ通用するし、評価を頂ける、チヤホヤもされる。


「かなり、いけるな・・・・」


それら各社のお手伝いの傍ら、利用運送の営業活動も行なう中で、

初の大仕事の依頼が入り、とにかく全て受けた。

浜松~岐阜間の1日2往復大型10台×20日間(1車5万円)という業務。

スタートまで1週間あったので、運良く車輌手配は全てついた。

後は毎日単調な仕事の繰り返し、ウチは窓口で、荷主様から頂いた運賃から

手数料を頂き、その後協力業者各社様にお支払いをするのみ。


20日間の業務は無事終え、荷主様からのお支払いも締め後20日で頂けた。

10台×20日×5万円=1000万円・・;


会社の口座とはいえ、社員は私一人、そこへボコッと1000万円もの大金が

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