『ひとを応援していたらいつしか応援されていた』物流応援され団長 誕生秘話
一度に入ってきた。これは勿論自分のお金ではない。まして、そのお金の
ほとんどは約1ヵ月後に、各協力会社さんへ支払われるものと分かっては
いるものの、現実に自分(自社)の通帳の残高が1000万円となっている事実。
この時、私はこう思った「自分のお金と会社のお金を公私混同していくダメな
経営者が世の中にけっこういるのは、こういうことなんや、気をつけなアカン」と。
でも、どこかで、「会社経営って、思ったより大したことないなぁ・・・」と。
5分で社長になり、各社からポンポンと契約頂き、安定収入が入り、
行く先々でチヤホヤされ、時に多額が一度に入金される・・・・
そんな環境の中、経営をなめている自分に、その時は自分自身気づいていなかった。
●第4話 多角経営拡大路線
創業時、自宅の一室を事務所に活動をしていたが、
その頃未だ子供達も小さく、部屋(事務所)に入ってきては甘える、騒ぐ、
私も子供が可愛いのでかまう・・・ といった調子で、
仕事が捗らなかったこともあり、半年後に自宅を出て、小牧市内に事務所を
借り事務員さんも雇用した。
<閑話休題>
『その時1000部作成した、営業案内パンフレットが今手元に10部程残っている、
A4三つ折の小さなパンフだが、正に私の創業の精神。
そこには、「既成概念の打破」「競争から共生」の念いが描かれている。
その時の念いが、今も脈々と流れ、経営理念へと繋がり、私自身の
生き方へと繋がっている。
この創業の精神が、10年の間に起きた様々な問題、障害を何とか乗り越える礎に
なっていたように思う』
その後、更に動きは活発になり、事業の多角化、営業所の設置、増員と勢いを
つけていく。
●食材の宅配事業(全国の産地から生鮮産品を仕入れ地元で販売)
○中古トラック買取販売(これは現在も継続)
●ドラックストア向け配送センター開設(豊山物流センター)
●自動車回送陸送事業開始
●ドラックストア向け配送センターその2(小牧物流センター開設・)
●中古トラック簡易整備センター(東海車輌センター開設)
●中古トラック簡易整備センターその2(東北車輌センター開設・仙台)
●遊戯機器アッセンブリー工場開設
上記事業を4年の間に立ち上げる。
こうなると、もう何屋さんか分からない。
イケイケドンドンもう誰にも止められない状態。
東北(仙台)での営業所を含め5拠点で、自社雇用のスタッフは
パートアルバイトさん含め15名、アッセンブリー工場では、
人材派遣会社からピーク時は、40名程のスタッフが稼働していたので、
50名以上の規模に拡大(膨張?)していた。
私の業務は多忙を極めた。
急成長(膨張?)しているベンチャー企業の青年実業家。
その勢いに自分自身が酔いしれていた。
この後に次々と起こる出来事のことなど知る由もなく・・・
●第5話 バブル崩壊
愛知県に本部を置く M運輸、県外初の事業所がオープンした。
1994年、静岡県浜松営業所、初代所長・私(山田)が就任。
そこから退職までの6年間、部長~静岡支店長~営業本部長~常務取締役と、
トラック2台から始まった浜松事業所も、
浜松第2、焼津、吉田、富士、沼津と静岡県全域に広がる。
スタッフ170名、売上10億。
飛ぶ鳥を落す勢いで、押しも押されぬ出世頭・・・・
今思えば、この頃から、私の勘違いは始まっており、
ヤマネット創業後の思考、行動パターン、出来事のシナリオは、
このころに既にほぼ完成されていたのでしょう。
「俺は出来る」「負けない」という強い気持ちは大事でしょう。
しかし、私の場合は、それに加え「どんなもんだい!」という驕り、
そして、最大は、周りの人達に支えられているという謙虚さ、
感謝の気持ちが欠けていたのでしょう。
『運営と経営は違う』
そのことを思い知らされる出来事が創業から4年、ついに起き始める。
急成長しているベンチャー企業の青年実業家。
誰からも順風満帆であるかにみえた。
しかし、私の胸中はそうではなかった。
何かがおかしい・・・ それが何だか分からない・・・
得体の知れない不安、恐れ、空虚感、何かが足りない・・・
それらの思いが形となって現れ始めることになる。
2004年11月、小牧物流センター突然の業務停止勧告、
東北車輌センターにて在庫車輌盗難事件、その二つの出来事から端を発し、
怒涛の如く問題が噴出する。
トラブルが止まない、お客様との交渉がうまくいかない、
志気が下がる、社風が乱れる・・・・
止まらない、止めれない、正にバブルの崩壊の如く、
坂道を転げ落ちるような勢いで、
業績が悪化していく、資金が底をつきはじめる、
もうダメか・・・ これで終わりか・・・
持ち合わせている手段が通用しない、得意技が効かない、
分からない、どうしていいのか分からない・・・・
これまで経験体験したことのない壮絶な3年間が幕を開ける。
●第6話 屈辱、そして決心
2004年11月に連続して発生した事件(業務停止勧告、盗難事件)
から3ヵ月後、東北車輌センターの撤退を決め、その準備に取り掛かった。
社員さんの雇用はなんとか守りたいと思い、現地で懇意になった同業他社さんへ、
業務全部と社員さんをそのまま引き継いで頂くよう話しを進め、
お客様、同業他社さんのと合意に至った。
さぁいよいよ社員さん達への通達とお願いである。
8名の方々との個人面談で、事情を話し、お願いし、頭を下げ詫びた。
7名の方々は、快諾して頂き、逆に
「そんな謝らないで下さい。大変お世話になりました」と温かいお言葉を頂いた。
が、1名(所長役として頑張って頂いていた方)の方からは、
長時間にわたり罵声を浴びせられた。
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