『ひとを応援していたらいつしか応援されていた』物流応援され団長 誕生秘話

2 / 5 ページ

一度に入ってきた。これは勿論自分のお金ではない。まして、そのお金の

ほとんどは約1ヵ月後に、各協力会社さんへ支払われるものと分かっては

いるものの、現実に自分(自社)の通帳の残高が1000万円となっている事実。  


この時、私はこう思った「自分のお金と会社のお金を公私混同していくダメな

経営者が世の中にけっこういるのは、こういうことなんや、気をつけなアカン」と。


でも、どこかで、「会社経営って、思ったより大したことないなぁ・・・」と。

5分で社長になり、各社からポンポンと契約頂き、安定収入が入り、

行く先々でチヤホヤされ、時に多額が一度に入金される・・・・


そんな環境の中、経営をなめている自分に、その時は自分自身気づいていなかった。



●第4話 多角経営拡大路線    


創業時、自宅の一室を事務所に活動をしていたが、

その頃未だ子供達も小さく、部屋(事務所)に入ってきては甘える、騒ぐ、

私も子供が可愛いのでかまう・・・ といった調子で、

仕事が捗らなかったこともあり、半年後に自宅を出て、小牧市内に事務所を

借り事務員さんも雇用した。



<閑話休題>

『その時1000部作成した、営業案内パンフレットが今手元に10部程残っている、

A4三つ折の小さなパンフだが、正に私の創業の精神。

そこには、「既成概念の打破」「競争から共生」の念いが描かれている。

その時の念いが、今も脈々と流れ、経営理念へと繋がり、私自身の

生き方へと繋がっている。

この創業の精神が、10年の間に起きた様々な問題、障害を何とか乗り越える礎に

なっていたように思う』



その後、更に動きは活発になり、事業の多角化、営業所の設置、増員と勢いを

つけていく。 

●食材の宅配事業(全国の産地から生鮮産品を仕入れ地元で販売)

○中古トラック買取販売(これは現在も継続)

●ドラックストア向け配送センター開設(豊山物流センター)

●自動車回送陸送事業開始

●ドラックストア向け配送センターその2(小牧物流センター開設・)

●中古トラック簡易整備センター(東海車輌センター開設)

●中古トラック簡易整備センターその2(東北車輌センター開設・仙台)

●遊戯機器アッセンブリー工場開設


上記事業を4年の間に立ち上げる。

こうなると、もう何屋さんか分からない。

イケイケドンドンもう誰にも止められない状態。


東北(仙台)での営業所を含め5拠点で、自社雇用のスタッフは

パートアルバイトさん含め15名、アッセンブリー工場では、

人材派遣会社からピーク時は、40名程のスタッフが稼働していたので、

50名以上の規模に拡大(膨張?)していた。


私の業務は多忙を極めた。

急成長(膨張?)しているベンチャー企業の青年実業家。

その勢いに自分自身が酔いしれていた。

この後に次々と起こる出来事のことなど知る由もなく・・・



●第5話 バブル崩壊  


愛知県に本部を置く M運輸、県外初の事業所がオープンした。

1994年、静岡県浜松営業所、初代所長・私(山田)が就任。

そこから退職までの6年間、部長~静岡支店長~営業本部長~常務取締役と、

トラック2台から始まった浜松事業所も、

浜松第2、焼津、吉田、富士、沼津と静岡県全域に広がる。


スタッフ170名、売上10億。


飛ぶ鳥を落す勢いで、押しも押されぬ出世頭・・・・

今思えば、この頃から、私の勘違いは始まっており、

ヤマネット創業後の思考、行動パターン、出来事のシナリオは、

このころに既にほぼ完成されていたのでしょう。


「俺は出来る」「負けない」という強い気持ちは大事でしょう。

しかし、私の場合は、それに加え「どんなもんだい!」という驕り、

そして、最大は、周りの人達に支えられているという謙虚さ、

感謝の気持ちが欠けていたのでしょう。


『運営と経営は違う』


そのことを思い知らされる出来事が創業から4年、ついに起き始める。

急成長しているベンチャー企業の青年実業家。

誰からも順風満帆であるかにみえた。

しかし、私の胸中はそうではなかった。

何かがおかしい・・・ それが何だか分からない・・・

得体の知れない不安、恐れ、空虚感、何かが足りない・・・

それらの思いが形となって現れ始めることになる。


2004年11月、小牧物流センター突然の業務停止勧告、

東北車輌センターにて在庫車輌盗難事件、その二つの出来事から端を発し、

怒涛の如く問題が噴出する。


トラブルが止まない、お客様との交渉がうまくいかない、

志気が下がる、社風が乱れる・・・・

止まらない、止めれない、正にバブルの崩壊の如く、

坂道を転げ落ちるような勢いで、

業績が悪化していく、資金が底をつきはじめる、

もうダメか・・・ これで終わりか・・・

持ち合わせている手段が通用しない、得意技が効かない、

分からない、どうしていいのか分からない・・・・


これまで経験体験したことのない壮絶な3年間が幕を開ける。



●第6話 屈辱、そして決心  

2004年11月に連続して発生した事件(業務停止勧告、盗難事件)

から3ヵ月後、東北車輌センターの撤退を決め、その準備に取り掛かった。

社員さんの雇用はなんとか守りたいと思い、現地で懇意になった同業他社さんへ、

業務全部と社員さんをそのまま引き継いで頂くよう話しを進め、

お客様、同業他社さんのと合意に至った。

さぁいよいよ社員さん達への通達とお願いである。

8名の方々との個人面談で、事情を話し、お願いし、頭を下げ詫びた。

7名の方々は、快諾して頂き、逆に

「そんな謝らないで下さい。大変お世話になりました」と温かいお言葉を頂いた。

が、1名(所長役として頑張って頂いていた方)の方からは、

長時間にわたり罵声を浴びせられた。


著者の加藤 万砂也さんに人生相談を申込む

著者の加藤 万砂也さんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。