『ひとを応援していたらいつしか応援されていた』物流応援され団長 誕生秘話
そう自分に言い聞かせるものの、一体どないしたらええねん?
相変わらず具体策が見つからず、悶々とする日が続いていた。
ついには、社員さんへの次のお給料が、どうしても都合がつかないところまで、
状況は悪化していた。
そんな、ある日。
親しくしている友人が訪ねてきた。
彼には少し前に、だいたいの話は聴いてもらっていた。
友人:「その後は、どう?」
山田:「かなり、ヤバイ・・・」
友人:「ヤマちゃん、心配しなくていいよ、俺がついてるから」
山田:「・・・・・」
友人:「ヤマちゃんの銀行口座教えて」
山田:「!?」
友人:「今度は俺がヤマちゃんを助ける番だから」
翌日、私の銀行口座に、とてつもない額のお金が振り込まれていた。
友人にすぐ電話をした。
友人:「とにかく、使ってよ。返すのはいつでもいいから、こんなことしか
できないけど、とにかく頑張って!」
山田:「・・・・・・」声にならず、私は電話を持ったまま泣き崩れた。
そのまた、数日後・・・
可愛がってもらっている先輩が訪ねてきてくれた。
「ついておいで」と、某銀行に連れて行かれた。
その先輩が経営する会社のメインバンクのようで、支店長室に通された。
先輩が支店長に話し出した、
「支店長、彼は俺の大事な友達や、もの凄い頑張り屋で、
一所懸命働きよるけど、元気良すぎてアレコレ事業に手を出しすぎて、
今、ちょっとしんどい状態になってる。俺に免じて
何も言わんと○○○○万円貸したって下さい」と、横で頭を下げだした。
私も、わけも分からないまま隣で一緒に頭を下げていた。
唐突な話に支店長も驚いた様子で、とにかく詳しく話しを聴かせて下さい
ということになり、説明し、その日は帰った。
とはいえ、初めて会った会社で、それも惨憺たる内容の会社に
融資など簡単に出来るわけが無い。
数日後、その銀行の担当の方が来社され、見せるのも恥ずかしい内容の
ウチの決算書の写しを持っていかれた。
その数日後、融資が決まったと、電話が入った・・・ あり得ない話しだった。
(おそらくあの後も先輩は引き続き動いてくれたに違いない)
涙しながら、先輩に電話したことは言うまでもない。
「お互い様やがなぁ」と、先輩は言った。
私は、この二つの出来事を思い出すと、今でも涙が出てくる。
今、こうしてパソコンのキーを叩いていても熱いものが込み上げてくる。
この人達は、私の、そして、ヤマネットの、正しく命の恩人なのです。
一人目の友人が言った「今度は俺がヤマちゃんを助ける番」
先輩が言った「お互い様」
その言葉の意味は、今もよく分からない。
私の方からは助けた覚えは本当にない。
しかし、知り合ってから今日まで、誠実に正直に一所懸命付き合って
きたことだけは自信を持っていえるし。
この友人、先輩以外にも、諸々を沢山の方々に助けに助けてもらった。
それらは全て奇跡のような出来事でした。
それからの私は奮起した、炎のように熱き思いで働いた。
そして、これまでとの決定的な違いは、熱き思いの中にある根本である。
「もう、ヤマネットは俺の会社じゃない。事実、会社を営むお金自体が、
俺のものなど、もう無い、全ては人の助けによって注入された血液(お金)が、
この会社を生かしてくれている。だから俺は、俺の為でなく、周りを喜ばせる為、
周りを元氣にさせる為に働かなアカンのや!この会社はみんなのもんや、
俺は、たまたまその代表なだけや。」
この時の念い(おもい)が、現在のヤマネットの経営理念へと繋がっている。
『我々は元氣と安心をお届けする物流応援団です』
あとは、やるのみ!
頂いた恩への報いは、事業を建て直し、立派な会社にする以外にない!
全てが好転したかに思えた。
しかし、試練は未だ終わってはいなかった。
約2年間に及ぶ、混沌とした環境の中で、社員の多くが心を荒廃させて
しまっていたのである。
●第9話 再創業
奇跡の生還から約1年半、遮二無二働き、勉強したのは言うまでもない。
助けて頂き、資金も投入し、予定していた事業所の閉鎖もほぼ全て完了した。
(2年間で4つの事業所を閉鎖した。開設の何倍ものエネルギーが要った)
一つの敷地に二つの事業部という体制となり、全員で一致団結して働ける
環境は整ったはずである。
しかし、うまくいかない。
約2年間の混乱、混沌とした環境の中にいた社員の多くが心を荒廃させてしまっていた。
愚痴、陰口、不平不満・・・・
みんなの気持ちが一つにならない。
何度も何度も話し合いの場を持つが、気持ちが離れていく。
社風がどんどん悪くなっていく。
長い間、目先の仕事や資金繰りに翻弄され、スタッフへの思いやり不足、
それと何よりも人材育成を全く怠ってきたツケである。自業自得である。
それから、約1年半、無断欠勤や打ち合わせ中社員が逆ギレなんてことは
序の口で、幹部の不正会計、陰湿ないじめ・・・・・・
悶々とした日々が続く中、社員、幹部が一人、二人と会社を去っていく。
疲れてきた、いつまでこんなことが続くのか・・・
ついには、長年連れ添ってきた番頭幹部から、
「所詮アナタはこの程度の人だったんですよね」
と、捨て台詞をはかれた。
屈辱だった。 悔しかった。 しかし、その通りだと思った。
全ては社長である自分の責任である。
その幹部の退職が決まり、彼が受けもっていた事業部も手放すことを決めた。
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